2.草刈り
お昼時も過ぎて、すっかりお客さんもいなくなった頃、私たち三人は休憩時間ということでテーブルを囲って談笑する。
私はストレートティー、クロワはホットココア、そしてプレッツェはブラックコーヒー。お茶菓子は売れ残ったパンを少しだけ拝借。
紅茶を一口。茶葉と柑橘の薫りが口の中に広がり、幸せな一時を感じさせる。
「ふぅ…今日もお仕事ご苦労様ー!」
「ああ、ご苦労様…あ、そうだ。そろそろアレ、やっといたほうが良いんじゃないのか?」
プレッツェの言葉を受けて、クロワは首を傾けて何かを考え始めた。
どうやらプレッツェの言ったアレが分からないようだったので、私が代わりに答えてあげた。
「確かに、そろそろ春小麦の種を撒かないと」
「あー、そういえばそうだったねー。小麦粉ってもうない?」
「このまま行けば冬には尽きるだろうな…」
「じゃあ、今日草刈りやっちゃおうか!休憩終わったら畑に集合ねー」
クロワの言葉を聞いて、私はふと時計を見る。
時刻は三時になろうとしている。今から草刈りをやって、日が暮れるまでに終わるだろうか。
でもクロワは一度言い出すと聞く耳を持たないから…
「凄い急だね…」
「善は急げ!それが私のモットーだから」
「初耳だけどな、それ」
私達はティータイムをゆっくりと過ごし終わってから動きやすい服装に着替え、小麦畑に向かった。
お店の向かいに大きく広がる平野、そこが私達の小麦畑。
でも去年に小麦を収穫してから放置していたので、雑草も背が高く伸びていた。
「これはまた大変そうだな…」
生い茂る雑草の多さにプレッツェがそう言葉を洩らした。
「でも一日あれば大丈夫だと思うよー。それじゃあ早速やりますか!」
私達は小麦畑の脇に建った小屋に入って草刈道具を探し始めた。
道具といっても、私が使うのは小さい鎌。これで草刈りするのはとっても大変。
「今年も手作業なんだ…そろそろトラクター買ってもいいんじゃない?」
「トラクターはねー、どうやって運転したらいいか良くわかんなくて…ね?」
「ならせめて電動の除草機とかどうだ…流石にこれじゃあ…」
プレッツェは小屋の中にあった小さい鎌を持って愚痴を言う。
「電動の奴って、何か怖いから…それに使い慣れてる道具のほうがいいじゃん!」
私はそう言って、小屋の壁に寄りかかって置かれた、彼女の身長ほどもある大きな鎌を手にした。
彼女がいつも草刈りに使うのはその大鎌。ずっとそれを使ってきたから、他の道具はどうも苦手らしい。
私達も大鎌の使い方をレクチャーしてもらったことはあるんだけど、全然使いこなせなくて結局小さな鎌で草刈りを行っている。
「クロワはその大鎌に慣れてるからいいかもしれないけど…」
「はーい、口を動かす前に手を動かそー!」
大鎌を持ってクロワは元気良く小屋から出ていった。私達も渋々後をついていった。
雑草を踏み分け、大鎌を構えるクロワ。私達はクロワから離れて畑の端に立った。
その小さな体に似つかわしくない大きな鎌は、まるで死神のよう。
本来あるべき使い方をしていることは分かっているんだけど、やはり邪悪なイメージしか浮かんでこない。
「さー、草刈り始めよっか!」
クロワはそう言って刃を地面と平行に揃えて、右から左へ一気に滑らせる。
刈り取られた草花がふわりと空を舞い上がって彼女を取り囲んだ。
一歩進んで腰を捻って鎌を振るう。彼女が通った跡に草花は一本も残らない。
「シュトーレ、私達も早く取り掛かろう」
ついつい見とれてしまってしまった。既にプレッツェはしゃがんで地道に草刈りを始めていた。
私も小さな鎌で少しずつ草を刈っていく。
しかし良く育った雑草はとても力強く、鎌で刈るのにも一苦労。
春の日差しは眩しく降り注ぎ、じりじりと汗が流れる。
茎を掴んで鎌で切るの繰り返し。幾度も幾度も同じ作業を行う。
「やっぱりクロワのスピードには敵わないな…」
プレッツェは遠方でどんどんと草を刈り取っていくクロワを見て呟いた。
私達はしゃがみこんだ場所の周りしか刈れていないのに対し、彼女は既に畑の端から端まで到達していた。
この小麦畑は0.25ヘクタールなので、一辺の距離は50メートル。
あんな小さな体で、あれだけの距離を大鎌を振りながら一切休まず進むのだから大したものだ。
私達も負けてられない…んだけど、流石にちょっと疲れた。
腰から提げていた水筒を持ってちょっとだけ水分補給。
コップに水を注いで飲んでいると、ふと目の前の草にいた毛虫と目が合った。
「…毛虫、いたんだ」
私が毛虫を見てそう言うと、後ろで大きな音がしたので急いで振り返った。
するとプレッツェが思いっきりしりもちをついて倒れているではないか。
「大丈夫、プレッツェ?」
「あ、ああ…ハハッ、ちょっと疲れてただけ…」
プレッツェの近くの雑草を見回してみると、ポツポツと毛虫がいるようだった。
この毛虫はアメリカシロヒトリみたいなので刺される心配はない。
それに軍手もつけてるし、折角だから私は近くの毛虫を手に持ってみた。
「ちょ、ちょっと待てシュトーレ。そんなもの持って何がしたいんだ…?」
「何となく、手に乗せてみたくて。プレッツェもそこの毛虫掴んでみたら?プニプニしてて気持ち良いよ」
私は彼女の目の前にいた毛虫を指差した。
それを見たプレッツェはしりもちをついたポーズのまま物凄い速さで後ずさりし、畑道まで下がって行ってしまった。
「こ、こいつ等いつの間に…!?」
「だって雑草は毛虫のご飯だし、いてもおかしくはないんじゃないかな。それよりほら、プレッツェ」
私は毛虫を持ったままプレッツェに近づいてみた。
そういえば、彼女は前々から毛虫を見るとこんな反応を示していたっけ。
私が近づくにつれ、プレッツェの顔は恐怖で青くなりだす。
「シュトーレ、ス、ストップだ!私が何をしたって言うんだ…!?」
「…プレッツェいじめるの楽しいから」
「お、お前…覚えてろ…!」
いつもクールな彼女がこんなに動揺しているんだ。見ていてとても面白い。
もうすっかり退くことも出来なくなったプレッツェに近づき、そっと彼女の膝に毛虫を置いてみた。
太陽の光もオレンジ色に変わりだした頃、小麦畑に彼女の絶叫が響き渡った。
「…それで、私が草刈り終わるまでずーっと遊んでたんだー」
もう日が沈みかけた頃、大鎌を担いで只ならぬ威圧感を放つクロワの前に、草まみれになった私達はちょこんと正座していた。
毛虫騒動から勃発したのは、切った草を丸めて投げつけあう壮絶?な草投げ合戦だった。
幸か不幸か、私もプレッツェも運動神経が良くて思った以上に白熱してしまい、気がついたらクロワが畑の草刈りを全て終わらせてしまっていた。
「…確かにやりすぎたのは反省している。でも元はといえばシュトーレがだな…」
「言い訳はだめー!二人には罰として後片付けしてもらうんだからねー」
クロワはそう言い残してすたすたと小屋のほうへと去って行き、しばらくして二本の箒と水の入ったバケツ、それにライターを持ってやってきた。
「雑草を一箇所に集めたら燃やすこと!そろそろ日が沈むから先に火をつけてからでもいいけど、気をつけてねー」
「え、全部集めるの…?流石にそれは…」
「終わるまで夕飯無しだから、頑張ってねー!」
私達の前に道具一式を置いて、クロワは手を振って店のほうへと戻って行ってしまった。
「…やろうか」
「そうだな…」
私達は箒を持って立ち上がり、まずは近くに散らばった雑草を軽く集めた。
そしてそれに火をつけると、雑草はゆっくりとメラメラ燃え始めた。
まだまだ春のこの時期は日が沈むと肌寒い。暖かい炎の前で私達は一息つく。
「そういえば…初めて草刈りしたときもプレッツェは毛虫に驚いていたっけ」
「ん、そうだったか…そうだろうな…アレだけはどうしても慣れなくてな」
「もう三年目なのに、まだダメなんだね」
「誰にだって苦手なものはあるさ…にしてももう三年か、短かったな」
クロワが私達をパン屋で働かないかと呼び掛けてくれたのが三年前。
私達三人は小さい頃からの親友だったんだけど、それぞれの歩む道が違って一度は離れ離れになった。
でも色々あって今はまたこうやって三人一緒に働いている。
そう、色々と…
「シュトーレ、どうかしたか?」
「あ、ううん何でもない。ただ確かにあっという間だったなぁって思って」
「…だな」
ポツリと返事をするプレッツェの顔はどこか憂いを含んでいるようだった。
「それだけ…皆と一緒にいることが楽しいんだろうね」
「ああ…さ、おしゃべりはこのぐらいにしとかないと晩飯が食えないからな」
プレッツェはそう言って小麦畑に一列に積み上がる雑草のほうへ向かって行った。
私達はしばらく雑草を炎の近くに集めては燃やし続ける。
そして全ての雑草を集め終わった頃には既に辺りは真っ暗になっていた。