♪♪♪
『皆草の湯』は旅館の外見とホテルの外見との2つも持ち合わせている宿だ。俺とチーちゃんの部屋はどちらかというとミックス。どちらもある広い部屋だ。ただ、俺はチーちゃんに文句を言いたい。
「なんで部屋一緒なの?」
「お金なかったから」
「嘘言うな」
こんなにも広い部屋に止まる人が2つの部屋を取れないわけがない。
「いいじゃん~! 一緒でも! デートなんだからさっ」
グッと親指を突き出してポーズを決めるチーちゃん。この人には敵わない。敵うのは、俺かチーちゃんが死んだときだな。なんて、不吉なことを考えてみたりもする。
「準備できた? 行くよ」
「オーケー」
俺は小さくコメントを返すと、シューズとラケットケースを持った。
卓球場。ホテルの卓球場だとは思えないほど広々としていて、台が5台置いてある。
「広……」
「広い、でしょ?」
「あ、うん」
こういう自分の想像とは違うものを見ると人間ってなぜいか素直になってしまう。
「ほら、ボーってしてると、時間なくなるよ」
「……はい!」
「……??」
チーちゃんの目が点になった。
「一応、コーチだからね。実力は認めてるからさ」
チーちゃんの顔がどんどん赤く染まっていく。いつも人をあんなに酷く扱ってるくせに、変なとこで初だ。でも、いつのも練習でみていたから分かる。チーちゃんは強い。口だけじゃない、本当の練習から教わっているって感じる。
「いくよ。最初は、――」
そう言ってから直ぐに、チーちゃんは強めの下回転を打ってきた。まだ話の途中だったから、俺は構えていなくて、返せなかった。俺のラケットに当って地面についた球が、シュルシュル回転している。
「――ラリーって言いたかったけど、まずはレシーブ練習からかな?」
驚いている俺に、チーちゃんは憎い嫌味を飛ばす。でもその顔をみて、若干可愛いと思ってしまった俺は、まだまだ集中できていないと感じる。チーちゃんの顔は俺にとっては普通なんだ。そう、可愛くはない。尊敬だ。
「言ってくれやがって……俺だって本気だしてやるよ」
「すぐ熱くなる。まだ若いね、トシは」
チーちゃんはポケットから1つ球を取り出してまたした回転を打ってきた。当然ツッツキで返す。 すると、チーちゃんは帰った球をいきなり手で取ってとめた。
「なんで?」
当然そんな疑問が出てくる。折角返した球を、止められたんだから。
「馬鹿。ラリーは最初にフォアでしょ?」
「でも、」
俺が反抗を示すと直ぐに打ち砕かれた。
「そんな強い回転じゃないでしょ? 相手にとって一番困惑するのは自分のとは違う回転。人間なんて、自分の考えとは逆の考えがくると反抗を示すまでに、若干の困惑がくるの。そんなの常識でしょ?」
チーちゃんは理論的に卓球をする。漫画である『根性』とかじゃない。こうすればこうする。そんな卓球の仕方だ。でも、その理論が難しい。チーちゃんにとっての強くないは、俺にとっては強いかもしれないんだからさ。
数時間後。卓球場の時計はもう12時を示している。 腹が減った。朝飯は食った覚えがない。だって、いきなり車でそのままホテル。んで卓球なんだから。集中力でここまでもったのは凄いと思う。
「そろそろご飯にしよっか。もうこの時間だから、お客さんも少ないでしょ」
「よっしゃっ」
俺は小さくガッツポーズをとった。人間って、今まで忘れていたことを思い出すと一気に込み上げるんだな。腹が減りすぎて腹が痛い。そろそろ限界だ。
「何がいい? ホテルの食堂もあるけど、折角来たんだから、何か美味しいもの食べたいでしょ?」
「うん。でも、特にリクエストはないよ?」
俺は腹が減りすぎて特に考えることもなく答えた。
「まぁ、ドライブでもすれば何かあるでしょ」
「いや、チーちゃん。俺、そんな時間ないんだけど……。結構ピークだよ?」
「男なんだから我慢しなさい」
チーちゃんはそう言うと、ニコッと笑った。全く、自分の気分で動くんだから。
卓球場を出ると、俺等と入れ違いで、3組の人たちが卓球場に入っていった。そこには、さっきすれ違った男の人もいた。
本当に、どっかであったような気がする……。でも、思い出せない。あれ? ダメだ。思い出せない。
青年、富樫 拓は卓球場に入る前で歩みを止めた。
「ねぇ、村雨くん。今の……」
「あぁ、そうだな。村井だ」
拓と一緒にいた青年も答えた。だが、その声は冷静で、感情が無いと表現するのがしっくりくる声だった。
「まっ、俺はさっきあったからいいんだけどさ。心の奥底からいいでしょ?♪」
「興味はない。俺には、なぜお前が此処にいるのかが気になる。俺を卓球から引き離したお前が、なぜまた俺を卓球に誘ったのか。なぜ、俺の止まっている宿が分かったのか、だ」
青年は、強く拓を睨んだ。
「もぉ、なんでそんな昔のことを掘り出すかなぁ~? 心の奥底からおかしくない? ってぁ、俺は何もしてないしね♪ 心の奥底から、ウザいよ」
「お前のことだ。それも全て『運命』とでも言うんだろ?」
「当たり前。この世が俺を中心に回っているとは心の奥底から思ってないけど。俺の周りの人間は少なくても動いてるね。俺が心の奥底で想えば想うほど、君達は動いてくれる」
拓はゆっくりと口角を上げた。そして、
「今回で、村雨くんと利信ちゃんが『もう二度と俺が卓球に誘ってもイエスといえない』ようにしてあ・げ・る♪ これは心の奥底からの、俺の願望だよ」
「もう、俺はやらないと決めていた。だが、お前が俺を卓球をやるように動かしたんだ。俺は……わ、悪く、は…、な、い……ぞ」
拓が微笑みながら言い張ると、青年――村雨 知(むらさめ とも)――は突然震え出した。
「さぁてと。今日は何人、潰せるかな?」
「……」
知は、もう何も言わなかった、言えなかった。