婚約者の浮気で断罪された令嬢は全てを捨てたはずだったが、隣国の王太子に溺愛され復讐を誓う
――その日、世界が歪んだ。
いや、歪んでいたのは、最初からだったのかもしれない。
「レティシア・フォン・アルヴェール。貴様との婚約は、ここで破棄する」
王宮の大広間。煌びやかなシャンデリアの下で、私の婚約者であった第一王子、エドガーはそう言い放った。
ざわめく貴族たち。視線が一斉に突き刺さる。
……ああ、来たのね。
私は静かに目を閉じた。予想していた。いや、覚悟していた。
だって――
彼は、私ではなく“あの女”を選んだから。
「理由は明白だ。貴様は嫉妬深く、聖女候補であるセシリアを虐げた」
嘘だ。
あまりにも、薄っぺらい嘘。
その証拠に、彼の隣に立つ女――セシリアは、わざとらしく涙を浮かべている。
「レティシア様は……私を何度も……」
震える声。だが、その目は笑っていた。
ああ、なるほど。
そういう筋書きか。
「……では、お聞きしてもよろしいでしょうか」
私はゆっくりと口を開いた。
「殿下は、いつから“彼女”と関係を持っていらしたのですか?」
一瞬、空気が凍る。
エドガーの顔が歪んだ。
「な、何を言っている!」
「夜会の裏庭。王宮の離れ。三ヶ月前から、何度もお会いしていましたよね」
静寂。
そして――ざわめき。
貴族たちの顔色が変わる。
「で、でたらめだ!」
「そうでしょうか?」
私は一歩、前に出た。
視線を、まっすぐに突き刺す。
「ではなぜ、殿下の侍従が毎回“人払い”をしていたのでしょう」
「……ッ」
彼は言葉に詰まる。
セシリアの顔から血の気が引いた。
――勝った。
そう思った、その時だった。
「……もういい」
低く、冷たい声。
エドガーは表情を歪めたまま、吐き捨てるように言った。
「それでも、貴様が邪魔なことに変わりはない」
……は?
「公爵家の娘とはいえ、貴様は使えぬ。私はセシリアを妃とする」
理屈も正義も、全て無視した宣告。
つまり――
最初から、結論は決まっていた。
私を切り捨てるための、ただの茶番。
「……そう、ですか」
胸が、妙に静かだった。
怒りも、悲しみも――どこか遠い。
「では、私はこれで」
踵を返す。
もう、何も言うことはない。
だって、この国に――
私の居場所は、もう無いのだから。
その夜。
私は一人、馬車に揺られていた。
行き先は決めていない。
ただ、この国から離れたかった。
全てを捨てて。
全部、終わりにしたくて。
「……おい」
その声が聞こえたのは、いつだったか。
気付けば、馬車は止まっていた。
目の前には――一人の男。
夜の闇の中でも分かる、異様な存在感。
「こんなところで何をしている」
低く、よく通る声。
鋭い金の瞳が、私を射抜く。
「……あなたには関係ありません」
「あるな」
即答だった。
「今のお前は、見るからに“捨てられた顔”をしている」
「……っ」
胸が、僅かに揺れる。
「行き場が無いなら、来い」
「……は?」
「俺の国へ」
その男は、淡々と言った。
「俺はアレス・ヴァルディア。隣国の王太子だ」
――世界が、もう一度歪む。
「お前、気に入った」
さらりと、とんでもないことを言う。
「……断ったら?」
「攫う」
即答だった。
思わず、笑ってしまう。
こんな状況なのに。
「……変な人ですね」
「よく言われる」
彼は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「で、どうする」
その手が、差し出される。
――選択肢なんて、最初から無かった。
私は、その手を取った。
それからの日々は、あまりにも異常だった。
「レティシア、寒くないか」
「今、夏ですけど」
「そうか。なら冷房を増やそう」
「いえ、いらないです」
過保護。
いや、過剰保護。
いやいや――
「何で私の部屋の前に常に騎士がいるんですか!?」
「護衛だ」
「いりません!!」
完全におかしい。
でも。
「……どうして、そこまで」
ある日、私は聞いた。
「私なんて、ただの――」
「違うな」
アレスは即座に遮った。
「お前は“ただの”じゃない」
真っ直ぐな視線。
「お前を捨てた奴らは、見る目が無い」
胸が、熱くなる。
「……復讐したいか」
「……え?」
「したいなら、手を貸す」
その言葉は、あまりにも自然で。
あまりにも、優しかった。
――ああ。
そうだ。
私は、終わってなんていない。
「……はい」
私は、笑った。
「全部、奪い返します」
静かに。
確実に。
数ヶ月後。
王宮は、混乱に包まれていた。
「な、何故だ……!」
エドガーは青ざめていた。
隣国との同盟は破棄。
資金援助も停止。
貴族たちは次々と離反。
そして――
「久しぶりですね、殿下」
私は、玉座の間に立っていた。
「レ、レティシア……!?」
その隣には、アレス。
圧倒的な威圧感。
「紹介しよう。俺の婚約者だ」
ざわめきが爆発する。
「そ、そんな……!」
セシリアが崩れ落ちる。
「あなたが望んだ未来でしょう?」
私は、微笑んだ。
「私を捨てた結果が、これです」
静かに、冷たく。
「全てを失う気分は、いかがですか?」
沈黙。
そして――
崩壊。
それが、彼らの結末だった。
その後。
「レティシア、結婚式はどうする?」
「まだ早いです」
「じゃあ仮でもいい」
「意味が分かりません」
相変わらずの彼に、私はため息をつく。
でも。
「……ありがとうございます」
「何がだ?」
「全部です」
彼は一瞬だけ驚いて――
すぐに、いつもの顔に戻った。
「当然だ。お前は俺のものだからな」
「そういう言い方やめてください」
「じゃあ、俺がお前のものでもいい」
「それも違います!」
思わず笑ってしまう。
ああ、本当に――
世界は、まだ終わっていない。
むしろ、ここからだ。
溺れるほどの愛と共に。
私は、新しい人生を歩いていく。
◆ ◆ ◆ ◆
――結婚して、三ヶ月。
私は重大な問題に直面していた。
「レティシア」
「はい」
「好きだ」
「知ってます」
即答した。
なぜなら――
「今、心の中で三回目だぞ」
「え」
「声に出したのは一回だが、顔で分かる」
「怖いですやめてください」
この人、思考が顔に出すぎる。
いや違う、私が読み取れるようになってしまったのかもしれない。
夫、アレス・ヴァルディア。
隣国の王太子にして、現在は私の正式な夫。
そして――
「レティシア、今日も可愛いな」
「はいはい」
「いや本当に」
「はいはいはい」
溺愛が重い。
いや、重いとかいうレベルではない。
「今、軽く流したな」
「流しますよ、毎日言われてたら慣れます」
「じゃあ回数を増やそう」
「増やさなくていいです!!」
何その発想、怖い。
問題はそれだけではない。
「レティシア」
「はい」
「外に出るな」
「出ます」
「危ない」
「王城の庭ですよ!?」
庭ですら危険判定。
この人の中では、たぶん空気も敵。
「いや、万が一がある」
「何の万が一ですか」
「お前を狙う者が――」
「いませんよ!!もう全員片付いてますよ!!」
復讐は終わっている。
完膚なきまでに。
なのに。
「……それでも」
アレスは真顔で言った。
「俺が不安だ」
「あなたの問題じゃないですか」
即ツッコミ。
でも、少しだけ言葉に詰まる。
「……お前がいなくなるのは困る」
ぽつり、と。
低い声で言われたそれは――
ずるい。
「……いなくなりません」
「本当か」
「はい」
「絶対か」
「はいはい絶対です」
「じゃあ契約書を書こう」
「書きません!!」
なんでそこだけ行動力爆発するの。
そんなある日。
「レティシア、これを見てくれ」
「何ですか?」
差し出されたのは、一枚の紙。
嫌な予感しかしない。
「『レティシアを一日百回褒める計画』」
「やめてください」
即却下。
「だが必要だ」
「必要じゃないです」
「愛情表現は多い方がいい」
「限度があります!!」
というか百回って何。
数える気満々じゃない。
「ちなみに昨日は七十二回だった」
「数えてたんですか!?」
「当然だ」
当然じゃない。
この人、どこに向かってるの。
「……もういいです」
私はため息をついた。
「そんなに褒めたいなら、勝手にどうぞ」
「いいのか?」
「ただし」
指を一本立てる。
「一回につき、私も一回あなたに何か言います」
「……?」
アレスが首を傾げる。
その瞬間、勝ちを確信した。
「好きだ」
「はい、私もです」
「……っ」
一瞬で固まる。
「ほら、どうしました?続けてください」
「……好きだ」
「私も好きです」
「……っ……!」
耳まで赤くなっている。
よし、効いてる。
「レティシア……それは反則だ」
「そっちが始めたんですよ?」
「……好きだ」
「はい、好きです」
「やめろ」
「やめません」
攻守逆転。
これは楽しい。
その結果。
「……好きだ」
「私も好きです」
「……好きだ」
「私もです」
「……」
「……」
「……やめよう」
「え、やめるんですか?」
「心臓がもたない」
「でしょうね」
勝った。
完全勝利。
……と思っていた、その夜。
「レティシア」
「はい」
「やっぱり無理だ」
「何がですか」
「好きだ」
「はいはい」
「いや、本当に」
「はいはいはい」
……ダメだこの人。
全然懲りてない。
「一日百回は無理でも、無制限ならいける」
「発想がおかしいです!!」
「あと、さっきのは不意打ちだったから次は勝つ」
「勝ち負けじゃないですからね!?」
ベッドの上で真剣な顔をしている。
何と戦ってるのこの人。
「レティシア」
「はい」
「愛してる」
「……っ」
不意打ち。
完全に、不意打ち。
「……ずるいです」
「勝った」
「だから勝負じゃないって言ってるでしょう!!」
顔が熱い。
悔しい。
でも――
「……私も、愛してます」
小さく返すと。
アレスは、満足そうに笑った。
――結論。
私の夫は、今日もどうしようもなくボケていて。
そして。
どうしようもなく、私を愛している。




