第4話 トマンネーノ組合長
「よし、マーちゃん。すまねえがこの祭壇もかまくらハウスの中か、食事に使わせてもらってる例の東屋にでも置かせてもらえねえかな」
大森林に出かける際、これも中に入れて運べば携帯用祭壇も必要なかったことを俺は思い出して、あのフロアに置けないかマーちゃんに頼んでみた。
「私は全くかまわないが、これが部屋から無くなると部屋が空になってしまうのではないか? 他の物は必要ないというので私が全部貰ってしまったし、着替えも装備もすでにアイテムボックスの中なのだ」
俺の部屋はまさしく引っ越しの直後という状態で、残っているのは据え置きの家具とベランダに続く掃き出し窓にかけてあるカーテンだけだった。
ベッドも、もう使わないので寝具は回収してもらった。すでに寝る部屋でも物置でもないのだ。
「明日から馬小屋で生きていけそうだな。月に銀貨2枚をケチるのもなんだけどよ。壁が厚いし、教会や組合にケンカを売るアホも少ねえから治安も良い。アイテムボックスから出入りするためだけの部屋になっちまった」
俺が染々としていると、掃除道具を持った『黒子さん』が部屋の入り口横にある通路から戻って来た。今は白いヘアバンドにジャージの上から茶色いエプロンをして、手にはゴム手袋とバケツに銀色の円筒を持っていた。
「黒子さん! なんかすまねえな。こんな所のトイレ掃除なんかしてもらわなくても良いんだぜ。中でさんざかお世話になってんだ。俺に言ってくれりゃあいいのによ」
俺は恐縮してしまった。もうこの部屋は使わないので、いつでも出ていけるようにしておこうと、これから掃除をするところだった。
俺の格好もニケの違法コピージャージにエプロンで、鎧などはとっくに脱いでしまってあったのだ。
男の一人暮らしのトイレなんてのは、直視出来るような代物ではない。
ここにはかろうじて上下水道が通ってる、それなりの通りに面した2階建て集合住宅の2階だ。
水道を使う場合には必要な量の水が溜まるまで、ひたすらに手押しポンプのレバーを激しく上下させなければならない。それでもこれは、立派に水洗トイレだと胸を張って言える代物ではあった。
「気にするなケンチ。丁度試したいと思っていたトイレ用洗剤があったのだ。
この『トイレ用洗剤メメントモリ』の有機物汚れ、カルシウム、カビに対する分解作用は他とは一線を画すものだ。しかも任意の範囲を浄化したら容器の中に戻るようになっている。拭き取りの必要がないのだ」
マーちゃんのトイレ用洗剤はおそらく霧状とか泡状ではない。そしてもう使用された後のようだった。あの銀色の円筒から出て、役割を終えて戻ったのだと思う。
トイレの方は、元から陶器製で逆さにしたアイロンのような物体だったが、以前と雰囲気が違っていた。人間が使用していた生活感というものが無くなり、ひときわ静かな感じになっていた。おそらく表面から、目に見えない生き物たちが軒並み消えたのだろう。
「マーちゃん、とにかくありがとうよ。
これから組合長に挨拶に行って、今回の儲けをもらったら、大陸公用語の辞書と教科書を買いにいこうぜ。売ってそうな店を知ってんだ」
俺はそれだけ言うので精一杯だった。
それを聞いたマーちゃんは、相変わらず光り輝いていたが、ウンウンとうなずいて満足そうな雰囲気だった。
8刻(16時)といえば、もうそろそろ探索者組合の業務時間が終わろうかというところだ。
もちろん夜中でも物騒な話に事欠かない団体であるため、入り口は完全に閉まることはないし建物には誰かが常駐している。
欠伸を漏らす受付嬢の手前を通り過ぎ、受付カウンターから解体所へと続く通路の途中、現れた上階へと続く階段を俺は登った。
今回は背囊の中身がちゃんとある。燻製チーズに干しボイルベーコンと蒸留酒の瓶が2本だ。
組合長に渡す袖の下についてマーちゃんに相談したところ、こういう無難なラインナップでいこうということになった。もちろん一番安いやつを厳選した。
マーちゃんとしては材料さえあれば、製造するためのエネルギーコストは必要ないそうだ。電力として取り出した余剰エネルギーで賄えてしまうため、実は使わない方が無駄が多いという矛盾した状態になってしまっているのだ。
使わない分は極限まで集中させて物質化まで行っても、散逸してしまう分は出てしまうとのことだ。
マーちゃんが生きるための食事を必要としなくなって、永い時間が経っているようだった。
「おやっさん、ケンチです。ご挨拶にうかがいやした。入ってもいいですかい?」
俺は組合長のいる一番奥の部屋の扉をノックして声をかけた。
この世界の田舎で暮らして15年、探索者業界に入って10年、すっかり口調が悪くなり、こうして普段使っている大陸公用語から、日本語にまでその影響が出てしまっていることには溜め息が出そうだ。
やり直す為に引退しよう、この部屋に来る度にそう思うことがある。神官になって神に仕えるのはどうだろう。
「ケンチか。良く来たな。入れ。アッコワから話は聞いたぜ」
部屋の中から太く重い声がかかり、それを聞いた俺は扉を押して中に入った。
組合長は、室内の中央にある机で書類を片付けているところだった。
「ご無沙汰しとります。お忙しいとこで手間を取らせちまってもうしわけありぁせん。今日は……新しい能力の件で報告にうかがいまして。
あと、これはつまらねえ物ですが美味そうだったんで買ってきやした」
俺は昔から偉い人というのは苦手で、組合長もその類いの御人だった。正直なところ何を考えているのかよく分からない。組合長の青い目だけは静かで、俺に向けている柔らかい顔のような表情がなかった。
「こんな気ぃまで使わなくていいのによ。本当にこいつは美味そうだな。ここで味見さしてもらうぜ。
ところで、しばらく見ないうちに随分とでっかくなったな。
ここに担ぎ込まれて来たときにゃぁ、行き倒れで死にそうだった小僧がよくも立派になったもんだ……」
銀の髭面で、銀髪が頭の天辺にしか残っていない組合長は染々とそういった。
この人も10年分歳をくった。
横に太く縦も長いが毛がないこの御人は『フループ・ロニィ・トマンネーノ』。オーデン伯爵領の領都『マヅイヤ』の衛星都市『ズットニテル』の探索者組合の長である。
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