宿屋の主人
イリアスとラースは一足先にクランツ王国へと入った。
僕らは少し時間を置いてから、クランツ王国の周りをぐるりと取り囲む塀へと向かい、その大門を守る兵士へと近づいた。
「どこからきた」
体格のいい兵士が二人、大門の前で旅人たちを監視している。そのうちの一人が、僕らに声をかけてくる。
「俺たちは流しの傭兵でね」
父が明るく笑いながら応えた。「ここには仕官の道があるって聞いたよ。なければ他を当たるが」
「ああ、あるね」
兵士はニヤリと笑った。「ここの陛下は金払いがいいぜ。まずは、城の近くに闘技場があるからそこにいきな。腕を試されるから頑張れ」
「ありがとう」
父以外の人間は皆沈黙している。僕は内心ハラハラしていたけれど、父は落ち着いている。兵士たちに軽く会釈をして門を通り抜けようとすると、ふと兵士が眉を顰めた。
「女連れか。傭兵には見えんが」
「見た目はな」
父が苦笑しながら門番を見やる。「しかし意外と凶暴だ」
門番はただおとなしく兵士を見つめる。何の感情もない瞳は、見ようによっては自信に溢れているようにも見えた。
「そっちは?」
兵士がさらに視線をジーンへと向けた。ジーンは黒いフードを目深に被っていて、明らかに傭兵とは違う雰囲気を持っている。
「そっちは魔術師」
父が肩をすくめた。「結構、魔術の腕はいいぞ」
「失礼ね」
僕はジーンの声にぎょっとした。その喉から出てきたそれは、明らかに女性のものだったからだ。
「結構じゃなくて、かなり」
フードを少しだけ上げて、その顔を兵士に見せる。笑いかたを優しくしたせいか、どこから見てもまごうことなき美女である。
――怖い。
内心、僕の中では色々な意味で修羅場であったけれど、必死に無表情を保ってみせた。
「魔術師も募集してるはずだ。多分、兵士より簡単に決まるだろうな」
その兵士はそう言った後、僅かに顔をしかめる。「美人なのにもったいない」
「ん? どういう意味だ?」
父がその言葉を聞き咎め、困惑したように言う。すると、兵士は二人で顔を見合わせた後、気まずそうに続けた。
「ここは魔術師はいくらいても足りないんだ。仕事がきついらしくてね、長く保たないらしい」
「なるほど、逃げ出すのか。根性ないなあ」
父は明るく声を上げて笑ったが、兵士たちの反応は微妙に鈍かった。
「せっかくの美人だし、忠告はしとくよ。魔術師であることは隠しておくといい」
兵士は歯切れ悪くそう言った後、僕らを通した。
「さて、何なのかしらね」
大門を通り過ぎてしばらくしてから、ジーンは口を開く。その声は聞き慣れた男性のもの。
「びっくりしたよ」
アイザックが信じられないものを見たかのような表情でジーンを見つめている。「何で女の振りを?」
「念のためよ」
ジーンはため息をついた。「私は城でクソ王子に顔を見られてるから、もしも絶世の美男子の魔術師がクランツに入ったことがバレたら、疑われるかもしれないじゃない」
――絶世とか、自分で言うかな。
僕はとりあえず聞き流すことにして、辺りの観察に集中した。
クランツ王国は、賑やかな雰囲気だ。行き交う人々の動きは、イスガルドより少し早い気がする。
大通りにあるたくさんの店からは、元気な客引きの声。他国よりやってくる商人も、そして僕らみたいな武器を携えた人間も多い。
しかし、あまり治安がいいとは言えないかもしれない。喧嘩しているらしい声も聞こえたし、まともな職業とは思えない、柄の悪い連中の姿も少なくない。
「こっちだ」
父は大通りから脇道に入り、ある宿屋の前で馬から降りた。
「驚いたね」
宿屋の主人は、父と同い年くらいの髭を生やした男性だった。気のよさそうな目を丸くして、父の後ろにいた僕らの顔を見回し、頭を掻いた。
「一匹狼だと思ってたのに、いつの間に」
「色々あってな」
父は笑いながら彼に馬を預けた。厩舎は結構立派で、すでに他の客の馬が数頭つながれているようだ。
僕らも父に倣い、馬を主人に預け、やっと肩の力を抜く。
「女性は一緒の部屋がいいね」
主人がそう言うのが聞こえて、僕は慌てて父の隣に立った。女性って誰と誰だ!
父が苦笑混じりに首を振り、僕の頭の上に手を置いた。
「一緒にするとマズイ奴もいるんで、振り分けはこっちでするよ。とりあえず、人数分ベッドがあればいい」
僕がジーンのほうに目をやると、彼は諦めたようにため息をついていた。
「見張りますから」
小声で囁くと、彼は軽く僕を睨んで呟く。
「保護者か」
食堂に入ってテーブル席につく。食堂はそこそこ広く、夕方から酒を飲んでいる客もいて賑やかだ。
僕らがそれぞれ一息ついていると、宿屋の主人が父の脇に立って目配せしてきた。
父はそのまま席を立ち、カウンター席へと移動した。
その場に残された僕たちは、雑談をやめて二人を視線で追った。
「盗み聞きしましょうか」
ジーンがテーブルに頬杖をつきながら意味深に笑う。
僕らは顔を見合わせ、共犯者の笑みを作った。どんな話をしているのか気になるのは事実だし。
ジーンがとん、とテーブルを指先で叩くと、僕らの周りに風が吹いた。
そして、父と主人の声が風と一緒に小さく耳に飛び込んできた。
「あんたとは長い付き合いだし、きてくれてちょうどよかった」
主人は少し真面目な様子で言っている。「最近、この辺りも治安が悪くてね。正直、店を畳んで国を出ることも考えてる」
「急だね。本気か?」
「まあ、まだ悩んでるけどね。向かいにある花屋の娘は見たことあるかい?」
「ああ。前に見た時は十二か十三歳くらいだったか。可愛い子だったろ」
「殺されたんだよ」
主人の声がさらに小さくなった。「それはもう、酷い有り様でね。遺体は見られたもんじゃないって話だった」
「それはかわいそうに。犯人は?」
「捕まってないよ。少し前まではあちこちで若い女や子供が殺される事件が続いてね、かなり大騒ぎになってたんだ。ここしばらくは何も起きてないから、犯人は国を出たんじゃないかとも言われてるけど……まあ、安心はできないな」
「なるほど」
「死んだかもね」
ジーンは眉を顰めながら呟く。
「誰がだ」
アイザックが小さく訊いた。
ジーンは応えず、僕を見つめる。
――内臓を引きずり出して笑っていられる子供は……。
あの少年。
「最近、陛下の体調が思わしくないって噂だ」
主人の話は続く。「次期国王となられるアストール殿下は、あまり治安の維持には興味がないようでね。事件が起きても放置してるって話だし、正直、今から不安で仕方ない。陛下がお元気なら、まだマシだったのにねえ」
「ふうん」
父は顔をしかめた。「そういや、この国の王子は二人いたんじゃなかったか?」
「ああ、いるけどどんな方なのかは解らないね。ほとんど公式の場には出てこないし。アストール殿下はああいう性格だし、下の王子殿下は飼い殺しだそうだよ。何の権力も与えられてないって話さ」




