第52話 基準の崩壊
境界域Aの収束確認から、まだ十分も経っていなかった。
『境界域D、拡大継続』
『第二観測点、機能停止』
管制からの声は、明らかに緊張している。
隊長が即座に指示を出した。
「通常戦力、第二段階へ移行」
「遅延を最優先だ」
俺は、そのやり取りを黙って聞いていた。
Aは、安定している。
それは事実だ。
だが――
(……Dは、止まらない)
俺がいる場所は守られた。
俺がいない場所は、壊れ始めている。
その単純な構図が、また一段、はっきりした。
現地からの映像が共有される。
境界域D。
空間が歪み、観測装置が次々に沈黙している。
対応に入った部隊は、懸命に結界を張っていたが、押されていた。
「被害予測は?」
調停局の男の問いに、分析官が答える。
「このままでは、周辺三集落に影響」
「完全収束まで、最低でも二時間」
二時間。
今から移動しても、俺は間に合わない。
それを、全員が理解していた。
アレクが静かに言う。
「Aは、完全に安定した」
「……ノアがいるにもかかわらず、だ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
これまで、
俺がいれば“必ず”安定する。
そんな空気が、どこかにあった。
だが今回は違う。
Aは安定したが、
世界全体は安定していない。
管理担当の女性が、声を落として言う。
「……ノアがいても」
「全部は、止められない」
その一言が、重く落ちた。
夕方。
境界域Dから、最悪の報告が入る。
『結界、部分崩壊』
『周辺集落、被害発生』
死者は出ていない。
だが、家屋が壊れ、負傷者が続出した。
端末に流れる映像。
混乱する住民。
応急対応に追われる兵たち。
そして――
> 「あの人は、Aにいるんだろう?」
誰かの声が、拾われた。
> 「じゃあ、ここは……」
言葉は、最後まで続かなかった。
それ以上、言う必要がなかったからだ。
夜。
臨時会議が開かれた。
議題は一つ。
「ノア基準は、もはや万能ではない」
アレクが、事実として告げる。
「彼を置いた地点でも、被害は出る」
「同時多発には対応できない」
隊長が、苦々しく言った。
「……基準が、壊れたな」
否定できない。
これまで世界を支えていた
“暗黙の前提”が、音を立てて崩れた。
それでも。
俺に向けられる視線は、
責めるものではない。
だが、期待と失望が、
混ざった色をしていた。
管理担当の女性が、俺にだけ言う。
「あなたは、悪くない」
「分かってます」
それは、もう何度も確認した。
でも。
「……それでも、世界は」
俺は、続きを言わなかった。
言わなくても、分かっている。
世界は、
“それでも基準であれ”
と言い始めている。
俺がいるのに守れなかった。
俺がいなかったから壊れた。
その二つが、
同時に成立し始めた。
――基準は、もう成立しない。
なのに。
世界は、基準を手放そうとしない。
その歪みが、
次の破綻を呼ぶことを、
俺は、はっきりと予感していた。
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