プロローグ3
時計の針は七時を指した。
麻央はご飯の入った茶碗を持ったまま時計にちらりと目線を向ける。
麻央の目の前では母親が、ようやく今日会うつもりの男と通話を終えて黙々と夕食を食べていた。
もともと、麻央の母親は麻央に対して何も言わないことが多い。
どうでもいい男との間にできたどうでもいい子供。
麻央が中学に上がるときに、母親はそう言った。
それからというもの、母親は説教するとき以外ほとんど麻央と口を利かなくなった。
酒を飲んで酔った時は別として。
酒を飲んで酔った時の母親は、手が付けられないほど豹変する。
酒癖が酷く怒り上戸に泣き上戸の母親は、麻央に対して酒瓶を投げつけ、半狂して泣きながら麻央に悪態をつく。
時には手も挙げる。
そんな母親に、幼い頃の麻央は毎日痣や傷を付けられては暮らしていた。
それでも他に親戚もおらず、祖父母も既に亡くなり、より所のない麻央は誰にも助けを求めることなく生きてきた。
今では母親が半狂することなど何とも思わなくなった。
…少し、辛いけれど。
1人じゃないから、耐えられるのだろう。
―――――――がん、
不意に母親が茶碗をテーブルに叩きつけるように置いた。
その音に小さく肩を揺らした麻央の方を睨みつけて、母親は一言一言を噛みしめるように呟いた。
「…出かけてくるから」
「うん」
麻央は短く返事をして、射るような目を向けてくる母親の視線を無視した。
「明日の朝帰ってこないかもしれないから」
「…わかった」
麻央は意識を手に持った茶碗に集中させる。
母親に出来るだけ関わりたくなかった。
もちろん、当の母親も関わる気などさらさらないだろうけど。
同じ家の中にいながら、やけに遠く聞こえたドアの閉まる音が麻央の耳に届き、麻央は中身を片づけた茶碗を静かにテーブルに戻して大きく息をついた。