3.特別開店
次の日は店は休み、ということで私達は朝から種まきの為に畑を耕していた。
まだ日の光も強くなく、それに流石にまたふざけるわけにも行かなかったので作業は順調に進んだ。
「肥料も混ぜたし、後は種まきだけかな」
流れる汗をタオルで拭きながらシュトーレがそう言った。
「だねー、じゃあ種持ってくるよー」
クロワはそう言って鍬を地面に置き、小屋のほうへと走って行った。
「にしても、耕してすぐの畑に種をまいてもいいなんて、一体どんな品種の小麦を使っているんだろうか」
「確かに、本来きちんと土を慣らしてから種まきをするはずなんだけど、いつもすぐに種まきしてるね」
しばらくして、クロワは小麦の種が入った麻袋を肩に担いで戻ってきた。
「はーいお待たせ!いつもみたいに種はザーッとまいちゃってー」
クロワの持ってきた麻袋には何も書かれておらず、どんな品種なのかは全く分からない。
「クロワ、前々から気になっていたんだが、この小麦って一体何の品種なんだ?」
「んーとね、パンの元だったかなー確か」
「パ、パンの元…えらく適当な名前だな…」
「名前なんてどーでもいいんじゃないかなー。さ、まきましょうまきましょう!」
クロワは麻袋を開けて種を手ですくうと、それを畑の畝にそって適当にまきはじめた。
私達もこのパンの元をまいていく。
「パンの元…変なネーミングセンス…フフッ」
種をまきながらシュトーレがふとそう呟きながら笑った。
私自身そこまで小麦の品種に詳しいわけではないが、いくらなんでもパンの元という名前は適当すぎる気がする。
一体命名者は何を思ってそんな名前をつけたんだろう。
一通り種をまき終わった頃には、既に日は高く昇っていた。
「よーし、終わり!じゃあお昼にしよっかー」
私達は道具を片付けて店のほうに戻ろうとした。
その時、遠方からバイクのエンジン音が聞こえてきた。
音は徐々に大きくなり、こちらに向かってきていることが分かる。
「町のほうからか…珍しいな、この道を使うなんて」
この店は町の外れにある上、道幅も狭くパン屋を利用する客と私達以外は殆ど使用しない。
今日は定休日なのに何の用があってこの道を通ってくるのだろうか。
一台のアメリカンタイプのバイクは道を走り続け、そして店の前で停車した。
「こーんにちはー、何か御用ですかー?」
クロワはそう言ってバイクのほうへ走り寄ってしまった。
私達もすぐにクロワを追いかけた。
ヘルメットを外したバイクに乗っていた男はバイクから降りて、私達のほうを向いた。
男はアジア系の青年のようだった。
「あ、すみません作業中に」
男は走り寄ったクロワに向かって言った。
「気にしないでくださいなー、それで今日はどうかしました?」
「えっと、町の人から近くに美味しいパン屋があるって聞いて来たんですけど」
「あ、えっとですねー…今日、お休みなんですよー」
そのことを聞いた男は肩を落として残念がった。
「もしかして、旅行者の方?」
と、シュトーレが聞く。
「ええ、まぁ一応…」
「クロワ、お昼時だしパンもあるから、特別にいいんじゃないかな」
「そだねー、沢山は無いんですけどいいですか?」
「本当ですか、お願いします…!」
定休日だということは町の人から聞いてこなかったのだろうか。
少々疑問は残るが二人が客として男を受け入れた以上こちらもきちんと接客しなければならない。
「はーい、では一名様ご案内でーす!」
クロワは元気良くそう言って、店の扉を開けた。
私とシュトーレが先に入って円形のテーブル席を軽くセッティングする。
「はい、失礼します」
男はそう言って店の中に入り、準備された席に座った。
「ホントは好きなパンを選んでもらうんですけど、今日は定休日なんで…そうだ、何かサンドイッチでも作ります!挟みたい具材とかありますかー?」
「うーん、お任せで」
「かしこまりました!飲み物はどうしますか?」
「ではコーヒーをブラックでお願いします」
「はーい、では少々お待ちくださいなー」
サンドイッチ程度ならすぐに作れるだろう。
私達は男に一礼してから厨房に戻ろうとした。
「あ、すみません、店内の写真とか撮っても大丈夫ですか?」
と、男はスマホを取り出して私にそう尋ねてきた。
「…ご自由にどうぞ」
私がそう答えると男は早速スマホで写真を撮り始めた。
男の写真撮影の邪魔にならないよう、私も厨房に戻って料理の支度を始めた。
「レタスとトマトは切ってあるから、他の具材は任せて良い?」
既にエプロンをつけて野菜を切り終わっていたシュトーレがそう言った。
一方クロワは飲み物の準備を行っていた。
私も手を洗ってエプロンをつける。
「ああ、ありがとう。そうだな…鶏ハムが残っていたからそれでいいか?」
「私はいいと思うよ。クロワは?」
「いいよー、ソースはバジルソースがあったからそれでねー」
「決まりだな」
私は冷蔵庫から作り置きされた鶏ハムを持ち出してまな板に置く。
それを手早く薄くスライスして具材の準備は完了だ。
次に、昨日売れ残ったフランスパンを四等分にカットし、切込みを入れる。
そしてレタスをひいて、その中にトマトと鶏ハムを挟み、クロワの注文どおりバジルソースをかけて完成だ。
「こっちは完成した。飲み物は?」
「お湯がそろそろ沸くからもうすぐだねー。あ、私はオレンジジュースだけど、二人はどうする?」
「私もそれでいい」
「私もオレンジジュースでいいよ」
「分かったー、じゃあまずはお客さんにサンドイッチ持って行っておいてー」
クロワに言われたとおり、シュトーレがサンドイッチ一つを皿に載せてホールのほうへ向かった。
「そうだ!プレッツェ、お客さんに相席してもいいか聞いてきてー!」
「ん、それは流石に迷惑じゃないか…?」
「別の席で私達三人がご飯食べるほうがおかしいじゃん、ね?」
「…そういうものなのか。分かった、一応聞いてみる」
私は残りのサンドイッチも皿に載せてホールへと向かった。
どうしても見ず知らずの人と話すのは苦手なんだが、クロワに言われてしまうと逆らうことは出来ない。
仕方なく男のほうへ足を進める。
「…すみません、相席してもいいですか?我々も丁度お昼時でして」
私がそう言うと、男は面食らったような顔をしていた。無理も無い。
「えっと…いいですよ。こちらも特別に料理を提供していただいたんで」
「ありがとうございます」
私は軽く頭を下げてから、テーブルにサンドイッチ入りの皿を並べた。
しばらくしてすぐにクロワが飲み物を載せたお盆を持ってやって来た。
「お待たせしましたー!あ、相席でいいんですね、ありがとうございます!」
クロワは笑顔でそう言いながら飲み物を置いて行く。
料理が揃い、私達三人も席に着いた。
クロワが真ん中、そして左にシュトーレ、右に私が座る。
「では、いただきます」
男は手を合わせてそう言った。
食事前のこの動作、過去に何度か見たことはあるが、こんなにごく自然に行うものなのか。
それを見ていたクロワはこの仕草に興味津々だ。
「なるほど、いただきますか…じゃあ私達もー!手を合わせて、ほら!」
クロワはそう言って男と同じように手を合わせる。
仕方なく私達二人もクロワに付き合ってあげた。
「いっただーきまーす!」
私達の動作を男はきょとんとしながら見ていたが、クロワがキラキラとした瞳で見つめ返すとすぐ目を逸らしてサンドイッチを食べ始めた。
「どうですか?プレッツェ…あ、こっちのカッコイイ子が作ったんですよー」
「…おいしいですね。バジルの薫りが効いてて、ハムに合ってます」
店員が三人も目の前にいる状況で料理の感想を聞くのも中々酷である。
が、男は場慣れしているのか知らないがスラスラと答えて見せた。
「ホントですか!よかったねプレッツェー!さて私も…あ、ホントだ美味しいー!」
いつもクロワはテンションが高い。私の作った料理なんて食べ慣れているはずだろうに。
「そういえば、お客さんは日本から?」
と、シュトーレが男に尋ねた。
「あ、はいそうです。まぁ仕事の一環なんですけど」
仕事、か。一体何の仕事をしているのだろうか。
見た感じは如何にも普通なサラリーマンと言ったところか。
「英語すごくお上手なんですねー!お仕事はどんなものなんですかー?」
「えっと、記者ですね。そんな堅苦しくないものですが」
「記者ですか…もしかしてこのお店にも取材の為に?」
「まぁ、そのつもりで…一応日本人向けの旅行記的なものを書いていて、それの記事の為にこの辺りに訪れたんです」
日本からやって来た記者。雑誌か何かの記事なんだろう。
「なるほどー!だったらまたお店のやってる日にもいらしてください!それにパンだけなら町のほうのマーケットにも置いてもらってるんで!」
「ええ、是非そうさせてもらいます」
「あ、そうだ!このお店のことを記事にするとき用に、私達の写真も撮ってください!」
クロワのまさかの注文に、男を含めた三人は驚く。
シュトーレも私も写真を撮られることがあまり好きではない。だがクロワはしょっちゅう写真撮影を他の客にも頼んだりしている。
彼女の裏表の無い純粋な性格を見ているとうらやましくて仕方が無い。私もあんな風に生きていけたらもっと楽しい人生を送れたかもしれない。
そんな思いにふけっていると、男は早速スマホで撮影の準備を始めた。
「えっと、じゃあ撮るんで真ん中に寄って下さい」
男がそう言うと、クロワが私達二人の肩を叩く。
シュトーレも私も指示通りクロワを中心にして顔を近づけた。
そしてクロワは毎度の如くピースポーズを決めた。
「はい、チーズ」
男の声とシャッター音が店内に響いた。
───日本で出る雑誌なら問題ないだろう、私が写っても。
そんな甘い考えを後に後悔することとなろうとは、まだ私は思いもしなかった。
甘き薫りに現を抜かすことを許さることはない。
そう、私は過去から決して逃れることなどできないのだから。