怪物
「久しぶり。会えて嬉しいよ、アルフォンソ君」
火傷の跡を歪ませて、女は微笑む。一昨日ヒースターで始めて見たときと同じように。いや、そのときよりも彼女は幾分高揚している様子だった。真新しい血を滴らせるダガーを左手に提げたまま、懐かしむような視線をアルフォンソに送っていた。
「誰です、アンタ」
アルフォンソの返答は素っ気無い。だがその視線は瞬きもせず女を見据えている。
ニーノはすっかり蚊帳の外に出された気分だった。二人はニーノのことなど気にも留めていない。すぐにでも逃げ出したかったが、脚の怪我のせいで立ち上がることもできない。下手に動いて巻き添えを食うのはごめんだ。ここはしばらく様子を窺うことにする。
「本当に忘れてしまったのか?」
女は首を傾げ、一歩前に出る。それと同じだけアルフォンソは後退る。
「先に質問に答えてください。アンタは何者で、何故僕達の邪魔をするんです?」
「邪魔だって?」
「リオネッロを逃がし、レオンツィオの部下を殺害し、その濡れ衣を僕達に着せようとした。ヒースターでコジモに接触したときも、アンタが現れなければ彼から直接話を聞けたんだ」
「コジモか……そうだね、彼には感謝しなくちゃいけないね」女はスカートの裾でダガーの血を拭い、鞘に収めた。「お陰で君に会えたんだから」
けたたましい音を立て、無数の鉛弾が女の足元の地面を抉る。
「話を逸らさないでください。次は足をふっ飛ばしますよ」
煙を上げるマシンガンを構え、アルフォンソは冷徹に告げる。女は動揺した様子もなく立っていた。少し突風に煽られただけといったふうに乱れた髪をかき上げ——姿を消した。
「……これはこれは」こうなることは半ば予想はしていた。だから臭いのを我慢してゴミ袋の山に身を隠していたのに。「ダンスのお誘いにしては強引過ぎねえか? シニョリーナ」
仔猫のように首根っこを掴まれ引きずり出されたニーノは、背後の女に向けてそう言った。首を回して視線を向けられないのは、首筋に鋭い刃を突き付けられているからだ。既に薄皮を一枚切られている。冷や汗が傷口にしみる。
「ひとまずその物騒なものを降ろしておくれよ。落ち着いて話をしようじゃないか」
女は相変わらずアルフォンソだけを相手にしている。こうも無視し続けられると流石に傷付く。
アルフォンソは無言のままマシンガンを構えた。
「おいおい嘘だろ……」
『猟犬』に対して人質など効果が無いことはわかっていた。アルフォンソにとって、主人であるマルク・アメリア以外は『その他大勢』でしかないのだ。助けは期待できない。しかし自力で逃げる手段も無い。穏やかな最期を迎えられないことはマフィアに入ったときに覚悟しているが、ここでみじめに生ゴミと化すのだけは避けたかった。どうせなら美女を庇って華々しく死にたい。だが皮肉にも、ここに居る美女はニーノの命を脅かしている張本人である。せめてアルフォンソが女の子だったらな……などと考えて、いよいよ頭がイカれたかと自分に対して溜息を吐きたい気分になった。
ガラン。
重々しい金属音が、廃墟の町に響いた。
「……人質を放せ」
「アル……」
突き付けられていた刃が離れ、ようやくニーノは首を回すことができるようにはなった。
「人質を放せと言っている」
「嫌だよ。だってそうしたら、君は私を殺すだろう?」
緊迫する空気の中、ニーノは奇妙な気分に見舞われていた。それというのもさっきから女の身体が背中に密着しているのだ。やわらかい肉の感触が、艶かしい指先が、憂いを含んだ吐息が雄の本能を刺激する。待て待て待て、場をわきまえろ。興奮してるなんてバレたらアルフォンソはすぐにでも足元のマシンガンを拾って、女もろともニーノを蜂の巣にするだろう。
「君達が追ってる『ピエトロ・オーロ』だけどね」
女の口から唐突に告げられた名前が、熱情に駆られかけていたニーノの脳に冷水をかける。
「彼が何故組織から追放されたのか、知っているかい?」
「知らない。興味も無い。話を逸らすなと言ったはずだ」
「彼には二つの顔と名前があった」女は構わず話し続ける。「君達の知っている『ピエトロ・オーロ』という名前と、もう一つは……『ギーゼラ・ハイン』」
その名を聞いた瞬間、アルフォンソの目が見開かれるのをニーノは見た。
「なんだ? ピエトロって女だったのか?」
「おや、お父さんから聞いてないのかい?」女は初めてニーノを見た。アルフォンソを見る目とは対照的な冷ややかな眼差しだった。「まあいいや。とにかく彼……彼女には二つの名前があった。何故なら彼女はビアンキーニファミリーの幹部であると共に、別の組織のリーダーでもあったからだ。その組織の名前は【怪物】。ビアンキーニの傘下にあった暗殺集団だ。今は壊滅してしまったがね」
「新しいボスと反りが合わなかったってわけか」
「あのね、君。今私はアルフォンソと話をしているんだ。邪魔しないでくれないか」
「悪いな。あいつは吠えるのはいっちょまえだが、お喋りは苦手でね」
「『ギーゼラ・ハイン』……」
「思い出したかい、アルフォンソ」
アルフォンソの呟きを聞いて、女は満足げな笑みを浮かべる。
「似ていると思ったんだ。でもそんなわけはないと……」
「八年ぶりだ。忘れるのも無理はない。それに、当時はこんな火傷なんてなかったからね」
「……それで、目的はなんなんです? 今更【怪物】を復活させようなんて思ってないんでしょう」
「コジモは『復讐』なんて言ってたけどね……私にとってはどうでもいいんだ。【怪物】も、ディーノ・ビアンキーニも、私にとってはね」女は——ピエトロ・オーロことギーゼラ・ハインはそう言って目を細める。「私は君を迎えに来た。それだけだよ。アルフォンソ」
アルフォンソの身体が硬直する。まるでギーゼラの眼力で金縛りにかけられたかのように。
「てめえ、訳わかんねえこと言ってんじゃ……」
唐突に地面に放り出され、危うく舌を噛みそうになる。
「シルヴェリオ君の店が狙われたのも、ベッペ・パローラが捕まったのも、レオンツィオ・サリエリの部下が何人も死んだのも……全部君のせいなんだ。君が私の元を離れなければこんなことにはならなかったんだよ。アルフォンソ。全部君が悪いんだ」
「聞くな、アル!」
叫ぶニーノの鳩尾にギーゼラの爪先が刺さる。
「ニーノ……!」
「友達がこんな目に遭うのも君のせいだよ。……ああ、そんな目をしないでくれ。君に辛い思いをさせたいわけじゃないんだ」
内臓がやられたかもしれない。激痛に悶えながらニーノは思った。捕食者の中には獲物をすぐに殺さず、散々いたぶって弱らせてから喰らう者も居るという。生憎ニーノはマゾヒストではないので、たとえ美人であっても暴力を振るわれるのは勘弁願いたい。アルフォンソもそのはずである。肉体的な暴力を受けているわけではないにしろ、理不尽な呵責を並べ立てられれば気が滅入ってくるのは必然だ。ギーゼラはそれを狙っている。アルフォンソが拷問に耐えかね、自暴自棄になるのを待っている。おれが助けなければならない。生意気で、気に入らない後輩だが、【ビースト・ダンプ】で今まで生きてこられたのはアルフォンソが居てくれたからだ。彼の勘が危険をいち早く知らせ、無謀とも取れる行動が危機を脱する切欠を作った。勿論、迷惑を被った場合も数多いが、ニーノはアルフォンソに対して多くの借りがある。先輩として借りを返さないわけにはいかない。
しかし、ニーノの思いとは裏腹に、彼の身体は動かなかった。
「おやおや、もう虫の息だね。かわいそうに……さあどうするアルフォンソ。友達を助けるか? それとも私を殺すか?」
「……お喋りは終わりだ」
アルフォンソが唸り、ナイフを抜くのが見えた。やめろ、ヤケになるな! ニーノは叫びたかったが、声が出せない。逃げてカスターノへ向かうなりレオンツィオの部下をおびき出すなりすれば助かりそうなものを、アルフォンソの頭の中には『逃げる』という選択肢は端から除外されているようだ。
「……それが君の答えか。アルフォンソ」
ギーゼラの顔が初めて曇った。
アルフォンソは——笑っていた。
勝ち誇ったように。満足げに。
自分の腹にナイフを深々と突き刺しながら。




