壊すべきもの
「私は結局、あなたという人間を理解できなかった」
イリアスはアストールの背後で囁いた。アストールは肺を傷つけたのか、息を吐くと同時に血も口からあふれさせた。
アストールは何か言おうとしたが、言葉にはならなかったらしい。ただ、胸から突き出した剣を見下ろし、それから天を仰ぐ。
「魔術師……」
かろうじて彼は呟いたが、治療のために魔術を使おうという人間はいなかった。誰も動こうとしない。
「兄上。あなたは自分が殺されるとは考えたこともなかった? あれだけのことをしておいて?」
「……お、まえは」
「確かに、殺すつもりはなかった。あの義母の息子だから……何とかしたいと思ったのに」
イリアスが一気に剣を引き抜いた。一瞬遅れて、アストールがその場に崩れ落ちる。
それを無表情で見下ろすイリアスの顔色は、酷く白かった。
アストールは仰向けの格好で微かに息を吐いた。そして、血で汚れた唇を歪めて笑う。
「……楽しい、だろう?」
アストールがゆっくりと言葉を紡ぐ。少しずつ声が掠れていきながらも。
「殺す……と、興奮、しないか? お前も、弟、だからな……」
そして、その瞳からあらゆる光が消えて。
アストールが呼吸をとめた。
「不肖の弟だな」
イリアスは手にしていた剣を地面に投げ出すと、くくく、と声を上げて笑った。しかし、その表情はとても笑っているとは見えなかった。
「……兵を撤退させます」
やがて、イリアスは額に手を起き、俯いたまま言う。「王女もお返しします」
すると、陛下が我に返ったように息を吐く。それと同時に、周りの人間にもざわめきが広まっていく。
「解った、こちらも撤退させる」
陛下は静かに言って、イリアスの肩に優しく手を置いた。「協力に感謝する」
そして陛下は、ジュリエッタ様の前に進むと、ただ黙って抱きしめる。それから、まだ縛られたままの彼女の手首からロープを外した。
「ありがとう、お父さま」
ジュリエッタ様は静かに言った後、痛ましげな視線をイリアスに向けた。イリアスは酷い顔色のまま、ラースやテオドアに話しかけていた。彼の横顔はただ、暗い。
「あの」
ジュリエッタ様は思い切ったような表情で彼に声をかける。イリアスは、最初は自分が声をかけられているとは思わなかったらしい。僅かな間を置いて、その目をジュリエッタ様に向けた。
「助けていただいて、ありがとうございました」
彼女は彼に頭を下げた。「たくさん庇っていただいて心強かったです」
「いえ、巻き込んだのはこちらです。人質にして申し訳ありません」
イリアスは少しだけ表情を和らげ、ジュリエッタ様に頭を下げた。ジュリエッタ様は何か複雑そうな表情で彼を見つめたが、それ以上は何も言わず、すぐに陛下のそばに身体を寄せた。
気がつけば父が僕の頭に手を置いて、僕を見下ろしている。
「お疲れ。帰ろうか」
「お疲れ様」
僕が笑うと、クリスティアナ様が僕の腕をつついた。何だろう、と彼女を見れば、彼女の視線は別のところを向いていた。
「門番」
『彼女』は少し離れた場所で座っていた。それから、その肉体を人間化させる。
それに気づいたジーンが身につけていたマントを急いで外すと、彼女の前に立ってその身体を隠すようにくるんだ。
「帰る?」
彼女の視線は僕に向いていた。「あなた、ここで暮らすのが役目」
「役目か……」
僕は眉を顰め、その背後にそびえ立つ『門』を見る。そして、廃墟。ガラムの子供と門番が住んでいた場所。
でも……。
「ここには住みたくないよ」
僕はすぐに言った。「イスガルドが僕の育った国だから。父さんだっている」
門番は身じろぎせず、僕を見つめる。何だか居心地が悪い。
「怪我人を収容しよう」
陛下の声が静かに響く。すると、こちらをこっそりと窺っていた兵士たちが慌てたように動き始める。
そして、この場には見慣れた顔だけが残った。
父に陛下、ジーンにクリスティアナ様、ジュリエッタ様。
イリアスやラースたちは、自分の国の兵士たちの様子を見るためにこの場を離れ、人の波の間に消えていた。
「ここに二人きりで残りたいわけ?」
ジーンがやがて口を開く。「不毛だわあ。どうせなら、一緒にイスガルドに住んだらいいじゃない? 残る理由は? そういうふうに生まれた、とかは無しよ」
「……」
門番はそれを聞いて困った顔をする。どうやらそう言いたかったのか。
やがて彼女は言う。
「門がある限り、ガラムの子供は門のそばにいる。門がなくなれば、自由になれる」
「門がなくなれば……」
僕はふと、彼女の顔を見つめ直した。
彼女は言った。
「あなたは、門を壊せる。破壊する者だから」
誰もが門番を見つめたまま息を呑んだ。
「あなたの力は特別。だから、彼は逃げた。彼には絶対できないこと、あなたにはできる」
彼。
もう一人の門番。
門番たちの運命をその命ごと消そうとした。
でも。
――何故、今さら。何故。
『彼』のあの声。
「門の向こう側から、ガラムの力はこちらにも届く。でも、門が壊れたら届かない。わたしもあなたも、身体も力も今までとは変わらないけど」
「役目からは解放される?」
僕が言うと、彼女は小さく頷いた。
「じゃあ、何故今まで門を壊さず……」
父が困惑したように呟くと、門番は首を傾げた。
「多分、壊せる者がいなかった。ガラムの子供、全員が強い力を持つわけじゃない」
――私がやったこと全てが意味がなかった……。受け入れられるか?
『彼』は言った。
たくさんのものを犠牲にしたと。
それが。
もし、彼が何もしないでここで暮らしていたら。
多分僕は、この村で育って、やがて自分の力に気づいただろう。
自分が破壊する者だと。
あらゆるものを壊せるのだと。
門も、運命も。壊せるのだと気づいただろう。
そして、ガラムの子供たち、門番たちは考えたかもしれない。
門を壊そうか? と。
もしそんな過去であったなら。
戦なんてなかった。
『彼』は自分の仲間を裏切らなかった。
門番やガラムの子供たちがクランツに襲われることもなく、それが原因でガラムの怒りを買うこともなく、ガラムと人間の戦いもなかった。
イスガルドの王妃様がガラムに目を付けられることも。
僕が父に拾われてイスガルドで暮らすこともなかった。
何が正しい道だった?
今の世界は、間違った道を進んできた結果なのだろうか?
解らない。
「壊すのが正しいのだろうか?」
陛下はどこか苦しげに言う。「門を壊したら……そうしたら」
「陛下」
父が眉根を寄せた。
向こう側には王妃様がいる。
人間とは呼べないらしいとはいえ、門を壊したら、そうしたら。
「壊すべきなのだろう」
陛下は自分の顔を両手で覆いながら、苦痛に満ちた声を上げた。




