二人の行進曲
――――――一年前のあの日を思い浮かべて、麻央はくすり、と笑みを浮かべた。
懐かしさが一気に胸にこみ上げてくる。
ぎこちない関係だった頃の二人の探り合いは、今では悠佳との大切な思いでの一つとして、胸の奥に大切にしまわれている。
メール通を初めてしばらくして、悠佳が広場に姿を現さなくなった。
始めは仕事が忙しくて来れないのだろうと思っていた。
……けれど、二日経っても三日経っても、悠佳は広場に来なかった。
さすがに不安を感じてメールしても、何通送っても返ってこなくて。
その時に、激しい絶望感と損失感を抱いた。
ずっとケータイを一日中握りしめて、返事を待って。
まるで彼氏からのメールを待つ彼女みたいな姿に、馬鹿馬鹿しくなったりもして。
それから一週間経って、ようやく広場に悠佳が来た。
くたびれたような表情を引きずって。
…そう。
悠佳は残業する派のサラリーマンだった。
一週間近く残業続きだったと、麻央の心配も知らずに疲れきった、でも達成感のある笑顔でそう教えてくれた。
その時に、麻央はこれほどにない安心をしたのを覚えている。
―――…静かな夜。
それを崩さないようにか、いつもはうるさく鳴いている虫達も小さな声で鳴き交わしている。
麻央はケータイを開いて、時間を確認した。
それから、ため息が口からこぼれそうになった時。
―――――「麻央!!」
「!」
低いのか高いのか微妙な声音が、広場に響いた。
そして二つある広場の入り口から、悠佳がスーツを翻して飛び込んできた。
「悪い、遅くなった!」
悠佳はそのまま麻央の方に走って来つつ言った。
「いいよ、別にオレが早く来すぎてただけだよ」
麻央は、目の前で立ち止まり、ゼイゼイと呼吸を乱す悠佳を見つめる。
朝の通勤ラッシュで鍛えた足腰だとはいえ、やはり体力の方が先に底を突くらしい。
「…じゃ、行くか」
「うん」
ようやくゼーゼー、ハーハーが収まった悠佳が呟いた。
麻央はそれに少し微笑んでうなずいた。
二人は広場で待ち合わせて、それから流れる形で悠佳の家に向かう。
いつものパターンだった。
「悠佳、仕事どうだった?」
「別に……いつも通りだよ。いくら不況だっつっても、あんな給料で残業付きなんてぼったくりだぜ全く」
「はは……」
仕事のことを聞けば、悠佳は愚痴る。
仕事経験のない麻央にとってはよく判らないこともあるが、悠佳が麻央に愚痴ることでストレス発散になるのなら、麻央はそれだけで満足していた。
―――悠佳に会えること。
それは麻央にとって、他には代え難い幸せと安心とを意味する。
悠佳はそれほど気にしていないらしいが、麻央にとっては大きな意味を持つ出来事だった。
「今日は遅いからもう寝ろ、明日また色んなことすりゃいいだろ」
家に着いた。
悠佳は古風なアパートに一人暮らしをしていた。
彼女はいないらしい。そして更に結婚する気もないらしい。
幸せな家庭を育むという望みは、三十代後半を目前にした悠佳には"どうでもいい"ものであった。
麻央はその考えをどうも肯定できずにいた。
そんな風だと、将来孤独死するよ?
そうからかってみたが、悠佳は至って平然としたもので、クス、と笑って答えた。
「それも面白いかもな。」
麻央にはこの悠佳の考えだけは理解できなかった。
「色んなことって、例えば?」
麻央は悠佳の布団に潜り込みながら聞いた。
悠佳はソファにごろりと転がると、軽く目を閉じて答えた。
「さぁな、お前がしたいことでオレが付き合ってやれるならしてやるよ」
麻央は布団に体を横たえ、同じように目を閉じた。
したいことはたくさんある。
何よりも悠佳に、わかってもらいたかった。
胸の内にある、この気持ちを。