―chapter6 言い忘れていたけど魔獣の名前はクラーケントス―2/3
「あーくじぃー、見ぃーつけたっ!」
どこか聞き覚えのある声がして、真下に地面まで続く氷の滑り台が出現した。
落下を続ける僕の背にヒンヤリとしたものが当り、自由落下を始めていた体は落下スピードを落として緩やかなものになる。
誰のお陰か知らないけれど、こうして僕はたいして痛い思いをすることも無く地面に降りることができた。
「やったよー! やっと会えた、本物のあくじだ。ねぇ大丈夫だった? 奴らに掴まって変な事をされなかった?」
再び後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきたと思ったら、後ろから柔らかい感触がぶつかってきてそのまま背中に引っ付かれた。
振り向いて背中を見るとそこには見たことがあるようなないような顔をした、奇妙な格好の女の子がくっついていた。奇妙な格好というのは、やたらと露出が多くて黒っぽい衣装をしているからで、なんというか悪の女幹部って感じだ。
奴らって、もしかして串枝さんら正義の味方の人達のこと?
それに随分と親しい態度をとってくるけれど、この子は誰だ?
「やっと戻ってきてくださいましたか。私一人でシニードリンさんの相手は大変でしたのよ。それと、戦闘員が怪人・幹部を助けることなんて当たり前ですから、あの時のお礼はしませんことよ」
今度は別の方向から、後ろに引っ付いている少女とは別の聞き覚えのある声がした。
そちらを向くと、彼女も先ほどの少女と似た雰囲気の少女が現れる。彼女も僕を知っているらしく、親しい態度だけど誰だろう? それに、あの時の事って。
「あのー、僕の事を御存じのようですが、いったいあなたはどなたでしょうか?」
僕は背中にいる少女に質問した。
別段、重大なことを聞いたつもりはない。ほんの軽い気持ちで聞いてみただけだ。
それなのに……。
「あくじが……あくじが、わたしのことを忘れるだなんて……そんなこと……。ぼぅぐあっ――が、アガガガガガガ」
目の前の少女は、世界が終わってしまったかのように絶望に染まった顔なり、口からは壊れた蓄音機のように声にならない不明な音が漏れる。
「離れてください! あくじさん、あなたの目の前に居るそいつが元凶の一人。凶悪なアトスの五大幹部の一人、シニードリンです。それからあそこに見えるのが、同じく幹部のウルリカですよ」
横合いからそんな声が飛んできて、俺は慌てて飛び退く。ショックで呆けていたシニードリンの手の内からは、難無く脱出することができた。
俺はピンクの人の言葉を信じて、そのまま女幹部だという二人から距離をとる。
声の飛んできた方向を見ると、そこには戦隊のヒーローみたく、ピンク色の鎧とヘルメットを身に着けた人物がいた。
この人も誰だ? 背格好は串枝さんっぽいけど、声とかが違っているし自信が無い。
近づいてきた相手を悪い人だって教えてくれる辺り、この人は悪い人ではないと思う。この人が嘘を言っている可能性もない訳じゃないけど、姿を見たら、どちらを信じるべきかと問われればこちらの方だろう。
「あらあら、これはアーマーズのピンクさん。前回はクラゲザムライがお世話になった時に、お会いしましたね」
アーマーズ……うっ、頭が痛い。ウルリカがアーマーズという単語を発し、そのことを思い出そうとした途端に頭が痛み出した。
アーマーズという単語が、僕の記憶喪失に関わる鍵になっているのは確かなんだけど、今はそれを思い出そうとすると、頭の痛みを伴って強制的に思考を中断さえる。僕の深層心理が意地でも思い出したくないと告げているかのようだ。
あれっ?
そう言えばピンクって、串枝さんが通信している時に、自分の事をピンクって言っていた。
ということはもしかして、もしかして目の前にいるピンクって串枝さんなの!?
「そんなことは今はどうだっていい。今は、魔獣をけしかける、お前たちを蹴散らすのが先です」
「けしかける? とんでもない。あなたは勘違いをしていますわ、私たちは……」
身の危険を察知してこの場にいる一同が、一斉にその場から大きく引いた。反応が他の人より遅れた僕は、シニードリンに引っ張られる形で強制移動させられる。
間一髪、下がったすぐ後のタイミングで、立っていた場所に魔獣の足が何本もまとまって振り下ろされた。
足が落下した衝撃で砂が巻き上がり、パラパラと砂粒が髪に当たる。
「どういうこと!? あの魔獣ってあなた達の仕業じゃないの?」
「私達とは一切、関係ないですわ」
「だったら誰がこんなことを」
ピンクは魔獣を操る黒幕の正体が違って、訳が分からない様子だ。ウルリカに事件ののことで問い詰めようとする中、二人の間に割って入る様にタコからの攻撃がやって来る。
今の魔獣の攻撃はあの二人に集中的に向けられているらしい。七本の足から繰り出される攻撃は絶え間なく繰り出され、二人とも苦戦している様子だった。
「どうやら、話している暇を向こうは与えてくれないようですわよ」
「そうみたいですね。ここは一時共闘ということで……」
「いいですわよ」
ピンクはウルリカと話していたが、魔獣が襲ってくることもあり、共に魔獣へと向かっていった。
一方、僕は手を掴まれたシニードリンの質問攻めにあっていた。
「憶えてないの? どこからどこまで記憶がある? 私が分かる? 挙式の場所は? 憶えている事と、憶えていないことは? わたし達の結婚記念日はいつ? 怪我はない? プロポーズは何時何分何秒だった?」
ちょくちょく、嘘の質問を混ぜているきがするのは気のせいか?
悪者相手に自分の事をペラペラと喋る道理はないけど、彼女には正直に答えてあげないといけない気がした。
「ごめん、全部だ。僕は自分が誰かも思い出せない」
「…………」
僕がその質問に答えてあげた時、絶句の彼女の顔は、再び深い悲しみと絶望に染まってしまった。
その顔を見ていると、僕はとてつもなく悲しい気分に襲われた。
僕は、自然と僕を捕まえているシニードリンへと無意識に自ら手を伸ばそうとして。
「アクジさんは、こちらが取り返しましたよ。逃げ出そうとするために、一般人を人質に取るだなんて卑劣です」
「わたしは、そんなのじゃ……」
何時の間にかウルリカを撒いたピンクが、再び放心状態にあるシニードリンから僕を引き剥がした。
あっ――と声が零れた。伸ばそうしたした手は、シニードリンに届く前に引き剥がされた。
「あれ? 君はウルリカと一緒に戦っていたはずじゃ……」
手強そうしていたけど、あそこからどうやって抜け出したの?
「仲間達がやってきてくれたので、戦闘から一時離脱することができました」
ホントだ。
魔獣の方を見ると、ピンクと色違いの格好をした赤、黒、緑、黄色の四人がそれぞれ武器を手に魔獣と戦っていた。
ピンクは通信機を使い、魔獣と戦ってくれている仲間たちに僕を助けた事を報告する。
「こちらピンク。対象の保護を完了しま……え! 来た隙に、逃げられて、こっちに向かった?」
「一体誰が?」とピンクが聞き返そうとする間に、僕の体に鈍い衝撃が走った。
「この人はこちらに、奪い返させてもらいますわよ」
気づくと、僕はピンクの内側から、ウルリカの内側へと移動していた。
どうやら、ピンクの仲間達が来たときに魔獣からの戦いに抜け出したのは彼女だけではなかったらしい。
ウルリカは僕の後ろに回り首を閉めるように腕を回し、自分と体を引っ付けて僕を取っ捕まえている。
ウルリカの胸は。その、あれだ。とても大きい。
そして僕は、そのとても大きい胸のウルリカと密着している。
つまりは、僕の身体にウルリカの大きい胸が当たっている。
したがって、男としてはどうしようもない本能が湧きあがって来るわけで。
「ムニムニがっ! ムニムニきたのが、ムニッって!?」
「あら、いっちょ前に恥ずかしがっているのですわね。
面白いですわ、もっとして差し上げましょう。それそれそれ~」
僕は戸惑うやら恥ずかしいやら嬉しいやらと、様々な気持ちがないまぜになって混乱状態に陥る。
そんな僕の状態を見るのがウルリカは面白いらしく、押し付けるのをエスカレートさせては反応を面白がっている。
「アクジさーん! くっ、どうすれば……」
ピンク一人と敵幹部一人の状態だった形勢は、ウルリカの登場によって敵幹部へと傾いてしまった。しかも、僕という人質が付いているせいもあって、ピンクも迂闊に動けない状況に陥っている。
ムニムニの誘惑に抵抗しながらも僕は、ある決心をした。
「僕の事はいいんだ。二対一じゃ、いくらなんでも分が悪すぎて勝てっこないよ。ここは引いて。
僕の事は気にしなくてもいい。そのかわり、後で助けに来てよ」
シニードリンの相手をしていると僕に危害を加える様子はなさそうだし、きっと平気だから。
今からじゃなくても、機を見て、万全の態勢で後に助けに来てくれたっていい。
断じて、今の状況が美味しいから止めるなと言っているのではない。断じて!
「分かりましたアクジさん。確かにこの状況では、私単独であなたの救出は無理です。ですが今は無理でも必ず……」
「ピンクさん……」
「アクジさん……」
ピンクが僕をバイザー越しに見つめ、僕はピンクのバイザーを見つめ返す。
その行為に僕は、ピンクとの不思議な絆を感じ初め出す。何かチョッピリ良い感じもし出した。
そんな空気を感じとっていると、寒い気配が背後に回った。




