変わらないもの
「アル……アルフォンソ、どうしてそんなところにいるんだ。こっちにおいで」
手を差し伸べるギーゼラの震える声など届いていないかのように、アルフォンソはラジオのように喋り続ける。
「やっぱりアンタも居たんですね、ニーノ。まったく、憎まれ口を叩く割には義理堅いんだから」
「うるせえよ馬鹿。てめえ、ギーゼラは自分でケリつけるとかなんとかかっこつけて行った割には、出てくるのが遅いんだよ」
「気が変わったんですよ」アルフォンソは軽い調子で言いながら、手摺からバルコニーへと降りる。「ギーゼラの狙いが僕を取り返すことなら、彼女と心中でもすれば丸く収まるかと思ったんですが……。この騒動、ギーゼラを殺すだけじゃ収拾つかなそうだったんでね」
「どういうことだ?」
「こういうことです」
首をかしげるニーノに、アルフォンソは道中で拾った夕刊を投げた。見出しにはレオンツィオの部下が殺害された現場の写真が幾つか載っており、『【ビアンコステラ】構成員惨殺! 十年前の悲劇が繰り返されるのか!?』と煽る文句が掲げられている。記事ではアルフォンソが殺害の疑惑を掛けられた事件と、西地区でギーゼラにより繰り広げられた殺戮を取り上げ、十年前にディーノ・ビアンキーニが行った『建て直し』の件と絡めて語られていた。一般の市民は【怪物】の存在など知る由も無い。街を支配するマフィアが不安定な状況になっているとすれば、いつ自分のところに火の粉が降りかかるか、不安に思うのも無理は無い。
「ギーゼラ・ハイン。【ビアンコステラ】を敵に回した時点でアンタの敗北は決まっていたんだ。無駄な悪あがきのせいで、どれだけの人が迷惑を被ったのかわかるか? アンタを裁くのは僕でも、【ビアンコステラ】でもない。ポースシェル・シティだ。アンタは人間の法で裁かれるべきなんだ」
「どうしてそんなことを言うんだ、アルフォンソ。私は、君のために……」
「違う。僕はアンタの元に帰りたいなんて一言も言ってませんよ。寂しかったのはアンタのほうでしょう。僕の知ったことじゃない」
「君のことをわかってあげられるのは私だけなんだよ。アル、私たちは……」
「……アンタは、かわいそうな人だ」
台詞とは裏腹に、アルフォンソの口調は冷徹だった。まるで死刑の宣告でもするかのように。アルフォンソはゆっくりとギーゼラに歩み寄り、手を差し伸べる。そして彼女の首を掴んだ。
「アル! なにを……」
ニーノが咎めるが、アルフォンソは無視した。締め上げる真似をしながらも、その手に力を込めることはない。
「私を殺してくれるんじゃなかったのか?」
「さっきも言ったでしょう。アンタを裁くのは僕じゃない。残念ながら、僕は快楽殺人鬼じゃないんでね。抵抗しない獲物なんて殺しても、後味が悪いだけです」
ギーゼラは少し悲しそうな顔をして、そして諦めたように微笑んだ。
「わかってたさ。私の知っているアルフォンソはもう居ないんだってことは。あれから十年近くも経ってるんだ。変化があったっておかしくない。でも、私は変われなかった。今更普通に生きるなんてできるわけなかった」
「……罪悪感ですか?」
「いや」ギーゼラは静かに首を振る。「そんな単純なものじゃない。前にも言ったろう、私達は『人喰い』だ。【怪物】は人間とは相容れない。君ならその意味がわかるはずだ」
「ええ、よくわかります。人殺しが人並みの幸せを望むことなんて許されるはずはない。だからこそあなたは『怪物』であろうとしたんでしょうね。自分は他の人たちとは違う。だから馴染めないのはしかたないんだと。僕もそうでした。少なくとも、ついこの間までは」
「君を変えたのはニーノ・アメリアだね?」
アルフォンソは鼻で笑う。そこに嘲笑の意志はなく、若干の感嘆と恥じらいがあった。
「馬鹿言わないでください。マルクさんならともかく、あいつはそんな立派な人間じゃありませんよ」
「おーい、本人ここにいるんだけどー?」
間の抜けた声が飛んでくるが、聞こえないふりをする。
「アンタはまだ勘違いをしているようですね。ギーゼラ・ハイン。僕は昔からなんにも変わっちゃいない。だからここに居るんです。【ビアンコステラ】——マフィアにね。アンタは【怪物】を捨て切れなかったようだけれど、僕は新しい群れで生きることを選んだんです。せっかく見つけた新しい居場所を、アンタに壊されちゃ困るんです。だからアンタには後片付けをしてもらいます」
「この事件の首謀者として自首しろ、とでも?」
「コンクリ詰めにされて海に沈むよりはマシでしょう」
「私にとってはどちらも同じだよ。……いや、コンクリ詰めのほうが幸せかも」
「じゃあコンクリ詰めにして警察に突き出しましょうか?」
「……はは、やっぱり変わったよ、君は」
ギーゼラに抵抗する意志が見られないので、アルフォンソは手を離した。
「これでおしまいか? ずいぶんと味気ない幕切れだな」
白いスーツを着た金髪の男が、不満そうにぼやいている。誰だ? このふてぶてしい男は。
「まあまあボス、丸く収まったんだからよかったじゃないですか」
マルクが男の肩を叩き、軽い調子で言う。なんだ、この男がボスだったのか。想像してたよりも貧弱そうだが。それじゃあ、
さっきから奥に立っている、あの黒衣の男は一体誰なんだ……?
「ボス! 後ろ!」
男の口が笑ったように見え、アルフォンソは叫んでいた。そして走り出す。ディーノが振り返ったとき、彼の目の前には凶刃が迫っていた。まさか伏兵が居るとは思いもしなかったのだろう。ナイフを構えるのが一瞬遅れる。ディーノと黒衣の男の間に人影が割り込んだ。刃はその人物に吸い込まれ、止まる。
数秒、時が止まった。長い沈黙である。
黒衣の男が刃を引き抜く。足元に水溜りができていた。崩れ落ちた、マルク・アメリアの血によって。
ディーノが振るった刃の煌きも、父親を呼ぶニーノの悲痛な叫びも、アルフォンソには見えず、聞こえなかった。彼の全ての五感は既に『獲物』へと照準を合わせている。『獲物』が逃げ込むであろう唯一の出入り口へと回り込むと、相手は逃げられないと悟ったのだろう。腰に差した拳銃を引き抜こうと手をかけた。そうはさせまいとアルフォンソは迷い無く飛び掛る。男の手に握られた銃を引き剥がし、口に突っ込む。
数発の銃声の後、再び静寂が戻った。返り血のついた上着を脱ぎ捨て、アルフォンソはマルクの元へと駆け寄る。
「ニーノ! マルクさんは!?」
「駄目だ、畜生……! 血が止まんねえ……!」
半ばべそをかきながら傷口を押さえるニーノの肩に、ディーノ・ビアンキーニが手を置く。ディーノはニーノの手をどかして傷口を確認すると、すっと立ち上がってギーゼラのほうを見た。
「ピエトロ……いや、ギーゼラ・ハイン。これをどう思う?」
「急所は外れてるね。やっぱり訓練した暗殺者じゃないから一撃で仕留めるのは難しかったかな」
「なら命に別状は無いと?」
「いや、彼らの武器には毒を使ってる。放っておけばじきに死ぬ」
「てめえ、ふざけてんじゃ……!」
「待ってくださいニーノ。ボスに任せましょう。とにかく止血をしないと」
ニーノをなだめながらも、アルフォンソ自身も気が気ではなかった。一刻も早く治療をしなければ、毒にやられる前にショック死してしまう。
「ギーゼラ・ハイン。貴様は医者でもあったな」
「それがどうした?」
「賭けをしよう。貴様が勝ったら、なんでも望むものをくれてやる」
「マルク・アメリアを助けろっていうのかい? 嫌だよ。どのみち彼が居なくなれば、アルフォンソは私のものになるんだ」
「あの仔狼が主人の仇に懐くと思うか?」
「あの子に殺してもらえるなら本望さ」
「……だとさ。どうするね、アルフォンソ・ビガット」
ディーノがこちらを振り向き、問いかける。いちいち癪に障る男だ。答えなんてわかりきっているくせに。
「いいから早くマルクさんを助けてください。でなきゃ、僕はマルクさんの後を追って死にます」
「ブラボー、実に単純明快な答えだ。さて、ギーゼラ・ハイン。マルク・アメリアの命を救うことができれば、君をアルフォンソ・ビガットと共に暮らせるようにしてやろう。ただしそれができなければ君は牢獄行きだ。アルフォンソ・ビガットとは永遠に会えなくなる。さあどうする?」
「……まったく、そういうところが嫌いなんだよ。ビアンキーニ」ギーゼラは溜息混じりにそう言って、薄い微笑みを浮かべた。「いいだろう。賭けに乗ってやるよ」




