門の前で
「えっ、でも」
僕は慌てて声を潜めた。「だって、向こう側って人間は……」
「普通は生きられない」
父の横顔が苦しげに歪んだ。「もう、彼女は人間とはいえないそうだ」
いえない、そうだ?
その言葉に含まれた違和感。父は王妃様の姿を見たわけじゃない?
「陛下は会われた。しかし、俺は拒否された。立場を考えれば当たり前だがな」
「父さん」
僕は躊躇いつつも訊く。「そのこと……生きてるってこと、クリスティアナ様たちは知ってるの?」
「いや、亡くなったとだけ知らされていたはずだ。このことを知っているのは、陛下と俺、前任の宮廷魔術師のみだろう」
何て言ったらいいのか解らず、僕は口を閉ざす。すると、父は少しだけ笑って見せた。しかし、その目は真剣だった。
「あまり大きな声では言えない。ガラム相手に無理な戦いを挑むのも、俺は楽しかったよ。でも、それは全て彼女が一緒にいたからだ。でも、失った。お前には同じように苦しんで欲しくない」
「僕は……」
言葉に詰まる。
「正直に言えば、お前には普通の生活を送ってもらいたかった。でも、こうなってしまったらどうにもならん。もし……彼女のことが好きなら、敵を殺すことに躊躇うな。一瞬の迷いが死につながるのが戦場だ。彼女を守ってやれ」
「うん……」
僕は右手を見下ろしながら頷く。
どんなに言い繕ったとしても、どんなに自分を誤魔化そうとしても、やっぱり僕はクリスティアナ様のことが好きなんだと思う。
一緒にいて楽しいから。
彼女の笑顔が可愛いと感じるから。
その他に理由は必要だろうか?
「俺は陛下を守らなくてはならない。だから、お前のことまで目が届かないかもしれない」
父が少しだけ心配そうに続けた。
「解ってる」
僕は顔を上げた。「僕には門番もついてるしね」
「まあ、確かに」
そこで、やっと父がいつもの明るい笑みを浮かべた。むしろ、門番のそばが一番安全なのかもしれない。
「ごめん、無理させるかもしれない」
そう言いながら門番の首を撫でると、彼女はただ鼻を鳴らした。まるで、気にしていない、と言っているかのように。
多少、急ぎ足の行軍とはいえど、睡眠と食事は必要だ。野営するのに適した場所を探すのはなかなか大変だった。
クランツ王国の軍がどこまで先に進んでいるかは解らなかったが、クリスティアナ様曰わく、別のルートを辿っているから火の不始末にさえ気をつければ見つからないはず、だという。
何だか、だんだんクリスティアナ様の『野生の勘』とやらが研ぎ澄まされていくかのようで、心強いと同時に不安にもなった。
何だか、彼女の顔色が悪くなってきていたからだ。
「大丈夫ですか?」
野営の場で、僕は馬車の中にいた彼女に声をかける。
高地となり、谷間も増えてきた場所である。少し荒れた大地に、まばらに生えた木々。遠くからは野生動物の声らしきものも聞こえてきている。
慣れない旅に、緊張。疲れないはずがない。
「大丈夫。ちょっとね、『見る』のが疲れるの。間違ったことを言ったら大変だもの。よく意識を集中しなきゃ」
そう言いながら、彼女は馬車から降りて僕の横に立つ。そして、僕の左腕にしがみついて「栄養補給ー」と呟く。
振り解けない。
僕はただ、彼女の横で空を見上げた。
「……静かなのは今だけね」
彼女は苦しげに言った。「多分、戦いは避けられないから」
僕がそっと彼女を見下ろすと、クリスティアナ様は目を伏せていた。顔色はさらに悪くなったように見えた。
翌朝、まだ空が明るくなったばかりの時間。
食事を終えた順から出発の準備をする。
国王陛下はクリスティアナ様を交えて、騎士団の団長や、それぞれの部隊の隊長を呼んで話をしていた。
ジーンも陛下のすぐそばにいたけれども、ラースの姿はなかった。多分、クランツの魔術師だから、あまり歓迎されていないのだろうとは解る。
「待ち伏せされていると思う」
クリスティアナ様のその言葉から始まった話は、戦陣の組みかたへと進む。さらに、ジュリエッタ様の救出部隊を本陣から分けることまでそこで決定された。
「先陣には門番も立ってもらおう。それに、ガラムの子供にも」
陛下は言う。そして、僕はそれに頷いた。
誰もが言葉少なで、その表情は険しい。クリスティアナ様も話が終わるとすぐに馬車へと乗り込んでしまい、気がつけばピリピリした空気が漂っていた。
その日、僕らは『死の山』へと足を踏み入れることになる。
荒れ地としか言えない山を登り、岩だらけの道を進む。
木々も草も生えていない山。動物の気配も、虫の鳴き声も何もない。
ただ、乾いた風が吹いている。
僕は門番の背中に乗っていたから、多少は楽だった。でも、馬車を進めるのは無理になり、クリスティアナ様はやがて馬の背中に乗ることになった。ただし、安全のためにかなり後方を進む。
そうしているうちに、僕らは遠くに『門』を見た。
それは、巨大だった。 天へ届けとばかりに、巨大な壁のようなものが地面から生えている。
それは、氷の壁のようにも見えた。キラキラと太陽の光を受けて輝き、風が吹けばまるで布が揺れているかのように見えた。
それは、とても美しかったのだ。
誰もが最初、息を呑んでそれを見つめた。
そして、その『門』のかなり手前に、たくさんの人間の姿があることに気づく。
クランツの軍隊だ。
彼らは『門』を背に、我々のほうを向いていた。馬に乗った兵士たち、魔術師たち。そして、『門』に近いところに巨大な獣。
まだ、遠いからアストールやイリアス、ジュリエッタ様がどの辺りにいるかは見て取れない。
「進め!」
陛下の声が響き、僕らはそれに従って『門』へと近づいていく。
やがて、クランツ軍との距離をある程度詰めたところで停止する。
ここまでくれば、『門』のそばに廃墟がいくつもあるのがはっきり見えた。おそらく、昔、門番たちが住んでいた村だろう。
枯れて倒れた大木もたくさんある。
僕と門番が一番前に出ていた。
そして、陛下がすぐ隣に立つ。
すると、相手側の兵が割れて後ろからアストールが馬に乗って現れた。その後ろから、イリアスも。
ジュリエッタ様は手首を身体の前で縛られているらしく、ぎこちない様子で歩いてアストールの横に立った。
陛下の歯軋りがすぐ横で聞こえる。
敵の門番はかなり後方だ。だとすれば、ジュリエッタ様の奪還はそれほど難しくないだろうか。
僕はそう考える。
僕と門番がジュリエッタ様のそばにいければ、敵は……魔術師が多いけれど。
そっと振り向けば、ラースがそれほど遠くない場所にいる。彼に手伝ってもらえればどうだろう。
「夜には王女を殺そう」
アストールが大きな声を上げた。結構距離は離れていたが、辺りには声を遮るものが少ないので、よく聞こえた。
「それまでの時間潰しだ。さあ、遊ぼうか!」
彼は楽しそうだった。人が死ぬことを見るのが嬉しいのか、興奮しているようにも思えた。彼は剣を抜いて高く天を指し、それから前に振り下ろす。
途端、敵軍が一斉にこちらに向かってきた。怒号と共に。




