新月間近
「なんて……ことなの」
僕にしがみついているクリスティアナ様が悄然と呟いている。
僕は何も言えず、門番に右手でしがみつきながら、ただ彼女の背中を左手を置く。
異形の姿の門番は、走るのが速い。凄まじい勢いで景色が流れた。
門番は城から出て、隠し通路の出口辺りで足をとめる。そこは林の中で、普通ならば人気などない場所だろう。しかしそこには、騎士たちとラースの姿があった。
それに、乗ってきた馬たちも。
「一体何があったんですか?」
イリアスの姿がないことにいち早く気づき、ラースが鋭く言った。
門番の背中から素早く降りた父が、馬の手綱に手をかけながら首を横に振る。
ジーンもその後に続き、乱暴に自分の頭を掻いた。
「計画の練り直しよ! とりあえず、この国を離れなきゃ」
「ジュリエッタ様は?」
アイザックがクリスティアナ様の姿に目を留め、その表情を強ばらせている。
元々、今回の潜入は様子見だけのつもりだった。何故、ここにクリスティアナ様がいるのか。そして何故、ジュリエッタ様がいないのか。
「失敗したのよ」
ジーンが馬に乗りながら言った。「奇襲はもう無理よ。援軍を呼べるか陛下に掛け合わないと」
「戻ります」
ラースが顔色を失って隠し通路のほうに顔を向けるのが見えた。
「駄目です!」
僕はつい叫んだ。自分でも意外なほど大きな声になってしまって、慌てて声を落とした。
「あの人は自分を犠牲にして残ったのだから、戻ったら駄目です」
「私はイリアス様の部下ですから」
ラースは僕の言葉を聞き流そうとしたけれど、ジーンがさらに言った。
「あなたが戻れば『餌』になるわよ。何故、あなたは今まで『餌』にならなかったの?」
「それは」
ラースが心底嫌そうな顔をした。「私がイリアス様の直属の魔術師でしたから」
「多分、もうそれは通じないわよ」
ジーンはラースにゆっくりと言う。「あのクソ王子は、本当にクソだった。色々暴走してるから、何をするか解らない。ジュリエッタ様、イリアス殿下の奪還には魔術師は多ければ多いほどいい」
「奪還……」
ふと、ラースはジーンを見つめ直したように見えた。もちろん、彼の双眸には何の光もない。しかし、彼がただの盲目ではないとこの場にいる誰もが知っている。
「助け出したいでしょ?」
「当然です」
「なら、手伝いなさい」
ジーンの声に迷いはない。ラースは一瞬の逡巡の後、すぐに頷いた。
「クリスティアナ様」
父が門番の背中に乗ったままの僕たちを見上げ、静かに言った。「これからどうなさいます? 今まで私がこの面子の責任者でしたが、今はあなた様が一番立場が上です。ご命令を」
そう聞いて、クリスティアナ様が顔を上げた。戸惑ったように瞬きし、青ざめた顔を引き締める。
「私もお姉さまを助け出したい。力を貸して下さい」
クリスティアナ様の瞳に力が戻る。まるで挑むように父を見つめる横顔は、彼女の威厳を感じさせた。
「仰せのままに」
父がニヤリと笑い、それから辺りを見回した。騎士たちは誰もが落ち着かない様子であったが、そんな彼らの肩を叩きながら、父は言う。
「頼りにしてるぞ」
すると、騎士たちも少し笑った。
「ねえ」
クリスティアナ様が我に返ったように息を呑んでから、僕のほうを見る。「ところで、私たち、とんでもないのに乗ってるけど」
「色々あったんです」
しかし、こんなところで説明してる時間はない。僕は誰も乗っていない馬の背中を見やり――僕が乗ってきた馬とイリアスや門番の馬――、彼女に言った。
「馬に乗るのはお得意ですか?」
僕らはその後、クランツ王国から脱出した。
塀を守る大門を抜ける時は、多少問題があった。深夜とはいえ、兵士たちが見張っているからだ。
そこで、門番が囮になって多少暴れて見せ、門から兵士たちが離れた隙に僕たちが門を通った。
好きなだけ暴れまわって兵士たちを翻弄した門番も、僕らが外に出てしばらく経ってから塀をよじ登って外へ出る。そして、僕らと合流した。
明日にはクランツ王国の人々にも知れ渡るだろう。異形の獣に対する噂。
これからが正念場だ、と思うと同時に、僕は思い出す。
僕の右腕。
今は違和感や痺れもない。
成り行きだとはいえ、魔術師を殺したこと。
その事実が、急に重く自分にのしかかってきた。
夜通し僕らは移動した。
門番は一度、人間の姿に戻ろうとしたが、ジーンにとめられていた。
「服がないのよ」
だ、そうだ。
彼女が変身した時に、彼女が身につけていた服は破れてしまっていて、代わりの服など持ってきてはいない。
しかし、夜が明けてもこの姿でずっと移動は目立つだろうな、と不安になる。
「クランツ国王は病気なのよ」
クリスティアナ様が言った。
クランツ王国から随分離れた森の中で、僕らは休憩していた。
夜明けは近かったが、僕たちは小さな火を起こし、皆でそれを取り囲んで座っていた。
門番は僕の隣で大きな躰を丸めるようにして横たわる。
「最近はほとんど公務もしてないみたい。だから、城に勤める人間の中には、クランツ国王が亡くなったらどうなるか心配してる人が多い」
クリスティアナ様の話は続く。「今はアストール王子が公務を行っているけど、最近は『儀式』に夢中らしいわね」
「儀式ねえ」
ジーンがため息をついた。「生け贄の儀式かしら」
「そう。私たちのどちらかを『門』の前で殺すんだって」
クリスティアナ様が震える手で髪の毛を掻き上げる。「何だかクランツ国王から聞いたみたいなの。わたしの母が……その、生け贄になったのは、月が出てない夜だったらしいって」
「クリスティアナ様」
ジーンが僅かに眉を顰めたが、彼女は俯いたまま続ける。
「だから、月の出てない夜にいくんだって言ってた。新月ってことかな」
僕は空を見上げる。三日月。おそらく、もうすぐ新月。
「儀式は失敗する。陛下はそうおっしゃった。大体、月が出てるとか出てないとかで変わる問題じゃない」
父がため息混じりに言った。すると、ジーンが頷く。
「大体、そんな儀式が成功すると考えるほうが馬鹿なのよ。ああ、馬鹿なのね」
それに引き続いてジーンは散々悪態をつきまくっていたが、周りの人間は聞き流していた。
どうやら皆、ジーンという魔術師の扱いかたに慣れたらしい。
困った時は黙って放置。
「やっと色々話せるのに、何から話したらいいか解らない」
やがて、クリスティアナ様は僕を見て薄く微笑む。以前とは違う笑いかただ、と思った。無邪気さとはかけ離れた表情。
「僕も、そうです」
苦笑しながら応える。「でも、あなたが無事で良かった。イリアスに逃がしてもらいましたね」
「そうね」
クリスティアナ様は自分の親指の爪を噛んだ。キリリ、と音が響く。
「彼はお姉さまを人質に選んだ。それは多分、わたしの力に期待したのよね。わたしが未来を読んで、儀式をとめるように……そう期待したのよね」
「そうだと思います」
「やらなきゃ」
クリスティアナ様は空を睨みながら自分に言い聞かせるように呟いた。「わたしの力はそんな強くない。でも、絶対お姉さまを助け出さなきゃ」
「手伝います」
僕は彼女の腕に触れようとして、慌てて手を引いた。右手で触れるのが怖い。
かといって、触れること自体間違っている。今まではクリスティアナ様があまりにも気さくに僕に話しかけてくれるから、ついそれに甘えていた。
身分が違う。
どんなに『友だち』みたいに会話ができたとしても、絶対に許されないことがある。
父がそうであったように、僕もそうしなければならない。
節度を保って彼女と接しなければ――。
「もちろん、手伝ってもらわなきゃ無理なのよ」
クリスティアナ様は真剣な眼差しを僕に向けた。「多分、あなたが全てを終わらせることができるのだから」




