かませ犬
瞼を貫く光を感じ、ニーノは目を覚ました。
見慣れない部屋である。病室のようだが、どうやら個室のようだ。意識が覚醒するにつれて増す鈍痛に眉をしかめて、ニーノは昨夜のことを思い出す。身体中に包帯が巻かれているものの、怪我の程度は思いのほか軽いようだった。
「ニーノ! ああよかった、目が覚めたんだね」
「ラウロさん……アルは?」
ニーノは病室に入ってきたラウロに問いかける。
「あいつもここに居るんだろ?」
「ニーノ、目覚めたばかりで悪いんだけど」ラウロはエンドテーブルに水筒を置いて、言い難そうに切り出した。「マルクから話があるそうだ。病院には許可を取ってあるから、一緒にカスターノへ来てくれないか」
「……嫌っすよ」
「ニーノ」
「こっちは怪我人なんですぜ。用があるってんなら向こうから足を運ぶべきじゃないっすかね」
「ニーノ……」
「駄々を捏ねるんじゃない。これは命令だ」
「ハーバートさんも居たんっすか」
「おまえには幹部の命令を拒否する権利は無い。わかるな?」
「……わかりましたよ」
これ以上ごねたところで、結局はハーバートに担がれて連れて行かれるのは目に見えている。ニーノは渋々返事をして、固いベッドから身を起こした。
ラウロから聞いた話によると、西地区で倒れていたニーノは、近くを通りかかったレオンツィオの部下に助けられ——ニーノが大怪我を負う要因を作った連中の仲間に助けられるとは皮肉なものである——丸一日と十二時間眠っていたという。ニーノはギーゼラという女について尋ねてみたが、現場に女の姿はなく、自傷したアルフォンソも行方知れずとなっているようだ。
ラウロに支えられながら階段を上り、カスターノの店内へと入る。奥の席に座り、優雅にティーカップを傾けているマルクの姿を見た瞬間、ニーノは肌が粟立つのを感じた。痛みも忘れ、乱暴な足取りで駆け寄ると、彼は躊躇い無く父親の胸倉を掴んで叫ぶ。
「てめえ! よくも呑気に茶なんか飲んでられるな!」
「おやニーノ。思ったよりも元気そうですね」
マルクは平然としたものである。
「話逸らしてんじゃ……」
「ピエトロ・オーロの居場所がわかりました」
「……は?」
「君達のお陰でね。ピエトロ・オーロことギーゼラ・ハインは、怪我をしたアルフォンソの治療のため彼を連れて行きました。今まで我々の捜索から逃れていた彼女ですが、よほどアルフォンソのことが大事だったようですね。血を拭き取る余裕は無かったようです。アルフォンソの血を辿っていったレオンツィオ君の部下が、彼女のアジトを発見したという報告がありました。昨夜捜索したところ既にもぬけの殻でしたが、怪我をしたアルフォンソを連れていればそう遠くへは行けないはずです」
「……わかってたのか、こうなることが」
「ん?」
「ピエトロの正体がギーゼラって女で、そいつがアルフォンソを狙って今回の事件を起こしたのを知ってたのか? おれとアルを仕向けたのは、アルを囮にするためか?」
「ヴィオーラで騒ぎを起こした『野良犬』が『ピエトロ・オーロという男に頼まれた』と言っていたそうですが……恐らく別の『野良犬』を雇って言伝させたのでしょうね。当初は同姓同名の別人かと思いましたが念の為、君達に頼んだんですよ。事の真相を確かめるためにね」
「ピエトロがギーゼラなら、アル目当てに姿を現すとでも思ったんだろ?」
「そのとおり。寝起きの割には頭が冴えてますね」
けたたましい音を立て、テーブルに置かれていたティーセットがぶちまけられて粉々に砕け散った。ラウロがびくっと身を竦ませ、書類を纏めていたハーバートまでもが顔を上げた。
「冗談じゃねえ!」
アルフォンソはわかっていたのだろう。自分が『かませ犬』だったということを。
主人である猟師が確実に獲物を仕留められるようにすること。それが『猟犬』の仕事だ。獲物に反撃され怪我をするかもしれない。猟師の流れ弾に当たって命を落とすかもしれない。たとえどんな危険に晒されようとも、『猟犬』は獲物を追い続ける。役目をまっとうし主人に認められることが、犬にとっては至上の報いだからだ。
しかし、それは『犬』にとっての話である。
「あいつは『犬』じゃねえ!『人間』なんだぜ! ケダモノなんかよりずっと貪欲でわがままな『人間』だ!『自分が傷付いても、他人の為になれれば幸せ』なんて思うわけねえだろうが!」
マルクは相変わらず落ち着き払っている。
「……ああ、そうだよな。忘れてたよ。アンタは昔からそういう奴だった」ニーノは舌打ちをして、掴んでいた手を離した。「おふくろが死んだときも葬式に顔も出さなかった奴だ。息子が怪我しても、部下が危ない目に遭ってても、心配なんてするはずないんだよな。流石はマフィアの幹部サマだ。ご立派なこった。で、話ってのはもう終わりか?」
「ええ。話は終わりです。もう帰っていいですよ、ニーノ」
マルクは眉ひとつ動かさずにそう言った。それきりだった。
怪我などしていなければ、ニーノはテーブルを蹴飛ばしていただろう。しかし今のニーノは杖をついて歩くのがやっとだったし、よしんば脚が動いたとしても怪我を酷くするだけである。店の備品と自分の脚を破壊する代わりに、ニーノは粉々になった陶器の食器に唾を吐いた。これはカスターノのものではなく、マルクのお気に入りのティーセットだった。イタリア製の由緒正しい一品らしいが、そんなことは知ったことではない。
無言のままカスターノを出たニーノは、ちょうど店の扉に手をかけようとしていたシルヴェリオと鉢合わせした。
「わっ、びっくりした。怪我はもういいんですか? ニーノさん」
「どうしたシルヴェリオ。カスターノに来るなんて珍しいな」
「ニーノさんが入院したって聞いて……あ、そうだ、大変なんですよ」
「なんだ? いやちょっと待て。外で話そう」
派手にキレてしまった手前、今更店内に戻るのはとても気まずい。シルヴェリオと共に店を後にし、歩きながら話を聞くことにした。
「ニーノさんの部屋に忘れ物をしたのを思い出して、昨夜取りに行ったんですよ。そしたら、郵便受けにこれが」
そう言ってシルヴェリオが差し出したのは、一葉の手紙だった。使われている封筒はありふれたもので、差出人の名前は無い。手紙を受け取って封を切ると、中には短い文章とポースシェル・シティの地図が入っていた。
『先日は手荒な真似をしてすまない。君には真実を知る権利がある。同封の地図上の、印をつけた場所に来て欲しい。アルフォンソと共に待っている』
一瞬この手紙をマルクに見せようかとも思ったが、その考えを払拭するかのようにニーノは頭を振った。仮に組織の協力が得られたとしても、彼らがアルフォンソまで救出してくれるとは思えない。ハーバートやラウロも駄目だ。彼らに見せればマルクにも伝わってしまう。
「シルヴェリオ、今日暇か?」
「今日は日曜日ですし、地下もまだ改装が終わってないんで、仕事は無いですよ」
「……ちょっと付き合って欲しいんだが」
「えっ」
「いや無理にとは言わないが。おれ今脚がコレだからさ。手伝ってくれると嬉しいんだけど」
シルヴェリオは気の置けない友人とはいえ、堅気の人間である。本来であればマフィアと暗殺集団の因縁などに巻き込むわけにはいかない。断られても無理強いすることはできない。
「いいですよ」
「だよなー。悪かったな無理言って……って、え? マジ?」
「おれなんかがお役に立てるとは思えませんけど、それでもよければ」
『遠くの親より近くの友』とはよく言ったものである。見舞いにも来ないような父親なんかよりも、十年来の付き合いのある友人のほうがよっぽど頼りになる。
「ニーノさん? 大丈夫ですか?」
「うっ……泣いてなんかいないぜ……ッ! これは心の汗だぜ……ッ!」袖でごしごしと目を擦って、ニーノは顔を上げた。「よし、それじゃあ行くとするか!」




