獅子と狐
塵ひとつない石畳の上を車は進む。ちょっとした運動場程の広さのある中庭は、木々の枝一本一本、芝生の刈り方から庭石の置き方まで、ずいぶんなこだわりを持って整備されている様子が窺える。目立った派手さこそないが、マフィアのボスとしての権威を示すには充分な貫禄だ。
しかしニーノは始終違和感を禁じ得なかった。その違和感の正体に気付いたのは、玄関の前に一人の男が現れたときだった。その男は白いスーツに身を包み、日向にまどろむ獅子の如く悠然と佇んでいた。照明に浮かび上がるその姿はさながら一枚の絵画のようであり、それでいて近寄り難い危うさを感じさせる。彼は彫刻のように微動だにせずにいたが、ニーノに支えられながら車から降りたマルクの姿を見止めると、口の端を吊り上げてニヒルに笑った。
「遅くなって申し訳ありません、ボス・ビアンキーニ」
そう言って恭しく頭を下げる父親に、ニーノも慌てて倣う。
「『それ』が君の倅か、マルク・アメリア」
屋敷の主、ディーノ・ビアンキーニはニーノを一瞥してそう言った。いきなり『それ』呼ばわりされたが腹は立たなかった。それどころではなかった。まさか門を潜って早々、ボスに謁見することになるとは! 出迎えなんぞ使用人なり護衛なりがやる仕事ではないのか。それともマルク・アメリアという人物は、ボス自ら出迎えなければならないほどの重鎮だとでもいうのだろうか。
ディーノとマルクは一言二言言葉を交わしたが、その内容はニーノの頭には入って来なかった。歩き出した二人の後を、ニーノは慌てて追いかける。とはいえディーノの歩調はマルクに合わせているので、引き離されて迷子になる心配は無かった。
「使用人には休暇を取らせているんだ」ディーノは廊下を歩きながら話し始める。「この屋敷を一人占めするのも面白いと思ってね。静か過ぎて、存外退屈だが」
「またいつもの思い付きですか」
「あれは君の部下の仕業だそうじゃないか、マルク・アメリア」
「港の爆発ですか?」
「【怪物】の仔狼を飼うなんて君が言い出したとき、これは面白いことになるなと私は思ったよ。思った通りだった。君は期待を裏切らないな、マルク・アメリア」
いちいちフルネームで呼ぶのは、癖かなにかだろうか。鳴き声かもしれない。
「さて、」ディーノは急に立ち止まると、くるりと振り返った。「人生は楽しいかね?」
その突拍子も無い質問が自分に投げられたものだとは、すぐにはわからなかった。マルクがこちらを見たので、ニーノは焦りつつもなんとか答えようと頭を働かせる。
「私は楽しい!」
自己完結された。時間切れのようだ。
「先は見えない。やり直しも利かない。自分が打った一手が思い通りの結果を生むとは限らない。こんなに面白いゲームが他にあろうか! ゲーム? そう、ゲームだ! 私と、この世界との遊戯だ。この世界は私が最良の運命に辿り着くための盤だ。では駒は誰か? 君たちだ。【ビアンコステラ】、【怪物】、ポースシェル・シティ……全て私の駒に過ぎぬ。——まあ、思い通りに動くとは限らんがな——光栄に思いたまえ。プレイヤーと話せる駒など滅多に無いぞ」
どうやらこのディーノ・ビアンキーニという男、レオンツィオ・サリエリとは別の部類の『めんどくさい人種』のようである。もっとも、このくらいぶっ飛んでいなければマフィアのボスの地位を父親からぶん取るような真似などできないだろうが。
「ゲームは自らの手で動かしてこそ……と、今までは思っていたのだがな。たまには観客に回るのも悪くない」急になりを潜めたかと思うと、彼は両手を広げて大仰に叫ぶ。「舞台は用意してやった! せいぜい楽しませてくれたまえ!」
その言葉が終わるか終わらないかという内に、腹に響く重低音と共に地面が揺れた。地震か、と思ったのも束の間、今度は外から大勢の怒号が聞こえる。大窓から外を見遣れば、つい十数分前に通った中庭に押し寄せる人間たちの姿が見えた。ざっと二十人程度だろうか。黒い影たちが、一匹の獰猛な獣と化して咆哮を上げている。ニーノはアルフォンソが別れ際に言っていたことを思い出す。
「ギーゼラ・ハインか……!」
「ふん、地下通路が爆破されたようだな」
ニーノは浮き足立つが、標的であるはずのディーノは笑みすら浮かべて余裕を見せている。流石は我らがボス、頼もしい限りだ。
「退路が塞がれるとは予想外だったな。あの隠し通路が見付かってしまうとは」
なんか不安になる台詞が聞こえたが、聞かなかったことにする。
「と、とにかく逃げないとヤバイっすよ! 親父! 銃とかナイフとか持ってないのか!」
「親を便利な道具箱みたいに言うんじゃありません。そんなものあるわけないでしょう」
「なんでだよ! 護身用の武器くらい持ってろよ!」
「心配には及ばん。この屋敷には優秀な番犬が居るのでね」
不敵に笑うディーノの背後の窓硝子が、けたたましい音を立てて弾け飛んだ。飛び交う銃弾、悲鳴、絶叫、怒号の嵐が、穿たれた穴から雪崩れ込む。
硝子を叩き割ったのは黒い服を纏った男の身体だった。既に全ての動きを止めた男の傍らに、別の男の姿があった。レオンツィオ・サリエリである。なるほど、襲撃の件については既に対策を講じていたというわけだ。
「レオンツィオ・サリエリ!」
主の呼びかけに、レオンツィオは素早く振り返る。
「『獅子』の名に恥じぬ働きを期待しているぞ」
「御意」
誇らしげな微笑みと共に、彼は短く返事をして硝煙の中へ身を投じて行った。
「巻き添えを食いたくないのならついて来るがいい。特等席へ案内してやろう」
外の喧騒など歯牙にもかけず、ディーノは悠々と歩き出す。
階段を上っている途中、上の階から駆け寄って来る者があった。味方にしては妙に殺気立っている。案の定、その黒衣の男の手には凶悪な光を宿す刃が握られていた。男は階段を飛び降り、先頭に立つディーノ目掛けて刃を振り下ろす。ディーノは避けようともしなかった。眉ひとつ動かさず、銀幕の中の活劇を眺めるかのように。
鈍い音がして、男の顔面をマルクの杖が強かに打ち付ける。流石にホームランとまではいかなかったが、襲撃者の意識を場外へ飛ばすには充分な威力だったようだ。
「今のはなかなか面白いショーだったぞ、マルク・アメリア」
「ふふ、お褒めに預かるとは光栄ですね」
呑気なことを言っている場合じゃない。今階段を転がり落ちて行った男の存在は、既に敵の侵攻を許してしまったことを意味している。マルクの不意打ちが功を奏したとはいえ、次はそうはいかない。ニーノは倒れた男に歩み寄った。まだ息がある。気絶しているだけのようだ。
「ニーノ、ボスの前なんだから追い剥ぎなんてやめなさい。みっともない」
「違ぇよ! っと、あったあった」
ニーノが男から剥ぎ取ったのは、空振りして落ちたナイフと二丁の拳銃、そして予備の弾丸を数ケース。ニーノは拳銃をディーノとマルクに一丁ずつ手渡す。
「私は銃は嫌いなんだが」
「一応持っててくださいよ。おれも親父も、あんたを守れる保障なんてないんだから」
「弱気だな。若い者はもっと後先考えないものだと思っていたが」
「すんませんね。おれみたいな普通の人間は、あんたみたいなカリスマとは違うんでね」
「ふん、気に入らんな」
ディーノはニーノが差し出した拳銃を押し戻し、代わりにナイフを取り上げた。
「銃は人を『守る』道具じゃない。『殺す』道具だ。引き金を引くからには確実に仕留めろ」
「んなこと言ったって、おれ銃なんてろくに撃ったことないっすよ」
「ナイフのほうが得意だとでも言うのか? そうは見えんがな」
「うぐぐ」
「まあ、せいぜい私を疲れさせないでくれたまえよ。ニーノ・アメリア」
そう言って、ディーノはまた悠々と歩き出す。彼はあくまで『観客』に徹するつもりのようである。ニーノは溜息を吐き、その後を追った。




