59:53:11 呆気ない死
三人称視点
「また一人かー」
萌香は、これにて三度目の一人だった。
最初と、修治と。そして先ほど、楽重と。
修治は既に死んでいるが、実際そのことを萌香は知らない。
「服も汚れちゃって、これどうしようかしら」
萌香は自分の姿を見下ろす。
服は所々が赤くなり、汚れてしまっていた。
萌香としてはこの服はお気に入りであったために、気分は落ち込んでいる。
原因は彼女自身にあるのだが、まぁ今それを追及したところでどうにもない。
というよりは、これぐらいで済んだのが彼女としては良かったのだ。
本来であれば、楽重に覆いかぶされた時点で彼女は殺す気であった。腹であろうと、急所をナイフで一刺し。それで終わらせ去るつもりであったのだが、どうして、萌香は楽重を自らの手で殺した。その理由も、結局はきまぐれだと、彼女は信じている。
「あ、でも他の人と出会った時のことも考えておかないと、怪しまれちゃう」
女は女優。
それを地で行く萌香。
常に人に合わせて自分を隠し、本質に近いものを見せても、見せたものは生かさない。
自分にしかできない仕事をこなし、金を稼ぐ。
時に人を殺す。時に個人情報を得る。
手段は自分に行えること全てを行う。
倫理だとか、そんなものはない。
必要とあれば体を開く。薬も使う。
騙すために。人を、社会を、世界を。そして、自分を。
そうして、彼女は生きてきたのだ。
先ほど一人の青年を殺したところで、今更な問題だ。数え切れないほどに自分の手は真っ赤に汚れている。自分の心は、真っ黒に染まっている。
罪悪感も、何もない。
そんなことよりも今の萌香に重要なのは、どう生き残るかである。
自分一人だけで生き残るというのは不可能に近い。
だから、誰かを利用する必要ある。
「姿同様……年相応……次は被害者かな」
ちょうど、服には返り血がある。
これで、誰かに襲われたと言えば大体の人間は騙される。というよりも経験則で騙されている。
「ま、それよりは誰かと逢えなきゃダメだけど」
そうして、特に周りに注視していなかった。
だからこそ、今の彼女は隙だらけであった。
だからこそ、気づかなかった。
――ザスッ
「へ?」
背中から、押されるような感触。
しかし後ろを振り向くよりも、気になる物が眼前にはあった。
赤いのに鈍く光るナニカ。
そう、これは刀だ。
それが、自分の心臓から生えている。
生えているということは、刺されたということ。
刺されたということは、後ろにそれを実行したものがいるということ。
つまり、すぐ近くに誰かがいたはずなのだ。
なのに、足音無くも、人のいた気配も無く、この状況。
訳が分からない。
だが自分が刺されたということを自覚した瞬間、体も追って反応する。
「ゴホッ!」
――ビチャ!
口から零れだした粘性のある液が溢れ、床へと落ちる。
血だ。
今自分の口から零れ落ちた、血。
「どういう、ことよ……」
痛みが来るよりも先に、意識は暗く。
視界は霞む。
一瞬の出来事。
ただ何も知らず、ただこのまま死ぬ。
――ズル……
生えていた刀が、引き抜かれる。
刀という栓が無くなったことによりその場所からは血が溢れ、血だまりを作る。
抜かれた反動と、すでに萌香自身が自分の体を支えるだけの力はないことで膝は崩れ、彼女の体は床に倒れた。
生々しい音が響き、既に床に溜まっていた血が、萌香の服を侵食し真っ赤に染める。
左の顔は床に倒れ込んだ時に飛び散った血で、視界の半分が赤い。
力が抜けていく。温度が消えていく。
冷たい床と冷たい血と。それと一体になっていく錯覚を覚える。
「は、はは……これで、死ぬの?」
萌香の口から力なく呟かれるのは、納得のいかない疑問。
それもそのはずであり、彼女は生きる気でいたのだ。死ぬ気など、毛頭ない。
だが、現実は違う。
今確実に自分は死ぬ途中であり、このまま死ぬのは確定だ。
「呆気ない」
だからそこで、諦めた。
生きるということを、諦めた。
萌香の眼は濁り、息は細く細く、絶えた。
「ごめんなさい」
萌香が息絶えたことを、一人の少女は見下ろしながら謝る。
血糊を拭い、刀を鞘に納め、歩き出す。
足音は無い。
あるのは布ずれや、物同士の擦れあう音。それも、耳を澄ませなければわからないほどに小さい音。
「だけど、私はやらないといけないから」
背を向けて去っていく少女。
それは、自分と、自分の愛した人以外を殺すために決意した少女。
三条撫子であった。




