冒険者
「クリス、どうしよう……」
「わからない……でも、中に入ってみよう」
イブは心細そうに、クリスの服のすそを引きました。ともかく、クリスは言われた通りにしようと目の前の建物をもう一度見上げました。
二人は帽子を一度深くかぶり直し、建物の扉を押しました。ぎぃと古ぼけた音を立てて扉は左右に開き、つんとした臭いが二人の鼻をつきます。
それは、お酒の臭いでした。
建物の中には丸いテーブルがいくつも並び、そこには大人が大勢座って食事をしているようでした。
最初は二人のことを誰も気にとめていませんでしたが、二人が子供だとわかると、次々と大人たちの視線が向けられます。
二人はどうしてよいか分からず、緊張でその場に立ち尽くしてしまいました。
「道にでも迷ったのか? ここは子供の来るような店じゃないぞ」
すると、カウンターに立つ丸い眼鏡をかけた老人が、固まる二人に声をかけてきました。顔にはしわが目立ちましたが、その声はしっかりとしています。
「ここに行くように言われたんです」
クリスはイブの手を引き、カウンターまで歩きました。カウンターは二人の背よりも高いため、ほとんど顔を真上に上げなければ老人の顔を見ることができませんでした。
「やれやれ、子供が使いに来るような場所ではないんだがな。で、何の用だ?」
「えっと……ここは、何をするところなんですか?」
老人の質問に答える前に、クリスはたずねました。すると、老人は少し首をかしげて苦笑しました。
「ここがどこかも知らずに使いに来たのか? 酒場って言えばわかるか?」
「大人たちが、お酒を飲むところですか?」
「そうだな。もう一つ、ここは冒険者が集まる場所でもある」
「冒険者!?」
老人の言葉に、クリスは思わず叫びました。イブも驚いた顔をします。
「お父さんと同じだわ……」
「あ、あの! 僕たちを北の山まで連れて行ってくれませんか!? お願いします!」
勢い込んで叫ぶクリスに、老人はぽかんとしました。酒場はしんと静まり返ったかと思うと、バケツをひっくり返したかのような笑い声に満たされました。
「本気か! あの猛吹雪の山に行きたいだとよ!」
「何を考えてるのか知らないが、やめときな小僧ども!」
大人たちは口々にクリスとイブに言葉を投げました。それはどれも、バカにしたような笑いを含んだものであることは二人にも分かりました。
村の子供たちに、白い髪をバカにされたときのものと同じです。
笑い声に、イブは身をすくめ、クリスはくちびるをかみしめました。ただ、老人は苦笑をしつつも真剣な目で二人を見つめした。
「まぁ、聞くだけなら構わないが、北の山か……目的はなんだ?」
「山にすんでいる竜に会いたいんです」
「竜だと?」
「お父さんと、村長さんはそう言っていました。北の山には、竜が住んでいるって。だから、ずっと吹雪が続いているんだって」
「なるほど。しかし、その依頼は受けることができないな」
「どうしてですか? 冒険者なら、北の山にだって行けるんでしょう? お父さんは、行ったことがあるんです」
「行く理由がないし、得をすることがないからだ。今の反応でわかるだろう? お前さんたちの話をまともに聞こうなんてやつは、誰もおらんよ。そもそも、冒険者を雇う金は持っているのか?」
「お金……? これですか?」
クリスは商人から渡された袋を見ました。そして、老人に向けて差し出します。
老人は袋を受け取り、中を見ます。すると、老人の眉毛はハの字になってしまいました。
「なんだこりゃ……。いまどきこの程度じゃ、子供の駄賃にしかならなんぞ。話にならなないな」
「そんな!」
「あのー、その依頼。よければ聞きましょうか?」
そして、老人が二人を追い返そうとしたとき、酒場の奥からのんびりとした声が聞こえました。
客の視線が集まりましたが、その声の主を見るや、くすくすと笑い声がまた起き始めます。
「アッシュ。お前がいたか……」
老人は呆れた顔で、その人物を見ました。
少し垂れ目で団子鼻の青年でした。優しそうな笑みを浮かべていますが、腰には細い剣を差しており、彼が一人の冒険者であることを物語っていました。
「受けるというのなら構わないが、驚くなよ?」
老人は言うと、袋を青年にひょいと投げてよこしました。それを片手で受け止め、中を見た青年は老人と同じような顔をしていました。
「これは、ちょっと酷いですね。でもまあ、詳しい話は俺が聞きますよ。訳ありのようですからね」
「面倒事をお前が引き受けてくれるというのなら、止めはしないがな。好きにしろ」
老人はそれ以上何も言わず、背を向けてグラスをみがき始めました。青年は二階へと続く階段へと歩くと、クリスとイブに向けて手招きしました。
「君たち、こっちにおいで」
クリスとイブはしばらく無言で見つめ合って悩みましたが、青年についていくことにしました。青年の笑みは、他の大人たちと違って優しそうだったからです。
「じゃあ、行こうか。マスター、後で俺の部屋に軽食を二人分持ってきてくださいね」
老人はちらりと青年を横目で見て、軽く頷きました。
◆
「アッシュだ。よろしく」
青年はアッシュと、そう名乗りました。
酒場は宿屋もかねており、アッシュは泊まっている自分の部屋へクリスとイブを招き入れてくれました。
「はじめに、君たちの名前も教えてくれるかい?」
アッシュは椅子に座りながら、二人にはベッドに座るようにすすめました。
ベッドはふかふかではありませんでしたが、タルの中で過ごしてきた二人にとってはとても座り心地のよいものでした。
「クリスです」
「イブ……です」
「クリスとイブか。じゃあ、早速で悪いけど、どうして北の山に行きたいかを話してくれないかな?」
「それは、竜に会いに……」
「ああ、違うよ。聞きたいのはそこじゃない」
老人に言ったことと同じことを言おうとするクリスを、アッシュが止めました。
「君たちは、俺に山へ連れて行って欲しいんだろう? だったら、全部話してくれないと君たちのお願いを俺はきけない。仕事は信頼関係が大切だからね」
「しんらい……?」
「まぁ、ざっくりいうと隠し事をしない関係ってところかな」
首を傾げる二人に、アッシュは微笑みながら言いました。
「わかりました。話します」
「クリス、いいの?」
「話さないと連れて行ってもらえないのなら、話すしかないだろ。お兄さんは、笑わないですか?」
「アッシュでいいよ。君たちが真剣なのは目を見ればわかる。だいじょうぶ、笑わないさ」
そうして、クリスとイブは自分たちの身に起きた事を話しました。
つっかえたり、順番が前後するところもありましたが、アッシュは静かに頷きながら、二人の話を決して笑うことなく、最後まで聞いてくれました。
「なるほど……、じゃあ、君たちはお父さんの呪いを解いてもらうため、竜にお願いしに行くというわけか」
「そうです。アッシュ、山には竜がいるっていうのは本当なの?」
「ああ、いるよ」
クリスの質問に、アッシュはあっさりと頷きました。
「まぁ、この目で見たってわけじゃないし、君たちの話のように良いようには語られてはいないよ。山を吹雪で閉ざした災厄だなんて言われたりしているしね」
「そうなの? 竜は、悪い存在なの?」
「それは……」
アッシュが答えようとしたとき、コンコンとドアをノックする音が聞こえました。
「飯を持ってきたぞ」
「ああ、ありがとう、マスター」
老人の声でした。アッシュは気軽に答えると、笑顔で部屋のドアを開けました。
老人はベッドに座るクリスとイブをじろりと見たあと、アッシュに持っていたお盆を渡します。
「そいつらを泊めるつもりなら、宿代は子供二人分追加だからな」
「えぇ……部屋代だけで勘弁してもらえませんかね?」
「飯も用意してやったんだ。こっちも商売だからな」
ぶっきらぼうに言うと老人はドアを閉め、さっさと帰ってしまいました。
アッシュは「まいったな」と呟きながらも、どこか楽しそうに笑っています。そして、ベッドに受け取ったお盆を置きました。
お盆には、湯気をたてたシチューと、パンがありました。そのおいしそうな匂いに、二人のお腹の虫がさわぎだします。
「食べなさい。それから、よく眠るといいよ。ちゃんとした話は、また明日の朝にするとしよう」
窓の外はもう薄暗く、アッシュはランプに火を点けてカーテンを閉めました。そして、困った顔でお盆とこちらを交互に見つめる二人に苦笑しました。
「ちゃんと、いただきますは言うんだよ」
「い、いただきます……」
「いただきます……」
言われて、二人はそろそろと食事を始めました。思えば、町にくるまでの間はタルの中でずっと身を寄せ合うしかなかったため、何も食べてはいませんでした。
温かなシチューは冷え切った体をほぐすように染みわたり、二人は慌てて目元をこすりました。その様子を見ながら、アッシュはこっそりと優しく微笑みます。
食事を終えた二人は、少しだけ元気を取り戻したようで、アッシュに二人そろってお礼を言いました。
アッシュは笑いながら首を横にふり、「かまわないよ」と言います。そこで、イブが何か言いたげな目でクリスを見つめます。
「ねえ、クリス。アッシュになら、見せてもいいかな……?」
「え? でも、お父さんは見せちゃだめだって」
「隠しごとは、しちゃいけないんでしょう。だったら、見せた方が良いと思うの」
「なんだい? まだ、何か教えてもらっていないことがあるのかな?」
たずねるアッシュに、二人は意を決して頷い合いました。そして、イブが先に帽子に手をかけました。
「アッシュ、驚かないでね」
さっと帽子をぬぐと、中でまとめていたイブの白い髪がさらりと流れ落ちました。
それを見たアッシュは、目を開きます。驚くなと言う方が無理があるというものでした。
そして、クリスも帽子をぬぎます。真っ白な髪の双子を目の前にして、アッシュはただ驚くばかりでした。
「これは、とんでもない秘密を打ち明けてくれたものだね」
「アッシュは、わたしたちの髪が怖い? 気持ち悪いって思う?」
「まさか。少し驚いたけど、とてもきれいだと思うよ」
不安そうに顔をくもらせるイブでしたが、アッシュが微笑んで撫でると安心したようで、久し振りに少しだけ笑うことができました。
「お父さんは、髪を人前で見せるなと言ったんだね?」
「うん。村の人たちは、髪が白いのは竜の呪いのせいだって言っていたわ」
「そうか……呪いなんかじゃないし、俺は気にしないけど、確かに人前で見せない方がいいだろうね」
「アッシュの他には、見せない方が良い?」
「ああ、そしてくれると助かるよ。よく話してくれたね、ありがとう」
「じゃあ、わたしたちのことを、信頼してくれる?」
「あ……」
イブのまじりけのない笑顔に、アッシュは頭をかきつつ頷くほかありませんでした。