88:34:40 愛する者の手で
三人称視点
「はぁ……」
夜であっても、撫子は歩いていた。
特に理由などない。
ただ、立ち止まったり、寝るということをする気になれず、ただ歩きたかったのだ。
彼女の考えていることはただ一つ。
どうして、あの時碧となずなを殺さなかったのか。
チャンスであった。これほどまでになく、二人は隙があり、どちらかを殺したところですぐにもう一人も殺せるはずだった。
なのに、彼女は二人を殺すことはなく、その場から立ち去ってしまっていた。
「時間がないのに」
もう時間は無い。
首輪の制限時間は『96:00:00』であり、残り時間は既に十時間を切ってしまっている。
今すぐ戻ったところであの場所に二人がいないことは明確なのだから殺すことは出来ず、かといって他のプレイヤーがどこにいるのかなど彼女は知らない。
ただわかるのは、残りのプレイヤーが彼女を含めて6名だということ。
つまり、都合4人殺さなければならないのだ。
「やっぱり私に、人を殺すなどということは出来ない、ということなのでしょうか」
自問自答は既に何十何百と行われれている。それでも、陰鬱とした気分は何も答えを生み出すことは無く、意味の無い問いかけばかりが浮かんでは消えていく。
故にこそ、その出来事は突然であったのだ。
「よう、三条」
「え?」
突然掛けられた声。
それは思い返してみれば知っている声。
ただ声に反応してうつむいていた顔を上げただけなのだが、そこにいた人物を見て彼女は現実だとは一瞬信じられなかった。
「け、啓一さん!?」
「ああ。というか、名前で呼んでたんだな」
そう、そこにいたのは萩原啓一。
撫子の愛する者であって、彼女が唯一殺さないプレイヤー。つまり、救いたい人だった。
何日と逢えなかった人に、こうもあっさりと出会う。それは、あまりに現実味が無さ過ぎて一瞬撫子はフリーズした。
「おーい、どうしたんだ、三条?」
「あ、あああ……あう」
目の前で啓一が手を振る。しかし、それに対して中々反応が出来ない。
何を話した良いのかわからないのだから、何をすればいいのかもわからなかった。
だからこそ、彼女の視線は様々な場所に移り、ある1点でそれは止まった。いや、止まらざるおえなかった。
「啓一さん、あの、首輪……」
「ん? 首輪?」
「外れ……てたんですか?」
「ああ」
そう、啓一の首には、撫子にもあるはずの装置が着いていなかった。それはつまり、彼が首の階上条件を満たせているということだった。
そのことに、安堵しているはずなのに、撫子はなにかが納得できなかった。
「どうやって……外れたんですか?」
「俺のコイツの解除条件は、奇数ナンバーの端末の持ち主三名の死亡と、偶数ナンバー三名の死亡だ」
「そん、な」
「どうしたんだ、三条?」
「私は……啓一さんを救おうとしました」
「どういうことだ?」
「私の首輪の解除条件は、『ジョーカーの持ち主の殺害』。それはつまり、啓一さんの事なんですよね?」
「…………ああ」
「私は、啓一さんを殺したくなかったんです。だけど、私は啓一さんと生きたかったんです。でも、私が生きたかったら、啓一さんを殺すしかないんです。それで、悩んでいた時でした、その時に、あのピエロが現れて、それで、こういったんです。『私が啓一さんと一緒に生きたいのなら、それ以外のプレイヤーを、殺せ』って。そうしたら、二人ともクリアにしてあげる、って。だから……だから、殺したんです! 一人だけでも、この手で。この手に持った凶器で! 確かに、肉を裂く感触と、流れ出る生ぬるい血液にも触れたんです! そして、私は殺そうとしました。一緒にいた碧さんを! はっきりと、この手で、殺そう……と、したんです……! でも、でもでもでも! 今ここで啓一さんはいて、それで、啓一さんはもう首輪は解除できてて、でも、私は……私は」
「………………」
「どうすればいいんですかっ!? もう、殺すしかないんですか!? 私は、みんな殺すしか? それとも私の愛する人を殺すしかないんですか? それしか、ないんですか……!」
撫子は叫ぶ。
声を震わせ、体を震わせ、心を震わせ。
涙を流して叫ぶ。
生きるには殺すしかなく。
殺すのは多くの人か愛する人か。
もうすでに、彼女の中でどうすればいいかなど、わからなくなっていた。
啓一はそんな撫子を見る。
「三条」
「はい……」
「なら、俺を殺しに来い」
「え?」
そして啓一から紡がれた言葉が、意外過ぎるものだった。
へたり込んでしまった撫子は見上げ、啓一の顔を見る。その顔には冗談など刻まれておらず、本気だということが、わかった。
「そんな、そんなこと……」
それでも、撫子には簡単に実行に移ることは出来ない。
「三条、生きたいんだろ?」
「はい」
「でも人を殺すのは辛いんだろ?」
「はい」
「だったら、これを最期にしろ。俺がお前を殺すか、お前が俺を殺すかに」
「でも――」
「駄目だ。簡単に俺に殺されようとするんじゃない。おまえの命は既にお前以外の命も背負っている。だからこそ、お前はその分を足掻いて、抗え」
「………………」
「容赦はしない。これは殺し仕合なんだ。この場では、生きるか死ぬかしかないんだ。俺を救いたいがために人を殺したなんて思うんじゃない。自分が生きるために人を殺したと思え。そして、今ここでお前は自分の命を続けるために殺し合うんだと思え」
「誰かの為じゃなく……自分のため」
「そうだ。もうお前は自分のために生きるしか道は無いんだよ。だから、お前が生きるにおいて最も最善の策の、目の前にいる俺を、殺すんだ」
「最前。殺す。目の前」
「そうだ」
見上げてくる撫子に、啓一はただ強く、強く語りかける。
それでも撫子は振り切ることは出来なかったが、立ち上がる。
「わかり、ました。私は私のために……愛する人を殺します」
「こい」
「はい」
お互いが頷いて。
そして、お互いの命を掛けた死合いは始まった。
「はぁっ!!」
「ふっ!」
1合目は撫子の先制。
スカートの中に隠していたナイフを逆手に持つと、ためらいなく、その軌道は啓一の首を目指す。
それに啓一は素直にはやられない。軌道を見切ると一歩前に踏み出し、撫子の攻撃を制することで事なきを得た。
2合目は啓一の番だ。
踏み出した足を引くことなく、そのまま自らの拳を握って下からのボディに向けて殴りかかる。
撫子はその攻撃を一歩啓一が踏み出したところで狙いを読み、後ろに跳んで回避する。
啓一の拳は空を切った。
「やぁ!」
「おらぁ!!」
撫子はナイフを、啓一は拳を。
武器と無手の、一方から見れば圧倒的に理不尽であるはずなのに、二人は互いに攻守を交代しながらせめぎ合う。
どちらかが一瞬でも気を抜けば死ぬか重傷を得る。
いくらむき出しの拳であっても、男の力によって生み出される力が全て女の体に叩きこまれれば骨など簡単にイかれる。そういった意味で、当たるわけにはいかないのだ。
「ぜぇあっ!」
「たぁっ!!」
空を切る。
空を切る。
お互いの体を掠め、髪はなびき、服は流され、肌が空気を感じるたびに首の裏が痺れてくる。
命の危機を本能が感じて押さえつけようとするものを、理性で抑え、動きを止めることは無い。
掴まれればねじって外し、突っ込んで来れば距離を離し、一進一退を共に繰り返していく。
殴る、切る、掴む、外す、叩く、落とす、蹴る、跳ぶ、叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。薙ぐ。しゃがむ。突く。流す。
全力を以て相対とし、合を重ねれば重ねるほどに二人の動きは激しさを増していく。
動いていれば汗を掻き、身体中から溢れる汗は空気散っていく。
真剣に、殺そうとする。
だがその動きは殺し合ってるとは思えないほどに美しく、惹かれるものがある。
それはなぜか。
「ハハッ!!」
「アハハッ!!!」
どちらともなく笑う。
笑って笑って動き続ける。
殺し合っているのに、最後はどちらかが死ぬしかないのに。
刹那を楽しみ、お互いがお互いを求めて殺し合う。
殺されると実感し、向かいくる死を回避した瞬間は、安堵よりも嬉しさが増していく。
ああまだ生きている。ああまだこの逢瀬を楽しめる。
終わらないで終わらないで。もっとずっと楽しみたい。
ナイフが掠めて血が滲む程に痛いのではなく熱く、その熱さはまた体の熱さを引き上げて気分を昂らせていく。
拳が肌を擦過し、流した拳の熱さを感じるほどに、その熱さにつられて体は昂ってくる。
もっともっと。もっともっともっと。
命を削り、磨かれていく。
そんな……永遠に続くかと思う中。
それでも、終わりはいずれやって来る。
啓一と撫子。男と女。
どこまでいってもそれは差で、女である撫子は技に秀でていて、男である啓一は力に秀でていた。体技がどこまで優れていても、体力が無ければやがて技に精彩さは消えていく。
撫子の限界は近かった。
上がる息。酸素を取り込もうと呼吸をするが、動き続けることで取り込んだ酸素もすぐに使い切り、焼け石に水となる。
次に動きは鈍くなり、それは隙を生んでいく。
「だぁっ!!」
「くっ!? がはっ!!」
啓一が振るった拳を、遂に撫子は流すことは出来ず、流され切れなかった力は彼女の身体に叩きこまれる。
それだけで、あばらが数本折れ、折れた骨は、運悪く肺へと刺さる。
溢れだした血は逆流し、喉をせり上がって口から血が吐き出される。
肺に骨が刺さったことでもう、呼吸は満足にできない。
「おわり……ですね」
「ああ」
息は浅く、もう、空気を吸うこともままならない。
撫子の視界がぼやける。浅く浅く吐き出されては吸われる空気。それに命を延ばす意味はなく、身体中に行き渡らない酸素は脳の活動を鈍せ、筋肉を動かすことも難しくなっていく。
やがて筋肉は体の支えることも出来なくなり、倒れ込む。
その先は啓一の胸元。
その熱く、温かな体の中で撫子は啓一に寄り掛かる。
「私、幸せでした」
目を閉じて、優しい声で撫子は呟いた。
「そうか」
「最後に啓一さんに殺されて、幸せでした」
啓一は簡素に答えるだけで、ただ撫子のしたいようにさせていた。
「だから、ありがとうございます。そして、愛しています」
「………………」
三条撫子は、萩原啓一の胸の中で死んだ。
その時の彼女の表情は、とても幸せそうに、微笑んでいた。




