会えてよかった
「……何も相談してくれなかった」
父が絞り出すように言った。苦痛に満ちた声。
王妃様は僅かに苦しげに笑う。
「だって、相談したら絶対とめたでしょ?」
「当たり前だ」
「だからなのよ」
「俺は……陛下だって、戦うつもりだった。こんなことを望んだ人間なんていない。君だって解ってただろうに。皆、君が必要だった。必要だったんだよ……」
父の声は最後のほうになると弱くなっていった。その表情は僕が今まで見たことのないものだった。
「解ってる」
王妃様の手に力が入る。壁に押し当てられたその指先。長い爪が壁に突き立てられた。
「本当はわたしだって、そっちに残りたかった」
王妃様――シルウィア様の顔が歪んだ。「でも、そうしたら皆、死んでしまう。どうやっても……どんな道を選んでも、皆、死んでしまったの」
シルウィア様は俯き、唇を噛んだ。
「……そうだろうとは思ったよ」
父が手を伸ばして壁に手を触れた。シルウィア様の手に重ねるように。
シルウィア様が顔を上げる。泣き笑いのような顔がそこにある。
「あなたはいつもわたしを助けてくれた。最初に会った時は色々あったけど」
「君は二回誘拐された」
父が笑う。「一回目は任務だったから助けた。二回目は……自分から助けにいった」
そこで、父は少しだけ躊躇うように言葉を切る。それから、本当に小さく続けた。
「……君のことが好きだったからだ」
シルウィア様の目から、涙がこぼれ落ちた。彼女も囁く。
「わたしも、好きだった。どうしても言えなかったけど、わたしも」
「ガラムと戦った時……一緒に戦場で並んで戦った時は楽しかった。二回目に誘拐された時と同じようにね。あの時は」
「馬に乗って並んで逃げたわよね」
シルウィア様が笑う。「本当に楽しかったわ」
「暴れ馬」
「あなただって暴走馬だったじゃない」
「君よりはマシだ」
「大して変わらないでしょ」
そこで、ふと二人は沈黙した。
お互い、何か言葉を探しているようだった。
やがてシルウィア様が口を開いた。
「もしわたしが王女でなかったら、と何度も考えたわ。そうしたら、イスガルドに嫁ぐこともなかったかもしれない」
「そうだな。でも俺は何度か考えたよ」
父は眉間に皺を寄せた。「三回目の誘拐を俺が起こしたらどうなるかって」
「殺されたわ」
シルウィア様が笑みを消した。「あなただけが追っ手に殺される。わたしはそれを泣きながら見てた」
「未来が見えるとキツイな」
父は苦笑した。
「ガラムとの戦いの時、わたしは考えたわ。あなたと並んで、世界の終わりを見たいと。一緒に並んで死ぬのもいいんじゃないかって」
「どうしてやめた?」
「陛下や娘たちを裏切るようなことだもの。それに、イスガルドの国民のことも」
シルウィア様は父から目をそらす。「わたしには王妃としての立場がある。それしかなかったのかもしれない」
「暴れ馬」
「その呼びかたやめて」
シルウィア様が父を恨めしげに睨んだ。
「立場か……」
父はそっとため息をついた。「君は王妃として完璧だったと思うよ。世界を救った」
「そうね」
彼女は頷いたけれど。
すぐに俯いた。
「でも、本当はあなたと一緒にいたかったのよ。立場なんかより、そんなものより。あなたのことが好きだったから」
「シルウィア」
「未来なんか見えなきゃよかった。そうしたら、ほんの一瞬だけでもあなたと恋人になれたかもしれない」
「……そうだな」
僅かな沈黙。
そして、シルウィア様が顔を上げた。
「最後に会えてよかった。ありがとう」
苦しげな微笑。
それから僕に顔を向けた。
「いい息子さんね」
彼女は僕のことを見つめ、少しだけ目を細めた。
「俺には似ず真面目に育ったからな」
父が冗談めかして言ったけれど、シルウィア様は首を横に振った。
「似てるわよ。真面目なところも」
「そうか」
父が困ったように笑う。しかし、次の言葉を聞いてその笑みは消えた。
「壊しましょうか」
シルウィア様は真っ直ぐ僕を見つめていた。僕はすぐには反応できなかった。
門を壊す。
そうしたら、何もかもが終わる。
僕は我に返って父を見た。父はシルウィア様を見つめたまま、しばらく固まっていた。でも、やがて僕を見る。
そして、父は頷いた。
僕は門に歩み寄った。
父が門から数歩下がる。
シルウィア様も少しだけ門から遠ざかった。
門の向こう側。
シルウィア様の後ろには、先ほどのガラムが静かにそこに座っていた。その双眸は穏やかではあったものの、どこか憂いを含んでいるようにも見える。
憂い、だろうか。
何か違う感情にも思えた。その目はシルウィア様に向けられ、少しだけ心配そうに嘶いた。
「自殺なんかしないわよ」
シルウィア様が苦笑混じりに呟く。でも、それを聞いた父が表情を引き締めた。
「シルウィア……妃殿下」
一歩前に出て父が鋭く声を上げると、シルウィア様が呆れたように笑う。
「しないって言ってるでしょう! あなたがそっちで生きてる限り、わたしだって頑張って生きるわよ」
父が虚を突かれたように息を呑む。
シルウィア様は片眉を跳ね上げ、いたずら好きそうな笑顔を作った。
「だから、長生きしてちょうだい。もう歳なんだから、その仕事も引退すること」
「……歳って言うな」
「カイト」
それは、優しい声で発音された。父が言葉に詰まる。
「……反則だ」
「いつだって女性のほうが強いのよ」
シルウィア様がくすくすと笑う。そして、もう一度僕を見る。
僕は門に右手を押し当てた。
少しだけ辺りを見回す。
父もシルウィア様も、さっきより表情が穏やかだ。
門番だけは無表情のまま。
僕は右手に力を入れた。僅かな熱。ビリビリとした感覚。
門が一際激しく輝いた。
僕の手のひらの辺りから、雷のように一瞬だけ眩しい光が広がって。
門が消えた。
雨が降るように、光の粒がキラキラと舞い落ちてきた。
そして、ただの夕暮れの空が目の前に現れた。
空気が変わった気がした。
今までとは違う、乾いた風。
僕は父のほうを見た。
父は消えた門の方向を見つめたまま、唇を噛んでいた。
門番が僕の腕を引いた。
「いこう」
彼女は言う。
僕は頷く。
「先にいくよ」
父にそう声をかけてから、僕はその場を離れた。




