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BEAST DAMP  作者: 遊獅
18/18

帰る場所

 ギーゼラ・ハインの一味がビアンキーニ邸を襲った事件から、半年が過ぎようとしていた。春が終わり、夏が過ぎ、港から吹く風に肌寒さを感じ始めた頃、改装を終えたヴィオーラに一人の男が駆け込んだ。

「シルヴェリオ! 匿ってくれ!」

 白昼堂々飛び込んで来たのはニーノである。シルヴェリオは散髪中の客に一言断ってから、困惑した様子で彼に駆け寄った。

「久しぶりに顔を見せたと思ったら、また喧嘩ですか? 昼の営業中はお客さんの迷惑になるからやめてくださいって言ったじゃないですか」

「マジごめん! 迷惑はかけないから、ちょっとだけ隠れさせてくれ!」

 シルヴェリオの返事も待たず、ニーノは店の奥へと向かう。その直後、再びヴィオーラの扉が開いた。入って来たのは厳しい顔をした黒髪の男である。確か名前はハーバートといったか。ニーノの仲間で、幹部の補佐をしている人物だったはずだ。

「シルヴェリオ君」ハーバートは語気を強めてこちらを見る。怒っているというよりは、焦っている感じだ。「ニーノがここに来ただろう」

 ははん、とシルヴェリオは思った。

「やっぱりあの人、仕事の途中で逃げ出して来たんですね……ニーノさんだったら奥に」

「ニーノという方なら、裏から出て行ったようですよ。ほら、あの建物の向こうに」

 散髪中の客が、控えめに声を上げた。彼女が指差す窓を見遣ると、確かになにかが建物の陰に見えた気がする。

「まったくあいつめ、幹部に昇格した途端にこれだ。騒がしくしてすまなかった。ニーノが来たら捕まえておいてくれ」

 ハーバートは早口にそう言って、店を飛び出して行った。

 ビアンキーニ邸が襲撃された際、幹部であったマルク・アメリアが重傷を負ったことは噂で聞いている。一命は取り留めたものの、マルクは怪我を機に引退を宣言し、その後釜として息子のニーノを指名したのだった。ニーノがヴィオーラに顔を見せなくなったのはそれからである。仕事の引継ぎに追われ、出掛ける余裕もなかったのだろう。元々仕事熱心なほうではないニーノが逃げ出したくなるのもわからなくもない。

「行ったか?」

 店の奥から聞こえた声に振り向くと、トイレの扉からニーノの顔が覗いていた。

「あれっ!? 居たんですか?」

 ではさっきの影はなんだったのか。大方、野良猫かなにかだろう。

「居たんですよ」何故か得意そうである。「それにしても助かったぜー、どこの誰だか知らねえけどありがとな!」

「ああっ、なにやってんですかお客さん相手に……!」

 ぽんぽんと客の肩を叩くニーノにハラハラしていると、客はすっと立ち上がって振り向いた。散髪用のシートに乗っていた金髪がぱらぱらと落ちる。

 彼女の顔を見るなり、ニーノが「ひぇっ」と息を飲む音が聞こえた。

「お知り合いですか?」

 シルヴェリオは客に問いかける。彼女は右頬の火傷の痕を歪ませて、柔らかく微笑んだ。

「友人の友人、ってところかな」

「んなっ、ななな、なんであんたがここに居るんだよ!?」

 ニーノの狼狽ぶりは尋常ではない。

「この店には腕のいい理髪師が居ると聞いてね」

「そういうことじゃなくてだな……」

「散髪の途中なんだ。話は後にしてくれないかな。お仲間も巻いてあげたんだから、時間はあるだろう?」

 すぐに終わるからと伝えると、ニーノはその場で待つことにしたようだ。ソファに腰掛け、数分も経たないうちに船を漕ぎ始める。

「お疲れさまでした。終わりましたよ」

 シルヴェリオが声を掛けると、客の女性は鏡に映った自分の姿を見てうなずいた。

「うん、なかなかいいじゃないか」

「でも、少しもったいないですね。綺麗な髪だったのに」

 店を訪れたとき、彼女の髪は腰までの長さがあった。綺麗なプラチナブロンドの、絹のような髪だった。ショートヘアにしてくれと注文を受けたとき、シルヴェリオは鋏を入れるのを躊躇ったが、客の満足そうな顔を見て内心ほっとする。

「いいんだよ。これは『けじめ』だからね」

 失恋でもしたのだろうか。野暮なことは訊けないが、少し気になる。

「もうすぐお昼の休憩に入るんで、よかったら召し上がっていきませんか」

「いいのかい? 助かるよ。私はこの辺りの地理は疎くてね」

 昼食の準備を終えてニーノを起こすと、彼はげんなりした様子で呟いた。

「夢じゃなかった……」

「そんな顔するなよ。せっかくの料理がまずくなるだろう?」

 トマトベースのクラムチャウダーに付けたバゲットを口に運びながら彼女は言う。

「ここ半年おとなしくしてると思ったら、今度はなにを企んでるんだ? ギーゼラ・ハイン」

 ギーゼラ・ハイン? どこかで聞いたような名だが、誰だったか。

「なに、『約束』を果たしてもらいに来たんだよ。君たちのボスとは連絡が取れないし、このままはぐらかされたんじゃ面白くないからね」

「アルフォンソのことか?」

「なんだ、覚えてるんじゃないか」

「別に忘れちゃいないさ。ちょっと後片付けに手間取ってるだけだ」

「【ビアンコステラ】が一枚岩じゃないってことが世間にバレちゃったからね」

「誰のせいだよ……」

「それはともかく、アルフォンソは今どうしてるんだい?」

「仕事だよ。【ビアンコステラ】の裏切りに関わった連中を探してる。相変わらず無茶してっから、尻を拭うのも楽じゃないぜ」

「……君は」パスタを突付く手を止めて、彼女はニーノを見据える。猛禽のような鋭い眼差しで。「前に言ったね。『あいつの面倒を見る義務がある』って。私は未だにどうしても納得できないんだ。あの子は【怪物モストロ】の一員だった。その事実を知って、どうして君は平然としていられるんだ? あの子は君の友人だったかもしれない。でもそれは、君があの子の過去を知らなかったからだ。あの子の暗い過去を知っても、君はなんとも思わないのか?」

「なあに、暗い過去の一つや二つ、誰にだってあるさ。特にこの町の連中にはな」頬張った肉団子を租借しながら、ニーノは軽い調子で答える。それを飲み込み、彼は少し困ったような笑みを浮かべた。「まあおふくろの仇だって言われたときには、ちょっとばかり面食らったがな。簡単に許せるわけねえよ。今だって許しちゃいない。けどなあ、それでも、あいつはおれのダチなんだよ」

 ニーノはそう言って屈託無く笑った。

「仇なのに友達? よくわからないな」

「それなんだが、実はおれにもよくわからん」

「……おれは、なんとなくわかります。ニーノさんの言いたいこと」差し出がましいと思いつつ、シルヴェリオは控えめに口を開いた。「アルフォンソさんがお母さんを殺めたのは、本人から聞いたので事実なんでしょう。でも、ニーノさんとアルフォンソさんが友達だったっていうのも事実です。恨んでも許しても、どちらにしろ過去の事実は変わらない。そういうことですよね? ニーノさん」

「……」

「……」

 呆気にとられたような視線に晒されて、シルヴェリオは急に居心地が悪くなる。

「すっ、すみません! わかったようなことを……」

「いや、そうだよ。そういうことなんだよシルヴェリオ!」にわかに勢いを取り戻したニーノが背を叩いてくる。痛い。「恨んでもおふくろが生き返るわけじゃねえ。かといって許しちまったら浮かばれねえ。だからおれは両方取ることにしたのよ。あいつにはきっちり責任を取ってもらう! ってな!」

「やあ、ずいぶん賑やかですね」

 その声を聞いた瞬間、ニーノはぴたりと動きを止めた。視線を向けると、入り口のそばにアルフォンソが立っていた。

「おや、噂をすればって奴かな」

「【ビアンコステラ】の新幹部が『野良犬』と談笑ですか。これはハーバートさんに報告しなきゃいけませんね」

「ちょっ、待て待て! 飯食ったら仕事に戻るから! それだけはやめてえ!」

 やれやれ。相変わらずだなあこの人たちは。

「……『新しい群れ』か」ギーゼラと呼ばれた彼女は、ニーノとアルフォンソのやりとりを眺めながらしみじみと呟き、立ち上がる。「ごちそうさま。お代はここでいいかな」

「あっはい。ちょっと待っててくださいね、今お釣りを……」

「お釣りはいいよ。チップだ。私は西地区で診療所をやってる。治安なら心配無いよ。あそこは知り合いも多いからね。なにかあったらおいで。サービスするから」

 医者のサービスとは一体なんだろう。

「ありがとうございます。よかったら、また来てくださいね」

「また来るよ。それじゃ」

 すれ違い様、彼女はアルフォンソに微笑みを向けた。アルフォンソは迷惑そうな顔をしてギーゼラを見返す。

「うちのシマで診療所やる許可なんていつ取ったんですか」

「一度追放された身とはいえ、『賭け』の約束があるからね。ポースシェルに住むことは君たちのボスに承諾を得てる。でも仕事がなくちゃ生活ができないだろ?」

「……したたかな女だ」

「君に倣って、私も新しい生活を始めてみようと思ってね。【怪物】に代わる居場所を、もう一度作ってみようと思うんだ」

「ま、せいぜい【ビアンコステラ】に目を付けられないようにしてくださいね」

「気をつけるよ。ところで」そう言って、ギーゼラはアルフォンソの背後を指差す。「今君のお友達が向こうに走って行ったようだけど、いいのかい?」

 見れば今度は確かに、ニーノの後姿が大通りの向こう側に走って行くのが見えた。アルフォンソは「あの野郎!」と叫んで、銃弾の如く走り出す。

 見慣れた光景を眺めながら、シルヴェリオは束の間の幸せを感じていた。あの二人の関係が壊れなくてよかった。けれど、思えば最初から心配する必要などなかったのかもしれない。だって——

 彼らにとって、お互いの存在こそが、帰る場所なのだから。

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