始まりを告げる前奏曲2
男はただ、夜空を眺めていた。
星の少ない、夜空だった。
男は夜空に目を向けたまま、ネクタイの結び目に指をかけてもともと緩めに結ばれていたネクタイをさらに緩めた。
そのまま器用に片手で、締めていたYシャツの第一ボタンを外す。
麻央はその瞬間まで男を見つめて、男から視線をはずして同じように空を見上げた。
…本当に、星の少ない夜空だった。
若干空が曇っているからだろうか。
この時期には珍しいほど、星が見えない。
そう思いながら眺めていた空に、一筋の光が走った。
「……あ!」
見間違えもなく、流れ星だった。
麻央はぱんっと手を合わせて目を閉じた。
…しかし願い事が思い浮かばず、麻央が目を開けると、男も同じように手を合わせていた。
「…………あ?」
男は同じように手を合わせて願い事をした麻央をぽかんとして見つめた。
「……真似してんじゃねェよ」
「ま、真似じゃないです!!たまたまじゃないですか!」
「いや、絶対オレの方が先に手ェ合わせてた!」
麻央は言い返そうとして、口をつぐんだ。
男の言い分が、あまりにも幼かったせいだ。
子供のように口を尖らせて言う様が、いかにも可笑しくて、つい笑ってしまった。
男の方は笑われている意味も分からずに、何だよとふてくされたように呟いて目をそらした。
「……あ」
目をそらした時に、腕の夜行時計の文字盤が目に入った。
男はカバンを方に下げ、そろそろ時間だと立ち上がった。
「………帰るんですね」
「そろそろ帰って寝ないと仕事に響くからな…」
おまえも早く帰れよ。
そう言って男は広場から出て行った。
麻央は立ち去る男の姿が、手前の角を曲がって消えるまで見送って、それから立ち上がった。
なぜか、なぜだか判らないが、あの男に言われて帰る気になっていた。
麻央は最後にもう一度空を仰いで、家を目指して歩き出した。