守るべき相手
「印……」
僕がただ茫然と繰り返す。
ジーンは近くにあったテーブルクロスを引き抜き、僕の腕の上からそれを被せた。そして、小声で囁く。
「隠しなさい。見られては駄目」
「……それより、クリスティアナ様は」
僕はテーブルクロスを左手で押さえながら、窓の外を見やる。
しかし、門番の存在に誰もが注意を引かれていて、連れさらわれた二人の王女様の行方や、アストールたちがどっちの方向に向かったのかさえも解らない。
「困ったわね……」
ジーンが疲れた横顔を見せる。それから、少し離れた場所に立ったままの門番を胡散臭そうに見つめ、小さく唸った。
「守りにきたんでしょうね」
「守りに?」
誰もが不思議に思っていただろう。
最初は、いつ誰が門番に襲われるかと恐怖していた。外に逃げ出した人間も多いが、恐怖のあまり足が竦んで動けない人間も多かった。
そして、門番が動かないことに戸惑う。
恐ろしい姿をした魔物は、今は攻撃性など見せず、ただここにいることに皆が気づいたのだ。
「陛下、どうなさいますか?」
やがてジーンは国王陛下に訊いた。
すると、陛下も我に返ったようで、やっと大広間の現状を見渡すべく視線を門番からそらした。
そして、しばらく唇を噛んで何事か考え込んでいる。その表情は暗い。
「正直、どうすべきなのか解らないのだ」
陛下はやがて苦しげに言った。「今すぐにも娘たちを助けにいきたいのが本音だ。国の後始末も、何もかも投げ出して追いたい」
「お付き合いします」
ジーンは小さく笑う。
しかし、陛下は首を横に振った。
「娘たちを生け贄にしたとしても、必ず失敗する。前回は、妻を彼らに差し出すよう要望があったから取引が成功した。今回は違う。娘たち……クリスティアナは確かに勘が鋭い娘だが、妻ほどの力を持っているわけではない。彼らはクリスティアナも、ジュリエッタもいらないだろう」
「ならば、急がなくては」
ジーンは僅かに怪訝そうに目を細めて言ったが、陛下はただ苦しげだった。
「失敗すると解っている儀式。門を開けようとしても、おそらく開かない。もし開いたとしても、ガラムの連中は奴らを殺すだけだろう」
陛下はそこで少しだけ言葉を切った。そして、眉間に深い皺を刻ませた。
「……このまま放置すれば、全て片付くと解っているのだ。それなのに兵を集め、クランツの連中と戦い、残されたこの国の民を戦に巻き込むことは、正しいだろうか? 私は先ほど、間違った選択をしたはずだ。間違った相手を殺させた。これ以上犠牲を出すのが正しいのか?」
そこまで聞いて、僕は陛下が何を言おうとしているのか気がついた。
「クリスティアナ様……王女様たちを見捨てるということですか?」
つい、言葉が口を突いて出た。責めるような口調になったけれど、止められなかった。
「このまま殺されるのに、見殺しに!?」
「シリウス」
窘めるような父の声が近くで聞こえた。でも、抑えることができなかった。
「助けにきて、とクリスティアナ様がさっきおっしゃいました!」
そして、震えてた。
怖い思いをしているはずだ。
なのに、見捨てる?
「娘たち二人の命だけで、この国の人間は助かるのだ」
国王陛下は力無く言った。
そして、さらに僕が何か言おうと口を開きかけた時、陛下は深く頭を下げた。
「助けてやってくれ」
僕は息を呑んだ。
気づけば、父が僕の肩に手を置いていた。力強く、温かい手のひら。
「それでも、娘たちは大切なのだ。私には娘たちしかいない。私の身勝手を許してくれとは言わん。それでも、娘たちを助けにいって欲しいのだ」
「いつも通り、ご命令を下さい」
やがて父は静かに笑う。「私はいつだって命令に従ってきましたし、裏切ったことなどありませんが」
「……お前はいつもそうだ」
陛下がゆっくりと頭を上げる。
その瞳には複雑な色。
「父さん、僕もいくから」
僕は父の手を掴んだ。
いつだって、父は一人でどこかに行ってしまう。でも、今回だけは嫌だった。
クリスティアナ様を助けにいかなきゃいけない。僕が彼女に頼まれたのだから。
「解ってるさ」
父は小さく頷く。「悪いところが俺に似たなあ」
父は飄々として、こんな時でも自然体だ。何だか少し、安心する。危機的な状況には変わりがないというのに。
「お父様」
大広間の隅で、召使いと一緒に震えていたキャロライン様が陛下にしがみつく。陛下はその彼女を抱きしめ、頭を撫でた。
「私だけ無事なんて」
彼女は肩を震わせて泣いていたが、陛下が優しく呟く。
「お前までいなくなったら、私は今頃死んでるかもしれないな」
少しだけ、その場の空気が和らいだ気がした。
「じゃあ、ある程度落ち着いたことだし」
ふと、ジーンがため息混じりに口を開いた。「こっちも片づけないと」
ジーンが指を指した方向。
そこには、静かにこちらを見つめている門番の姿。
――こっちこそ、どうしたらいいのか。
そして、やっとそこで僕は我に返った。
テーブルクロスの布の下に隠れた僕の腕。陛下が首飾りとして持っていた鱗、門番の皮膚を覆う鱗。
それは、僕の腕に生えた鱗のようなものによく似ている。
ガラムの子供たち、とジーンは言っただろうか?
やがて、門番は少しだけ僕のほうへ歩み寄り、小さく唸った。
「一緒に、帰る」
何か、門番が喋った。
多分、声帯が人間とは違うのかもしれない。酷く嗄れて、金属音のような耳障りな響き。
「門に、戻る。一緒に」
「何?」
僕は困惑して聞き返した。




