8 宰相との対面
後宮生活を送り始めて10日目。傍仕えの女官さんが、珍しく改まった口調で言葉を発した。
「本日の午後、宰相閣下の謁見が予定されております。ご承知置きくださいませ」
――おお、ついに来るべきものが来たか。
逃亡前に一度会っておきたいと思っていた、宿敵になるだろう相手との対面だ。
それにしても、当日の朝にいきなりとは急だな……多分、宰相の予定の方が優先されたのだろう。
向こうの方が実力者だし、俺の予定なんてないも同然だからね。
とりあえず緊張を抑えて『わかった』と返事をしたが、女官さんもちょっと緊張している気がする。
やはり傍仕えの人達の主は宰相で、同席するだけでも緊張する相手なのだろう。
後宮でも皇帝がお飾りである事は周知の事実らしく、妃候補の中でも権力欲のある人は、皇帝の子を産むのは通過点。その後宰相の愛人になるのがゴールだと考えている人もいるようだ。
話を聞く限り、宰相の愛人になった所で玩具にされるだけで、権力なんて振るえないと思うんだけど、その辺は自分に自信があるのだろうか?
全国から皇帝の後宮に集められただけあって、みんな目が覚めるように美人ばかりだからね……。
――と、そんな事を考えている場合じゃない。今は宰相と会う準備だ。
いつも着ている豪華な服をさらに豪華な服に着替えるようだが、それは傍仕えの人と妃候補の人がやってくれるので、俺は心の準備がメインになる。
下手したら一発危険認定で即排除だからね。そうならないためにも、無害な皇帝を演じなければいけない。
……これが意外と難しくて、宰相に気を遣う従順な皇帝はダメなのだ。
11歳なのに下手に空気が読めると、こいつは賢いと思われてしまう。
普通ならいい事だけど、宰相にとって賢い皇帝なんて脅威以外の何者でもない。排除されちゃうバッドエンドまっしぐらだ。
なので歳相応の子供を演じる訳だけど……11歳ってどんなんだっけ?
自分が小学校5年か6年だった頃を思い出してみると……遠足に行った先で珍しい色のトンボを見つけ、追いかけていったらそのまま迷子になった記憶とかあるな。
……平均よりややアホだった感は否めないが、いっそそのくらいでいいのかもしれない。
そんな事を考えながら午後を待っていると、傍仕えの女官さんに呼ばれて、謁見の間に行く事になった。
宝石で飾った犬のぬいぐるみはどうしようか迷ったが、持って行く事にした。
シーラからの忠誠の布が首に巻いてあるので、シーラが一緒にいてくれるような気がして、勇気と力を与えてれるのだ。
緊張の場なので、一緒にいてくれるとありがたいよね……。
謁見の間は後宮を出て宮殿の側にあるらしく、俺は初めて後宮を出て、広大な建物の中を歩く。
さすがは大帝国の本拠地だけあって敷地は広く、建物はとても豪華。あちこちに置いてある美術品や工芸品なんかも、多分とんでもない値段がするのだろう。
……だけど、建物の広さに比べて人を全然見かけない。
皇帝が通るので人払いされているのか、あるいは権力は完全に宰相にあるので、ここは政治の場として使われていないのか……。どちらもありそうな気がするが、下手な質問はしないでおく。
……10分ほど歩いて、謁見の間だという部屋に到着した。
俺が一世一代の演技をやる場所だ。
覚悟を固めて扉をくぐり、広い部屋の数段高い場所に置かれている椅子に腰掛けてしばらく待っていると、お供を大勢従えた老人が入ってくる……あの人が宰相なのだろう。
普通こういう時って部下が先に来て待っているものだと思うのだが、まぁ実際の権力者は向こうだからね。
お供も向こうは大勢だけど、こっちは女官さんが四人だけ。女官さんは実質宰相の配下なので、俺は一人ぼっちだ。
宰相は堂々とした様子で部屋の中ほどまで進むと、一応軽く頭を下げてから言葉を発する。
「皇帝陛下、病が無事快癒なされたとの事、お喜び申し上げます」
「――うむ」
たった一言のやり取りなのに、背中に寒気が走った。
『ヘビに睨まれたカエル』という言葉があるが、まさにそれを体感した気がする。
宰相の鋭い目は、まさにヘビ。それも獲物を丸飲みにする大蛇の目だ。
俺の言動になにか不審な点はないかと探り。あればすぐに殺してしまおうという、残酷な捕食者の視線である。
なんとか返事ができたのは、あらかじめ覚悟を決めてきたから。それと、シーラの布があったからだと思う。
赤ん坊はなにかを持っていると安心するというけど、大人でもそうだと思う。
……て言うかこれ、本物の11歳の皇帝だったらなにも感じなかったのだろうか?
子供って、そんなに大人の悪意に鈍感なのかな? ……誘拐連れ去り事件とかがちょくちょく起こる事を考えると、鈍感なのかもしれないね。
そしてきっとこの国では、宰相の悪意を感じるようになったら皇帝が変わる時期なのだろう……怖い話だ。
俺は寒気がするのを感じながら、それでも全力で無邪気な子供を装う。
ここでボロを出したら、俺は死んでしまうしシーラの人生も不幸になってしまうのだ。
「――宰相、これを見てみよ。ピカピカでキレイでかっこよかろう」
そう言って、宝石で覆われた犬のぬいぐるみを掲げて見せる。
これを作らせた報告は行っていると思うので、むしろ隠すのではなく自分から表に出す作戦だ。
「そうですな……ところで、挨拶が遅れたお詫びと言ってはなんですが、献上品をお持ちしました」
お、俺渾身の子供演技が軽く流された……。
そして献上品とか、様子を見に来なかったのを少しは悪いと思っているのだろうか? 10日も会いに来なかったのは多分、伝染病だった俺に近付くのを嫌って、本当に完治したと確認できるまでは避けていたから。
皇帝の記憶によると、お見舞いにも一回も来てないらしい。命がけの看病をしてくれたシーラとえらい違いだが、さすがに良心が咎めたのだろうか?
ちょっとだけ宰相の事を見直していると、傍仕えの女官さんが献上品を受け取り、大切そうに俺の前に運んでくる。
掛けてあった布が取られると……なんかキノコ……いや、マイクみたいな物が出てきた。それも二つだ。
「それは大変珍しい魔道具で、離れた場所に声を届ける事ができるのです」
宰相の言葉。なるほど通信機の類か……これはいいな。なんとかして片方をシーラに渡せば、夜ベッドで布団を被って、こっそり連絡が取れる……。
――とそこまで考えて、背筋にゾクッと冷たいものが走った。
あ……これ罠だね。こっそり連絡を取ろうとする相手がいるかどうか、確認する気だ。
一瞬でも宰相を見直しかけた自分が嫌になる。
お見舞いに来なかったお詫びとしてこれを渡し、俺がなにか不審な使い方をしたら殺すつもりなのだろう。
この男は純粋に、悪意の塊でできている存在だ……。
俺は感情をグッと押さえ、冷静さを意識して、通信機を貰った子供がどう反応するかを考えるのだった……。
現時点での帝国に対する影響度……1.2%
資産
・宝石を散りばめた犬のぬいぐるみ
配下
シーラ(部下)