88 セファルさんの弟
弟さんの状況を訊いた俺の言葉に、セファルさんは視線を落として答えてくれる。
「正直、良くはありません。半年前は立って歩くくらいはなんとかなりましたが、今はもう立つ事もできず。薬もお祈りも効果を発揮しません……」
お祈りはまぁ、効果ないだろうね。だけど薬も効かないと言うのは、よほどの事なのだろう。
「会わせて頂く事はできますか?」
「……私の顔を見ても動揺を現さなかったアルサル様です。構いませんが、会ってなにをなさるのですか?」
「医者を名乗れるほどではありませんが多少の知識がありますので、もしかしたら何かお役に立つ事があるかもしれません」
俺の言葉に、セファルさんはちょっと胡散臭そうな視線を向けてくる。
まぁ、皇帝と医術はあまり結びつかないよね。この世界の薬は怪我にはとてもよく効くけど、病気にはあまり効かないみたいだし。
「……ではもう家へ帰る時間ですから、同行なさいますか? 汚い場所ですが、それでもよろしければ」
「はい」
セファルさんは多分、この酒場で冒険者ギルドを通さない依頼も受けていたのだろう。
その客待ちをして、日没後に家に帰る日々なんだろうね。
シーラも行った事がないというセファルさんの家に案内されてついていくと、向かったのはスラム街……のギリギリ一歩手前だった。家は傾きかけた小さな小屋のようなもので、こちらもスラム街一歩手前感がある。
シーラの依頼だけでもそこそこ稼いでいるはずだけど、弟さんの治療費に消えているんだろうね。
中は綺麗に片付けられていたが、建物がボロボロなせいもあってちょっとお化け屋敷みたいな雰囲気がある。
そして粗末なベッドと寝具の中に、痩せ衰えた少年が眠っていた……。
「――様子を見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
許可を得て布団をめくってみる……俺は特別な医術の心得がある訳ではないが、本は読んだし元の世界の知識もあるので、ひょっとしたら何かわかるかもしれない。
そう思って観察してみると、背骨が曲がっているのか体が丸まっていて、手足の関節も変形している。
……これはなんだろう? いくつか心当たりの病気があるけど、リュウマチとかだったら手の出しようがない。可能性があるとしたら……くる病とかだろうか?
たしかカルシウムとビタミンDの不足で骨の成長が不完全になって、歩けなくなったり骨が脆くなったりする病気だったと思う。
ビタミンDは日光に当たる事で生成されるとかだったと思うけど、薄暗いこの家でベッドに入りっぱなしでは、日光に当たる機会なんてまずないよね。
もしくる病で正解なら感染リスクはないし、食事療法ならエリスの出番な気がする……よし。
「この家はセファルさんの持ち物ですか?」
「いえ、借りているだけです」
「なら都合がいいです。俺達の拠点の一つである、この街の宿屋に移りませんか? もしかしたらですが、病気を治せるかもしれません」
「――本当ですか!?」
「あくまで可能性ですから過度な期待はしないで欲しいですが、多少の望みはあると思います……無理だったら申し訳ないですが」
「少しでも望みがあるなら、ぜひお願いします!」
「わかりました。では拠点に運びましょう……シーラ、抱き上げてあげてくれる? 骨が脆くなっているかもしれないから、優しく、慎重に」
「了解しました」
シーラはそう言って、弟君を毛布で包んで優しく抱き上げる。
「セファルさんはここを引き払って、荷物を移す用意をしてください。行先は……」
エリスの宿屋の場所を説明し、俺とシーラは一足先に宿へと戻る。
エリスに『日当たりのいい部屋を、可能なら食事に卵の殻を細かく砕いたものを混ぜてあげて』とお願いし、その日はそのまま眠りについた……。
翌朝、荷物を持って越してきたセファルさんに、『可能な限り日光浴をさせてあげてください。食事はエリスが用意してくれるので、なるべく食べさせるように。しばらくは仕事はいいので、弟さんの世話に集中してください』と告げ、俺達は予定通り北の拠点に戻る事にする。
道すがら市場に寄って市場価格の調査をし、中州の拠点にも寄ってクレアさんに定期的にエリスが来る事を伝えておく。
そうして北の拠点に戻った後は、シーラとティアナさんの役目を入れ替えて、ティアナさんが塩輸送。シーラが拠点の護衛になる。
ティアナさんは定期的にエリスと会える事になってとても上機嫌で、張り切って輸送任務に出発してくれた。気持ち足取りも軽かったと思う。
そして留守中の報告を聞くと、メープルシロップは樹液の出が悪くなって、味もエグみが混じるようになってきたので生産を止めたのだそうだ。
雪解け頃の一時期だけ採れる物なのだろうか? だとしたら発見したタイミングよかったね。
メープルシロップに関しては、クレアさんのアドバイスで小分けするおしゃれな小瓶を調達しないといけないけど……どうしよう?
街で売っている市販品とかだとすぐバレるよね? という事はオリジナル製作?
薬がビンに入っていたから、エルフの村でもビンを作っているっぽいけど、あそこから仕入れる物は可能な限り薬に集中したい。
将来戦いをするなら、いくらあっても困る事がない物だからね。
ガラスは確かリサイクルできるはずだから、適当なビンを買ってきてここで融かす? ……火力はいっぱいあるけど、芸術性の高いビンを作れる気はしないよね。やはり専門の職人さんが必要な気がする。
誰か知らないかなとみんなに訊いてみた所、シーラは心当たりがあるものの、遥か帝国本土の人なので接触困難。
他の人も心当たりがないとの事で、こうなったらクレアさんに訊いてみるしかないだろうか? ……て言うか最初に訊いておけばよかったね。今度中州の拠点に行った時に話をしてみよう。
そんな訳で、差し当たり味のいい範囲のメープルシロップを集めて運ぶ準備をし、残りはエグみがあるとはいえ貴重な甘味なので、みんなで食べる事にした。
ティアナさんだけは、『樹液……』と言って最後まで食べなかったけど、どうも虫が食べる物というイメージが強いらしい。
エルフなのに、森の恵みを好き嫌いするのはどうなんだろうね?
個人の好みなので深くは追及しないけど、食わず嫌いは良くないと思うんだ……。
まぁそれはともかく、北の拠点のみんなに四月分の給料を支給し……ようとしたら普通に手持ちが足りなかったので、代わりに欲しい品の注文を取る事にする。
どうせお金はここでは使い道がないので、街からの通販に使うのだ。元々そのために市場で価格を調べてきたんだしね。
もっとも、全員が全部使うとは限らないので、今回の塩売却が済んだらちゃんと現金で支給するけどね。
ちなみに輸送は塩を運んだ帰り道のティアナさんにお願いする事になると思うので、重量物や大きい物には輸送費を上乗せする事になると思う。この辺はティアナさんと相談しよう。
そんなこんなで、六日に一度エリスに会えるティアナさんの中州の拠点行が三回18日サイクルし。北の拠点のみんなの注文品である布や裁縫道具、小麦粉なんかも、注文を書いた紙をティアナさんに運んでもらい。クレアさん経由でエリスに買い揃えてもらって逆送し、順次届き始めた所で、また街に向かう事にする。
今回の目的は、塩の追加販売。クレアさんにビンの調達先を相談する事と、冒険者の子達の情報収集の進捗確認。久しぶりにエルフの村とも連絡を取って、あとはセファルさんの弟の経過観察だ。
特にセファルさんの弟は気になる。回復してくれているといいけどね……。
そんな訳で、メープルシロップの残りと可能な限りの塩を持った俺とシーラは、大山脈を超えて中洲の拠点へと向かうのだった……。
帝国暦165年6月8日
現時点での帝国に対する影響度……0.0%
資産
・310万ダルナ
・エリスに預けた冒険者養成所運営資金 2720万ダルナ@月末清算(現在4月分まで)
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
・エルフの傷薬×6
配下
シーラ(部下・C級冒険者)
メルツ(部下・反乱軍拠点訓練担当・E級冒険者)
メーア(部下・反乱軍拠点メンタル担当・E級冒険者)
エリス(協力者・反乱軍拠点運営担当)
ティアナ(エリスの協力者)
クレア(協力者・中州の拠点管理担当)
オークとゴブリンの巣穴から救出された女の人達24人(雇用中・北の拠点生産担当と中州の運営担当)
元孤児の冒険者21人(部下・F級冒険者だけど実力はE級相当)
セファル(協力者・C級冒険者)




