変身洗濯機
深夜二時のコインランドリー、店内はⅬEDの冷たい光に照らされ、寒々としていた。自分の他には誰もいない。サトコはいつものように奥から二番目の洗濯機の前に靴を揃えた。
その奇妙な機能に気付いたのは、ほんの偶然だった。
数年前、身よりもなく年老いたサトコには、仕事も住む家もなかった。
或る夜、寒さに耐えかねて、ホームセンター駐車場の一角に建つ、この無人コインランドリーに入り込んだのだ。
ふとした出来心だった。ドラムの中に入ったら、もっと暖かいのではないか。幸い小柄で痩せていたので、履いていた靴を脱ぎ、ヨッコラショとドラムの中に入り、形に沿うように身を屈めた。蓋を閉めたら、更に暖かいかと、内側から引っ張る。金属のドラムが少し冷たいが、屋外に比べたら、風がしのげるので随分と居心地が良い。狭い空間が安心するのは、胎内を思い出すからだろうか。
「あたしにだって、母親は居たさ」
白髪を掻き上げ独りごちた時、何処からか女性の合成音声が聴こえて来た。
「変身洗濯機にようこそ。あなたが成りたい姿を教えて下さい」
「成りたい姿?」
それは、若くて体力もある働き盛りの自分。
社会に必要とされる自分。
若さがあれば、またやり直せるはずだ。
「了解しました……スタート!」
洗濯機の蓋がバタンと閉まるとロックされ、ドラムがゆっくりと回転し始めた。
ピーピーピーピー
やがて、出来上がりの通知音が鳴り、蓋のロックが解除された。
何がなんだか分からない。グルグルされて目が回っているが、よろける足でドラムから出る時にサトコは気が付いた。
身が軽く、体に力が漲っている。ドラムの縁を持つ自分の手にシミが無い。両手で顔を触ってみると、張りがあり、つるつるしていた。何だろう? コインランドリー内のトイレの鏡を確認する。其処には艶やかな黒髪の、若い頃のサトコの姿があった。働き盛りの頃の自分に戻っていたのだ。叫びたいほど嬉しかった。
何が起こったのか分からない。夢を見ているのかもしれない。だが、これなら雇ってもらえるし、収入があれば住む処も手に入る。
サトコは、夜が明けるのを待ち遠しく思いながら、洗濯機を眺めた。下方の、目に付きにくい場所にある注意書きにはこう書いてあった。
【変身は午前零時にリセットされます】
まるで、シンデレラだった。
こんなはずではなかった。若い頃の蓄えで老後は安泰のはずだった。ある日、突然ホームレスになる未来など思いもしなかったのに。
しかし、どんなに辛くても、悪事にだけは手を染めなかった。
「捨てる神あれば、拾う神ありって言うじゃないか」
そんな自分を神様は見捨てずにいてくれたのだ。サトコは涙ぐみ、洗濯機に両手を合わせた。
翌日、サトコは無事、住み込みの仕事にありついた。年齢制限は四十歳までとあったが、この姿なら問題は無かった。
兎に角、真面目に働いて、手にした幸せを長続きさせたい。悪目立ちしないように控えめに、地味に、この世の片隅で息をしていたい。
ただし、忘れてはいけない事がある。それは、毎日零時に、あの変身洗濯機に入る事。
何年かが平穏に過ぎて行った。
ある年の冬の夜更け、コインランドリーを訪れてサトコは驚いた。店内が綺麗になっていたのだ。昼間のうちに内部をリフォームしたようだ。洗濯機は最新の物に交換されている。
あの洗濯機は、どうなったのだろう。
奥から二番目の洗濯機も、新機種になっていた。だが、大丈夫だ。下部の見えにくい所に、前と同じ様に注意書きがある。きっと機能は継承されているのだろう。サトコは、注意書きを読まずに、ドラムの中に身を置いた。
いつもなら、すぐに女性の電子音声が聴こえてくるのに、その夜は、いつまで待っても聴こえない。機種が変わったのだから、今までとは違うのだろう。そんな風に思っている内に昼間の疲れが出て、深く眠ってしまった。
翌朝、コインランドリーを訪れた管理者は、奥から二番目の洗濯機の前に、女性の靴が揃えて脱いであるのに気が付いた。
洗濯物の忘れ物は割とあるが、靴の忘れ物は初めてだった。近付いて、洗濯機を覗き込んだ管理者は、ヒッと息を呑み腰を抜かした。
薄暗いドラムの中に老婆が胎児の様に丸まっている。蓋を開け、呼び掛けても反応が無い。肩に手を掛けて、その冷たさに思わず手を引っ込めた。老婆は息絶えていた。その顔は母親に抱かれ眠る赤子の様に安らかだった。
所持品から、勤め先に連絡が行ったが、同姓同名の従業員とは年齢が大きく異なっていた。
この仏さんは、いったい誰なのだろう。
「外傷も無く、凍死の可能性が高い。寒くて此処に入り込んだのだろう。従業員証は、どこかで拾ったのかもしれないな」
洗濯機を調べていた警官は、見えにくい所にある注意書きを見付けた。そこには、こう書いてあった。
【この洗濯機に変身機能はありません】