窮鼠
【ビアンコステラ】が支配するポースシェル・シティは、かつては俗に【ビースト・ダンプ(野獣のゴミ捨て場)】と呼ばれていた。
ポースシェルに集まったのは主にイタリア系移民のあぶれ者だったが、そこにはまともな職は無く、やむなく犯罪に手を染める者がほとんどだった。当時のポースシェルはそのものが大規模なスラム街と言っても過言ではなく、力の弱い者が更に弱い者を喰らい、強者は自分の欲望を満たすために暴力を振るい、救いも無く、希望も無い、一度落ちれば抜けられぬ蟻地獄のような状況が続いていた。
そんな街を変えたのは、十代そこそこのひとりの少年だった。
少年の名はディーノ・ビアンキーニ。彼は【ビースト・ダンプ】を牛耳るマフィア【ビアンキーニ・ファミリー】のボスの息子だった。父親から組織を受け継ぎ、それまでの方針を改めて【ビアンコステラ】と名前を変え、【ビースト・ダンプ】の浄化に努めたのだった。ディーノの英名は後に伝説のように語られ、現在では大物のマフィアからも一目置かれる存在となった。
【ビアンコステラ】について、アルフォンソはマルクからそのように聞いていた。アルフォンソにとって現ボス——ディーノ・ビアンキーニの英雄譚などどうでもよかったのだが、『ピエトロ・オーロ』という人物について知るためには必要な情報になるかもしれない。
マルクの指令を受けたニーノと共に、アルフォンソは『コジモ』という男に会うため西へ向かっていた。列車に揺られること約二時間。一面に広がる麦畑を通り抜けると、ヒースターという名の田舎町へと至る。
足元を流れる川のせせらぎや、鳥や虫の鳴き声が聞こえるのみで、遊び回る子どもの声も、酔っ払いの奇声も、短気な運転手が立てるクラクションの音も無い。のどかな風景と言えば聞こえはいいのだが、崩れかけた建物や、蔦の絡まった家々を見ていると、『田舎町』というよりは廃墟の並ぶ『ゴーストタウン』と形容したほうがしっくりくるような感じだ。これが怪奇小説だったなら、目の虚ろな住民たちによって町に閉じ込められ、カルト染みた民間信仰の生贄にでもされそうな雰囲気だ。しかし実際はそんなことはなく、それどころか本当に人が住んでいるのかと疑いたくなるほど、誰の姿を見ることもすれ違うこともなく、アルフォンソたちは目的の家へと辿り着いた。中からラジオの音が聞こえるので人は居るようだ。アルフォンソはニーノに目配せし、玄関から離れさせると、懐から回転式の拳銃を取り出して脇に構えた。ニーノは周囲に目を光らせ、人影が無いことをアルフォンソに身振りで伝える。アルフォンソは頷き、扉をノックした。
数秒待つが、動きは無い。再び、今度は少し強めに扉を叩く。やはり、返事は無かった。
一呼吸分の沈黙の後、アルフォンソは脚を振り上げて扉に思い切り蹴りかかった。鞭のようにしなる脚が、乾いた木製の扉を粉砕する——かと思いきや、扉は内側から開かれた。家の住民は扉の身代わりにアルフォンソの蹴りを鳩尾に受け、「ぐえぇ」と情けない声を漏らして蹲る。
「おや、いたんですか?」アルフォンソはその小太りの男を見下ろし、悪びれもせずに言う。「返事くらいしてくださいよ」
「ひ、ひえぇ……なんなんだよぉ……オレはもうあんたたちとは関係無いだろぉ……」
アルフォンソもニーノもその男とは初対面だったが、マルクから渡された写真と見比べて、彼が目的の人物『コジモ』であると確信した。
「よせよアル。いったんその銃も仕舞え」アルフォンソを嗜め、ニーノは男の前にしゃがみ込んで視線を合わせた。「安心しろよおっさん。おれたちは死神じゃねぇ。ちょっと話を聞かせてくれねぇかな」
コジモはかつて、ピエトロの部下として【ビアンキーニ・ファミリー】に所属していた。新たなボス、ディーノ・ビアンキーニに反発したピエトロと共に追放され、人目を忍んで街から離れたこの場所に隠れ住んでいたようだ。
「いいか、おれが訊きたいことはふたつだ」ニーノは煙草を咥え、指を二本立てて男に示す。「まずひとつめの質問だが、これに答えられたらアンタは解放してやる。……だがでまかせや嘘を吐いたらどうなるか、言わなくてもわかるな?」
男はこくこくとうなずく。
「いいね。物分りのいい奴は長生きするぜ」ニーノは煙草に火を吐け、一息煙を吐き出してから続ける。「簡潔に答えろ。『ピエトロ・オーロ』はどこにいる?」
コジモは口を開けたが、声は出なかった。しばらく口をぱくぱくさせて躊躇っている男に痺れを切らし、アルフォンソが彼の人差し指をへし折った。コジモが悲鳴を上げる。
「なんだ、大きい声出せるんじゃないか。もう一度質問だ。『ピエトロ』はどこだ?」
「し、知らねぇよお……! オレァ、オレはあの人とはもう何年も会ってねぇんだ! 本当だ、信じ……」
ベキッ。
痛々しい音に、ニーノは思わず眉を顰める。アルフォンソは顔色ひとつ変えず、男の中指をあらぬ方向に捻じ曲げていた。
「ぎゃああああ……! だ、だから本当に、本当に知らないんだって……!」
「……なんか、かわいそうになってきたな」
「知らないならしょうがないですね。……そろそろ首いきます?」
「いや、まだもうひとつ質問が残ってる」
とぼけているだけかとも思ったが、指を二本折られたくらいで失禁するような男にそれだけの度胸があるとは思えない。
「ダメ元で訊くが……ベッペ・パローラが昨晩、酒の密輸現場を押さえられて捕まった。おれたちはパローラさんの部下に裏切り者が紛れてると踏んでるんだが、なにか知らないか?」
その質問を聞いた瞬間、コジモの目の色が変わった。ニーノはただならぬものを感じてたじろぎかけるも、すんでのところで踏み止まる。
「ベッペ・パローラ……そうか、奴がしょっぴかれたか……くくく……」
何度聞いても慣れない鈍い音が鳴った。男は悲鳴を上げるが、なにがおかしいのかまた笑い出す。
「気でも触れましたか? 真面目に答えてくれないと指が無くなりますよ」
アルフォンソの声には苛立ちが混じっていた。早く情報を聞き出さないと、後先考えずにトドメを刺してしまいそうな雰囲気だ。
「『ピエトロ』の昔の仲間が関係してるのか? 奴の目的はなんだ? 答えろ!」
男はひとしきり笑い、そして吹っ切れたように、あるいは勝ち鬨を上げるかのように言い放つ。
「『復讐』さ! てめぇらのボスがおれたちにした仕打ちのようにな! 【ビアンコステラ】はもう終わりだ!」
その言葉が終わった直後、閑散とした町に銃声が響いた。