誘拐Ⅰ
誘拐。その単語を辞書で引けば、『人を騙して誘いだし、連れ去ること』と出る。ここから連想されることは……チーちゃんが誰かに何等かの方法で騙されて、ノコノコ連れ去られたってことだ。
「はぁぁぁ」
誰もいない生徒指導室で、俺の溜息だけが聞こえる。
「どうすんだよ……? 俺は、何をすればいい?」
俺にとって、チーちゃんってのは何だ? 誘拐されたのに、自分の冷静さが怖い。ここまで冷静なのは、普段の生活でも珍しい。なのに……。
「何で頭が動かねぇんだよ!」
自分自身に怒りがこみ上げる。
「誰かに……知らせないと……」
とはいってみても、誰に連絡していいのか分からない。
「村井! ちょっとこい!」
まだ朝のホームルームの時間でないからか、大鉄先輩が俺のことを呼んだ。
「聞いたか? 城峰コーチが……!」
大鉄先輩にしては、いつもよりも焦っているように感じた。
「聞いたも何も……! 俺が電話したんですよ」
「とにかく、部室で会議だ。俺たちにもできることがあるかもしれない」
「えっ、でも、ホームルームと授業……」
「特例だ! 津貫高校卓球部のコーチが誘拐なんだぞ? もう、個人の問題じゃないんだ!」
部室に行くと、すでに先輩たちは来ていた。しかし、俺は部室に何かの違和感を感じていた。
「村井……」
最初に俺に声をかけてくれたのは、意外にも荒木先輩だった。
「大丈夫、か? 顔色悪ぃぞ」
「え?」
荒木先輩の表情からみるとるに、俺の顔色は本当に酷いらしい。自分での自覚はない。
「あ……大丈夫です」
「そっか、なら、いいんだけどな」
俺は、改めて部室を見渡した。部室に3つ置いてあった台は畳まれて、隅に置いてある。今まで台が置いてあった場所には、長机が4つ、正方形になるように並んでいる。そして、椅子が1つの机に各2つずつ。2つの椅子には、さっきの生徒指導の先生と、見たことはないが理事長らしき人物が座っている。
「君が、村井、利信くんかな?」
理事長らしき人物が、俺に声をかけた。物腰は柔らかく、嫌味は感じない。
「……はい」
警戒をみせつつ、話を聞くスタンスでいる。
「私は、この高校の理事長を務めている、古林 誠(こばやし まこと)。知ってるかな?」
「いや、すみません……記憶にありません」
俺は、正直に答えた。知っている、と、嘘をつく理由もなかったし、面倒だった。
「そうかそうか。正直なことは良いことだ。最近の若者ではこうでなくてはなっ」
理事長にしては、明るいな。俺はそんなことを考えていた。つーか、俺が言えることではないけど、自分の管理下の学校の教師が誘拐されたってのにこのテンションでいいのかよ?
「この度は、大変だね」
「会議って、何するんですか?」
「おいっ、失礼だぞ、村井!」
生徒指導の先生が俺を注意する。だが、俺の頭は限界を超えていた。
「知らね。早く、チーちゃんを取り戻せよ!」
「村井!」
先生でも止められなかった限界の壁を突破した俺を、止めたのは『最強』の壁だった。
「せん……ぱ、い」
「いいから座れ」
ドンとしていて、大鉄先輩はいた。後は、従うだけだ。
「はい……」
俺が座ったのを見て、生徒指導の先生が声を出した。
「とにかく、警察の方がいらっしゃるまでに、情報を出したいと思います。最後に城峰先生を見たのは誰だ?」
そう聞き終わると、俺の方に視線が集まった。
「俺が、最後にみたのは……風呂終わって、テレビを観ていた姿です。普段着のまま、何ら変わり映えしていませんでした」
冷静に答えられたかが不安だった。
「その後は?」
大鉄先輩が、柔らかい口調で話す。
「俺は、その後寝たんで……分かりません」
俺が言い終わると、サイレンの音が聞こえた……。