第2話
社長は言った。
「もちろん、すぐにというわけじゃない」
指を組みながら続ける。
「今はAIの時代だ。ブラックだとか不当だとか、いろいろ言われる時代でもある」
社長は亮平を見た。
「だからな」
少しだけ声を落として言った。
「君から彼女に話してくれ」
亮平は何も言えなかった。
「うまく説得してくれ」
社長は最後にそう言った。
その言葉が、妙に軽く聞こえた。
亮平は静かに立ち上がった。
「……分かりました」
それだけ答えて、社長室を出た。
ドアが閉まると、廊下は静かだった。
会社の中はいつもと同じように動いている。
電話の音。
キーボードの音。
誰かの笑い声。
亮平はゆっくり歩きながら思った。
――僕がいなくてもいい。
そう思っていた。
だが。
今度は違う。
今度は、自分が誰かに言わなければならない。
――君がいなくてもいい。
という言葉を。
社長室を出てから、亮平はしばらく自分の席に戻れなかった。
廊下の窓の外には、春のやわらかな光が差している。だが胸の奥は、妙に重かった。
――君から彼女に話してくれ。
社長の言葉が頭の中で繰り返される。
うまく説得してくれ。
そんな簡単なことじゃないだろう。
亮平は深く息をつき、ゆっくりと自分のデスクへ戻った。
その日の昼休み。
亮平は意を決して声をかけた。
「小森さん」
小森ひなたは顔を上げた。
「あ、脇田さん」
少し驚いたような表情だった。
「もしよかったら、昼飯でもどう?」
「えっ、はい。いいですよ」
二人は会社の近くの小さな定食屋に入った。
昼時で店は混んでいたが、奥の席がひとつだけ空いていた。
注文を済ませると、少し気まずい沈黙が流れた。
亮平は水を一口飲んでから言った。
「小森さんさ」
「はい?」
「図面の数量拾い、最近どう?」
ひなたは少し苦笑した。
「正直、まだまだです」
「だよね」
亮平も苦笑する。
「俺も最初は全然できなかったよ」
しばらくして、料理が運ばれてきた。
二人は黙って食べ始めた。
だが亮平の頭の中には、社長の言葉がずっと残っている。
言わなければならない。
亮平は箸を置いた。
「実はさ」
「はい」
「会社でAIの導入、進めてるの知ってるよね」
「はい。朝礼で聞きました」
「社長がさ……」
亮平は言葉を選びながら話した。
「小森さんの仕事、AIでできるんじゃないかって言ってる」
ひなたは、驚く様子もなく、静かに聞いていた。
「だから、もしそうなったら」
亮平は少し言いにくそうに続けた。
「部署を変わる可能性がある」
「現場、ですか?」
ひなたはあっさり聞いた。
亮平はうなずいた。
「……そうなるかもしれない」
ひなたは少しだけ黙った。
だが泣くわけでもなく、落ち込む様子もない。
むしろ、どこか困ったように笑った。
「やっぱり、そう来ましたか」
亮平は首をかしげた。
「やっぱり?」
ひなたは箸を置いた。
「実は、私」
少しだけ声を落として言った。
「AI、もう使ってるんです」
「……え?」
亮平は思わず聞き返した。
「語学学校に通ってたんです」
ひなたは続けた。
「英語とかだけじゃなくて、文章を書く授業もあって。小説も趣味で書いてるんです」
亮平は黙って聞いていた。
「だからプロンプトを書くのも、そんなに難しくないんです」
ひなたはスマートフォンを取り出した。
「ほら」
画面には、AIとのやり取りが並んでいた。
図面の説明。
部材の整理。
数量のまとめ。
かなり精度の高い内容だった。
亮平は思わず言った。
「……これ、すごいじゃん」
「ですよね」
ひなたは笑った。
「AIを使えば、数量拾いもかなり早くできます」
亮平はしばらく黙っていた。
だがすぐに、ひとつの疑問が浮かんだ。
「じゃあ、なんで」
亮平は聞いた。
「仕事で使わないの?」
ひなたは少しだけ肩をすくめた。
「だって」
そして、あっさり言った。
「それやっちゃったら、AIでできるって分かるじゃないですか」
亮平は言葉を失った。
「そうしたら」
ひなたは続ける。
「私、すぐ現場行きですよ」
その言い方は、冗談のようだったが、目は笑っていなかった。
「私、現場監督はやりたくないんです」
亮平は黙っていた。
頭の中で、さっきの社長の言葉がよみがえる。
AIを使えばいい。
効率が上がる。
時間が短縮できる。
だが――。
ひなたは言った。
「だから、わざと普通にやってるんです」
亮平は思わず苦笑した。
「なるほどね……」
そして、ふと思った。
もし、ひなたが本気でAIを使えば。
この部署の仕事は、かなり効率化する。
そうなれば。
今度は。
――僕がいなくてもいい。
という話になるかもしれない。
亮平は水を飲みながら言った。
「小森さん」
「はい?」
「どうすればいいと思う?」
ひなたは少し考えた。
そして小さく笑った。
「それ、私も考えてるところです」
しかし、亮平はすぐに思った。
確かに、小森ひなたはAIを使いこなしている。
それはさっき見せられた画面を見れば明らかだった。
だが――。
亮平の仕事はそれだけではない。
発注管理。
現場とのやり取り。
設計変更の対応。
下請け業者との金額交渉。
仕事は思っているよりも多岐にわたる。
数量を拾うだけならAIでもできる。
だが、それ以外の部分は、経験と勘が必要だ。
それが、すぐに新人の彼女にできるかと言えば――さすがに難しいだろう。
亮平はそう思った。
その時だった。




