潜入
「……あれ」
僕はまじまじと石を見つめる。
確かに温かい。
そのまま持っていると、じわじわとその熱量が増している気がして、急に怖くなった。
「よし、気のせいだ」
僕はそのまま石を棚に戻した。
普通なら、喜ぶべきだったのだろう。一応、形だけだとはいえ、魔術師の弟子になっていたのだから。
でも何となく、まずいことになった気がした。
右手が――右腕に少しの違和感。
次の日。
僕はできるだけ城内には近づかないようにしていた。
騎士たちが出払っていて召使いが数人しかいない宿舎と、来客が絶対に近づかないであろう庭の隅辺りを行き来して、時折召使いたちから流れてくる噂話に耳を傾ける程度。
どうやら、城の大広間は賑やからしい。
料理が足らないだの、どこの王子が格好いいだの、平和な話しか聞こえてこない。
「あ、いたいた! シリウス!」
僕が庭の隅で植木に水やりをしていると、息を切らせたクリスティアナ様が姿を表した。
「神出鬼没ですね」
若干、呆れた声音になっただろう。この国の王女様は、たとえ三女であろうと大広間にいるべきだろうと思うのに。
「はい、差し入れ」
彼女は僕に少し大きめの紙包みを押し付けて、ニヤリと笑った。「まあ、会うための口実とも言うけど」
「……ありがとうございます」
僕は『賄賂』を受け取って、曖昧に笑った。彼女はそのまま僕の右腕に自分の腕を絡ませてきた。
それはちょっとマズいんじゃないか、と僕が腕を引いた途端、彼女が奇妙な表情をしつつ身体を引いた。
「うーん」
クリスティアナ様はすぐに僕の左側に移動して、改めて僕の左腕に自分の腕を巻きつけた。「こっちが安全」
「……何がですか」
ふと、彼女の勘の鋭さを思い出して聞いてみる。「僕に何か感じます? 右腕、何か変ですか?」
「うん、変」
クリスティアナ様はあっさり言う。「でも、理由は解らない。そう感じるだけ」
「うーん」
今度は僕が唸る番だった。
「でも、いいんじゃない? 理由なんかいつか解るかもしれないし、解らないかもしれない。急いで見つけるものじゃないでしょ」
「解ったほうが安心ですが」
「そういう場合もあるわね」
「じゃあ、もう一つ質問です。何故、クリスティアナ様は僕に会いにこられるんですか?」
「そういう運命なのよ」
「理由になってません」
「自分でもよく解らないのよね」
彼女は困ったように笑う。「何だか最近、不安なの。多分、嫌なことが起きるからかな」
「嫌なこと……」
僕はイリアスたちのことを思い浮かべる。「例えば、この国の危機とか?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
彼女の母である王妃様は、未来を見る力があったという。クリスティアナ様も、そうなんだろう。ただ、そんなにはっきり見えるわけじゃない。だから、勘が鋭い、と思われている。
「ね、シリウス」
やがて、彼女は僕の顔を真剣な眼差しで見つめた。「今夜の舞踏会、忍び込める?」
「は?」
「多分、三日なんて舞踏会は続かない。その前に何か起きる」
僕の顔が強張った。
「ジーンに言いましょう。僕より力になってくれます」
すると、彼女の表情が曇る。少しの罪悪感が僕の心に落ちて、やがてそれは浸食していく。
「解りました」
僕はやがて複雑な感情のまま頷いた。「でも、ジーンにも相談して下さい。僕だけじゃ無理です」
「もちろん」
彼女はぱっと表情を輝かせ、僕の腕を引いて歩き出した。「じゃあ、まず衣装合わせね!」
「はい?」
僕は素っ頓狂な声を上げつつ、してやられた、と思った。まさか、計算ずくの演技だったか?
「舞踏会にその格好は有り得ないでしょ!」
「いや、踊りませんから!」
僕は必死に抵抗した。踊らない、というか踊れない。
っていうか、本当に何か事件は起こるのか?
クリスティアナ様はどこまで本気で、どこまでが冗談なんだ?
ある意味、僕の中で事件が起きているようなものだった。
「あらあ、馬子にも衣装ね」
その夜、大広間の一番隅で、美しい柄のカーテンに隠れるようにして立っていた僕に、ジーンが声をかけてきた。
僕はクリスティアナ様と召使いたちの手によって、どこの貴族様ですか、と訊きたくなるような服を身につけていた。こんな高級な生地の服は触るのも初めてだ。
もう泣きたい。
「家に帰りたいです」
正直に内心を吐露すると、ジーンは慰めるように僕の肩をぽんぽんと叩いた。
「まあ、おとなしくしてなさい。何か武器は持ってる?」
「……短剣なら」
「使わず済めばいいわね」
ジーンの表情はぎこちない。彼は大広間を見回して、一人の男性に目を留めた。
「アストール・クランツよ」
その男性は、あまりイリアスには似ていなかった。似ているのは髪の毛が金髪というだけ。
多分、一般的には男らしく整った顔立ちと言えるだろう。いかにも高級な衣装を身につけていたが、服の下にはよく鍛えられた肉体があるのだと見て取れる。
自信に満ちた表情で、気さくな笑顔を見せていたが、傲岸不遜という雰囲気も身にまとっていた。
「あまり彼には近寄らないで」
ジーンはすぐに彼から目をそらして囁いた。だから、僕も彼から視線を外し、頷く。
「一緒にいるのは魔術師ですか?」
視線を外す直前まで、アストール王子が僕よりも若いであろう少年と一緒に立っているのが見えていた。あまり、魔術師という雰囲気ではない。
「違うと思うわ。お付きの騎士とも思えないけど、ただの召使いでもないでしょうね」
僕はそのまま大広間を見回して辺りの人々を観察したが、皆、それぞれ近くの人間と談笑していて、和やかな雰囲気だ。
当たり前だがイリアスの姿はなく、見覚えのない顔ばかり。
やがて、大広間にイスガルド国王陛下が姿を現した。国王らしく、重々しいマントを身につけていて、その表情は少し緊張しているように見えた。
ジーンが僕のそばを離れ、それとなく陛下のほうに歩み寄る。
「さて、私は堅苦しい挨拶は苦手だ」
国王陛下は壇上に立ち、穏やかに微笑んで見せた。「私の娘も年頃になり、そろそろ素晴らしい男性との出会いも必要だと考えている。もし、お互いに楽しく会話できるのであれば、末永いお付き合いをして頂きたい。まずは、ささやかながら食事と音楽を楽しんでくれたまえ」
やがて、大広間に三人の王女様が姿を現した。ジュリエッタ様は青いドレスで、一番立派な装飾品をつけているように見えた。キャロライン様は女性らしさが強調された赤いドレス、クリスティアナ様はふわふわした水色の可愛らしいドレス。それぞれ魅力的だ。
それに続いて、貴族の娘たちであろう人々も次々に姿を見せ、大広間はさらに賑やかになる。
食事が並ぶテーブルがある部屋は大広間の隣で、大広間では楽隊が音楽を奏で始めた。
それぞれ、思い思いのの場所に移動する貴人たち。
とりあえず和やかに夜は始まった。
一応、表向きは。




