涙
「失礼します」
そう言って入ってきたのは、憲吾のお母さんだった。
「あっ、ども」
俺は一応挨拶をした。正直、まだ腹は痛かったが、そこは我慢だ。
「なんで来たんだよ?」
憲吾は何時になく不機嫌だ。たぶん、照れがあるんだろう。俺は憲吾の家に何度も行ってるのに。
「お見舞いよ。アンタたち、元気になったら外に、刑事さんきてるわよ」
刑事という言葉を発する憲吾のお母さんは、またか、といった顔だった。
「はぁ? マジかよ。まだ腹が痛いので何も話せませんって言っといて」
憲吾は平気で嘘を言った。
「分かってるわよ。利信くんの親御さんだってまだ着てないんでしょ?」
「あ、はい」
俺に聞いたのではないと思ったが、俺が変わりに答えた。
「さっさと出てけよ」
「はいはい。それじゃね。明日、また来るわ」
「二度とくんな」
そう言う憲吾も、なんだかんだ言って嬉しそうだった。
「失礼します!!!」
憲吾のお母さんが出て行って直ぐに、チーちゃんが入ってきた。……あれ? チーちゃんと俺の関係って、憲吾知らないよな?
「てっ、先生!? どうしたの? まさか俺の心配してくれ――」
「大丈夫!? トシ!? 私心配で心配で……」
憲吾の発言を軽く無視して、チーちゃんは言った。
「って、利信かよ! つーか、トシって?」
まぁ、そういう反応が正解だろうな。
「あのさ」
俺はそう初めてチーちゃんと俺の関係を話した。
「なんだよ、そうゆうことかよ。俺、先生のこと狙ってたのにな……」
「おいおい、本気でショゲルなよ」
俺は憲吾に声を掛けた。
「そ~いや、まだクラスの皆には言ってなかったなぁ」
なんて、チーちゃんはのほほんと言っている。
「つーかさ、憲吾は大丈夫だと思うけど、ほかの奴だったら学校側とか理事会とか教育委員会とかに言われるよ? そうゆう心配はないわけ?」
俺はチーちゃんにもう少し警戒心を持って欲しくて、そんなことを言った。
「大丈夫だよ、俺は絶対誰にも言わないしな! それで親友が助かるなら尚更だしな!」
「いや、憲吾。俺が言ってるのはそうゆうことじゃなくて……」
「助かるぅ! 文沢くんに英語の点数上げちゃう♪」
「本当ですか!? よっしゃー!」
それって、犯罪だよね?
「それじゃ、もう少しで面会時間終わるし……というよりももう本当は終わってるんだけどね。帰るね。今日はトシがいなくて寂しいけどね」
チーちゃんはそえだけ言って帰っていった。なんつーか、もう少し凄いお見舞いなのかと思った。でも、さすがに憲吾の前だから自重したのかな?
「ったく、チーちゃんの奴、変なことしか言わないんだから」
「まっ、ラブラブでよかったじゃねーか。少し歳離れててもな」
「そうゆうんじゃねーよ」
俺と憲吾はそれからも雑談を交わした。明日になれば、先生やらなんだかやらが事情を説明にくるだろうし。もう寝るかな。
病院廊下。エレベーターの前で、千鶴はスイッチを押した。エレベーターの上のデジタル板に『9』と書かれている。今千鶴がいる階は『4』。もう少し時間が掛かるだろう。
「……トシ……」
病人を前にして落ち込むのはダメだと自分に言い聞かせてきた千鶴は、誰もいない夜の病院で涙を流した。
「うぅ……っ」
どんなに流しても、止まることのない涙。エレベーターのデジタル板は『5』。あと少しだ。そう分かっているのに、涙は止まらない。
「なんで……、トシが……!」
自分のせいではない。そう分かっていても、愛している人が刺されたというイメージは強く残る。いや方向にばかり想像が働く。せめて、利信の前だけでは元気でいよう。千鶴は、止まらない涙を流し続けた。
「あの……」
到着したエレベーターに乗っていた男が、声を掛ける。
「すみません、いってください」
「はぁ……」
弱っている千鶴に対しての返答は気の抜けた声だったが、今の千鶴にとってはそれが一番良かった。変に同情されるよりもずっと……。
結局、千鶴は階段を使った。そして、携帯電話を開き、利信の母親である『村井 幸子』にメールを打った。
『助けてください。私、どうすればいいんですか?』
利信がどういう状況なのか先ほど説明をした。
幸子からのメールが届いたのは、家についてからだった。