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 父が最初に動いた。

 剣を抜き、足音も立てずに動き、大きな扉の前に立ち――。

 その男の喉に剣を突きつける。


「どういうことだ」

 相手は喉に当てられた剣の感触に驚いたように身体を硬直させ、茫然と僕たちを見た。

 おそらく、僕たちの気配に気づいたからここにきたわけではないらしい。ただの見回りだったのか、僕たちの存在に気づいて純粋に驚いていたようだった。

「声は出すな」

 父は短く言ったが、その声には困惑が混じっている。

 相手は魔術師だろう。

 黒い服に身を包み、武器など何も持っている様子はない。

 だが、その風貌は異様だった。

 顔立ちは若い。声も若い。

 肩の上で切りそろえられた髪の毛は真っ白で、服の袖から覗く手足はまるで老人のように皺が刻まれている。その顔も皺だらけといって間違いはない。

「……お前は何だ?」

 父が眉を顰めて小さく訊いた。すると、我に返ったらしい魔術師が慌てたように辺りを見回した。

「門番は。逃げたのか」

 慌ててはいたが、どこか喜んでいるかのように響く声。

「残念だな」

 門番――『それ』は言う。楽しげに、からかうように。

「まだここにいるぞ。助かったと思ったのか。哀れなもんだ」

 人間体になった姿の門番を見たことがなかったらしく、魔術師は戸惑ったように彼を見る。そして、その瞳が暗い陰に覆われた。

「人間になれるのか……」

 そう呟きながらも、今の異常な事態を把握したらしく、その表情を強ばらせた。

 何しろ、ここには人間体の門番、クリスティアナ様にジュリエッタ様、イリアス、さらに知らない人間の姿があるのだ。

「内通者というのは事実ですか、イリアス様」

 魔術師は苦笑した。「アストール様に逆らうなんて。この化け物に逆らうなんて信じられない」

「化け物か。お前だって見た目は化け物みたいだがな」

 『それ』が小さく嘲笑う。

 すると、僕の隣で門番――彼女が言った。

「魔術師は『餌』、そう言った。身体の中、彼の一部が入ってる」

「そう、私はもう長くは保たない」

 魔術師は暗く笑いながら続けた。枯れ木のような指で自分の頬を撫でながら、やがてその笑みを消した。

「今さら、何をやっても遅いのですよ、イリアス様!」

 彼は突然、何か呪文を詠唱したようだった。


 全てが一瞬に起こったように思えた。

 父の構えていた剣に火花が散り、跳ね飛ばされる。

 魔術師の手が上がり、ジュリエッタ様とクリスティアナ様へと向けられる。

 ジーンの周りに魔術によるものだと思われる風が渦巻き、魔術師へと襲いかかる。

 魔術師が詠唱を邪魔されたのか舌打ちし、自らクリスティアナ様を捕らえようと動く。

 ジュリエッタ様の悲鳴。

 父が落ちた剣を拾い、床を蹴って魔術師へと剣を振り上げる。

 僕がクリスティアナ様の前に立ちふさがって守ろうとする。

 門番が一瞬遅れて僕を庇おうとして。


 魔術師の身体が弾けた。

 父の剣が空を斬る。

 砂のようなものが辺りに飛び散った。

 魔術師が、いない。


 僕はその時、武器を持っていなかった。ただ、右手を挙げて反射的に自分を守ろうとしていた。

 ただ、それだけだった。

 そして気がつけば、僕の右腕が酷く熱を帯びて、その手のひらが痺れていた。

「何だ、今のは」

 父が足元に散らばった『砂』を見下ろした。すると、砂の山が崩れて一匹の蛇が素早く床を這って移動していく。

 父がそれを剣で貫くより早く、蛇は男性体の門番の足へと絡みついた。それは門番の躰を這い上がり、右腕の切断面へと巻きつく。蛇はあっと言う間に姿を変え、彼の右腕は少しだけ長さを増していた。

 これが、一部。

 僕はぼんやりとそんなことを思う。

「……面白いな」

 『それ』は全く面白いなどと思ってなさそうな口調で呟く。

「そうね」

 ジーンの表情も固く、眉根を寄せて砂を見下ろしている。

 僕はただ言葉もなく、痺れの残る右腕を左手で触った。

「餌を壊されたぞ」

 やがて、『それ』は僕を見つめた。髪の毛で覆われてその双眸は見えなかったけれど、酷く鋭い視線が突き刺さるのを感じる。

「壊された……」

 僕の喉から掠れた声が漏れた。

 僕の力なのか。

 破壊する者。

 僕があの魔術師を殺したのか。

「門やガラムの子供から離れた門番は、やがて衰弱する」

 『それ』は静かに続けた。「だから、私は魔術師の持つ力を吸収して生き延びていた。こうやって、私の躰の一部を潜り込ませてな」

 『それ』が短い右腕を挙げる。途端、右腕が奇妙に変形して細い蛇のようになる。


 ――私には『あれが入って』いますから。


 テオドアのあの言葉。

 真っ白な髪の毛。


「そんなのって」

 僕が呟くと、クリスティアナ様が小さく言った。

「わたしたちが監禁されていたところにも、魔術師がきたわ。皆……彼と似たように」

「何人にそれを入れたんだ?」

 父もさすがに嫌悪混じりの目を門番の腕に向けた。

「さて。この腕の長さの分だけかな」

 『それ』は僕から目を離さない。僅かに警戒したような、何か考え込んでいるかのような気配が伝わってきた。

 そして彼は、いきなりその躰を変身させる。鱗がその皮膚に浮かび上がり、躰が急激に膨れ上がる。

 僕らは慌ててそれぞれ壁際へと身を引いて、『それ』を見つめた。

「逃げましょう」

 ジーンが真っ先に扉へと歩み寄る。しかし、彼は足をとめた。

 ――足音。

 誰かが階段を降りてくる。

 僕の背中の辺りに、クリスティアナ様がしがみついている。

 僕は左腕を後ろに回し、彼女に触れた。

「こんな深夜にご苦労なことだ」

 そう言いながら現れたのは、アストールだった。


 アストールは白髪頭の若い魔術師を後ろに従えている。

 その魔術師は無表情にイリアスを見つめ、すぐに視線を逸らした。

「兄上……いえ、アストール様」

 イリアスの声は僅かに焦りを滲ませている。多分、アストールもそれを聞き取っただろう。冷ややかに笑い、軽蔑したように言う。

「さすが国を売るだけのことはあるな。まさか、こんなところにまで敵を引き込むとは。その勇気は誉めるべきか?」

 イリアスは唇を噛んだ。

 僕らも皆、言葉もなくアストールを見つめるだけだ。

 どうしよう。

 そうは思っても、答えは出ない。

「何も言わないのは、裏切りが事実だからか」

「いいえ」

 そこで、イリアスは口を開いた。「裏切るつもりはありませんでした。今回のことは全て、この国の立場を守るために――」

「おい、化け物!」

 アストールが巨大な肉体を持つ門番に向かって叫んだ。「こいつに入れてやれ」

「ちょっと!」

 ジーンが慌てて叫んだ時、『それ』の腕から細い蛇が飛んだ。

 あまりにも容易く、蛇はイリアスの首の後ろの皮膚に突き刺さり、そして潜り込んだ。

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