戦場
辺りには放たれた矢が雨のように降り注いだ。クランツ軍には弓兵も多い。
魔術師たちが土や風で巨大な盾を作ってくれたようだったけれど、完全に我々を守れはしなかった。
敵へ突進していく兵士たち、そこに『盾』をすり抜けて突き刺さる矢。
悲鳴と、飛び散る赤い飛沫。
父は躊躇うなと言った。
僕は歯を食いしばって目の前の光景を見つめる。
剣の交わる音、肉が切れる音。
そこには『死』の光景があった。
相手は軍事国家。
イスガルドの兵の中には、個々では腕のよい剣士もいるだろう。しかし、戦には慣れていない。
必然的に押されていく。
「やろう」
僕は門番の首を叩いた。彼女はその瞬間、凄まじい咆哮を上げ、大地を蹴った。
彼女の背に鞍のようなものがついていて、僕は自分の身体を皮の紐でそれに縛り付けていた。だから、多少のことでは落ちたりはしない。
それを理解しているからこそ、彼女の動きは凄まじい勢いがあった。
彼女は敵軍の真ん中を割って入ると、そのまま前足で敵をなぎ払う。
血の霧が目の前にあった。
人間の手足が千切れるのを、僕は初めて見たと思う。しかし、あまりにも現実離れした光景だからか、僕の頭の中は酷く冷静だった。
「門番を殺せ!」
敵軍の中から声が上がっていた。
気がつけば、僕らを取り囲んだ敵兵の中には、白髪の魔術師が数人。
彼らの手が上がる。
魔術の呪文の詠唱。
巻き起こる粉塵。
そして、目ではよく見えない矢のようなものが光の筋となって、僕らに放たれた。
その直後、クランツの兵士たちも剣を構えながら馬の腹を蹴る。
「下がれ!」
反射的に僕は叫ぶ。全部をかわすのは難しいと本能が教えていた。
門番がすぐさま後退しようとした。だが、魔術の動きのほうが速かった。
光の矢が僕の頬のすぐ横を掠める。さらに新しい矢が目の前に。
僕は右手で自分の顔を覆いながら気づく。
右腕の違和感。
右腕が熱を帯びている。
そのまま矢のほうへ腕を上げた。
何かが弾ける音。
その瞬間、僕は理解した。
訓練なんか必要ない。
僕は、この力の使いかたを知っている。頭で理解しているわけじゃない。ただ、生まれながらに知っているものがあるのだ。
掲げた右腕をそのまま振り下ろす。
風を切る音。
そして、目の前にいた兵士たちが『蒸発』した。風に舞う砂は、彼らの破片。
あっという間に十数人の兵士の姿が消えた。
「なんだ、あれは」
「化け物……」
敵兵が怖じ気づいたかのように悲鳴じみた声を上げる。
門番が一歩前に進めば、彼らは慌てて僕らから逃げ出した。
気づけば、僕らの周りには広い空間ができていた。
「神の子だ」
クランツ兵士たちとは違い、イスガルドの兵士たちには歓声混じりの声が上がっている。
「勝てるぞ」
「このまま進め」
そんな声を背後に聞きながら、さらに僕は前に進もうとした時。
「シリウス!」
そう呼ばれて息を呑んだ。そして、慌てて振り返る。
「クリスティアナ様!」
遥か後方にいたはずの彼女が、馬に乗ってこんな危険なところにいる。有り得ない!
「何をしてるんですか! 早く後ろへ!」
僕は声を張り上げた。
しかし、彼女は僕に負けじとばかりに叫ぶ。
「あなたのそばが一番安全なのよ!」
「馬鹿言わないで下さい!」
そう叫びつつも、彼女の表情が怯えながらも真剣なのを見て取ると、僕は彼女に左腕を伸ばした。
「じゃあ、こっちに乗って!」
馬に乗った彼女を守る自信はなかった。目が届かないからだ。だから、僕は伸ばされた彼女の腕を取り、そのまま門番の背中に引っ張り上げた。
「一緒にいきましょう」
僕が言うと、彼女は嬉しそうに笑った。そして、その視線を敵兵へと向ける。
「右側から回り込んで!」
「了解です!」
僕は彼女が門番の背中から絶対に落ちないように、自分の腕の中に抱え込んでから門番の首を軽く叩いた。
門番が駆ける。
『門』の近くには男性体の門番がじっと座っているのが視界の隅に入り込んだ。
そして、気づく。
『それ』には前足が両方とも揃っている。
つまり、魔術師たちの身体には蛇が入っていないということ。
近くに白髪の魔術師がいるのが見えた。
「クランツ王国から逃げたくないか!?」
僕は叫びながら移動する。「僕が乗る門番は『餌』を必要としない! 逃げたいなら味方に受け入れる!」
勝手にこんなことを言ってしまったけれども、陛下は許してくれるだろうか、と一瞬だけ考えた。
でも、勝つためなら敵兵が一人でも減ったほうが有り難い。
「いい手だわ」
腕の中でクリスティアナ様が感心したように笑う。僕もつられて笑った。
少しだけ、白髪の魔術師たちが戸惑ったように動きを止めたように見える。 逃げるならまたとないチャンスのはずだ。むしろ、今しかないと思う。
「話に乗りますよ!」
それほど遠くない場所から、そう声が上がった。
聞き覚えのある声。
その声のほうに目をやれば、テオドアが馬に乗ってこちらに向かってきているところだった。
「『あれ』が身体の中にいないのは快適過ぎて困ります。もう入れられるのは二度と嫌ですね」
彼はそう言いながら僕の横に馬をとめる。自然と僕らもその場に立ち止まる。
ラースもテオドアの存在に気づいたのか、兵の合間を縫って馬をこちらに進ませてきた。
「テオドア、無事か!」
「おかげさまで」
テオドアは酷く明るく笑った。どこか、開き直ったように。
「私はアストール様を裏切って、イリアス様を助け出しますよ。アストール様は次の国王に相応しくないですから」
明るいけれども、どこか冷たく響く声。
遠くからこちらを窺っていた魔術師たちの表情に、複雑な感情が浮かんだようだった。
ラースがテオドアの言葉を聞いて笑っている。
「私もそう思います。ずっと昔から考えてました。この際だから言いますが、私はアストール様が嫌いなんです」
「言うね」
テオドアが苦笑した。
そういえば、この二人は仲がいいのだろうか?
何だか気さくな雰囲気だ。
「楽しそうだこと」
僕らが足をとめている間に、陛下のそばにいるはずのジーンもこの場に近寄ってきていた。「あのクソ男が死んだら一番丸く収まるのよね。さて、さっさと終わらせましょ」
彼はそう言いながら辺りを見回した。すると、白髪の魔術師たちの中に、こちらに近寄ってきている姿が何人か見えた。
とりあえず僕は、魔術師のことは魔術師に任せるべきだと判断して、門番の首を叩く。
クリスティアナ様が言った右側の方向から進みながら、『門』のそばから微動だにしない『彼』を見た。
――何故、動かないんだろう。
何を考えているんだろう。
そんなことを思って眉を顰めていると、突然、頭の中に声が響いた。
『お前の力は面白い』
――『彼』の声だ。
僕は驚いて小さく声を上げたけれど、それも彼が持つ特別な力なのだろうか、と冷静に考えようとした。
『お前が全てを破壊する者なのだろうか? このくだらない現状を変えると?』
――そんなこと、解らない。
でも、もし変えられるなら凄いことだ。
この戦を終わらせ、皆が幸せに暮らせたら……。
『そんなもの、あるはずがない』
ふと、悪意に満ちた声だけが響く。『彼』の視線は真っ直ぐ僕に向けられていた。
『世界を変えるのは私だ。そのためにたくさんのものを犠牲にしたのだから』
そして、『彼』は動いた。




