76 行動開始
ずっと灰色の空ばかりだった北の拠点の冬が終わり、空は青く晴れて雪も融け、緑の若葉が芽吹く季節になった。
大山脈の様子を見に行ったティアナさんの報告によると、山の上はまだ雪に覆われているものの、もう少ししたら安全に通行できるようになるだろうとの事である。
その日に向けて、俺は冬の間に大量生産した塩の出荷準備を進めている……のだけど。一つ問題があって、それは輸送手段だ。
量が多いのは何回も往復すればいいとして、問題はどう運ぶか。具体的には、どのメンバーで運ぶかだ。
北の拠点は普段平和だから忘れがちになるけど、本来周囲には凶暴な魔獣が沢山いて、ティアナさんがクレアさん達を安心させようと『この辺りにはゴブリンみたいな弱い魔獣はいないから大丈夫だよ』と言って、逆にドン引きさせていたレベルなのだ。
しかも最近は、瘴気という名の油田火災のせいで遠ざかっていた魔獣達が戻ってきているらしい。
現状ここはただの集落であって、砦みたいな柵も掘もない。魔獣に襲われたらひとたまりもないので、強い護衛が必要なのだ。
海狸族の皆さんに頼む事も考えたけど、クレアさん達が脅えるし、なにより海狸族は水中では強いけど陸上ではあまり強くないらしいので、ここの護衛は難しい。
――となると、選択肢はシーラかティアナさんかの二択。クレアさん達の懐き具合を考えると、断然シーラだろう。
ティアナさんも少しずつ打ち解けていて、最初は調理担当の人達と食材やレシピの話をする所からはじまり、今ではほとんどの人と普通に話ができるようになっている。
だけどまだゴブリンを思い出す長い耳に脅える人はいるし、なによりシーラに対する圧倒的信頼と比べたら比較にならない。
オークとゴブリンの巣穴から助け出してくれて、その後も生きる場所を確保してくれた人だからね。その信頼感たるや崇拝に近い。
加えて、ティアナさんには定期的にエリス成分を摂取させないと暴れだすかもしれないという問題もあるので、留守番がシーラで同行ティアナさんが理想形……ではあるんだけど、問題は山を越えたあとだ。
ティアナさんは人目を避けなくてはいけない都合上、街の近くまで来てもらうのは難しい。
森と草原の境目まで同行してもらって、その先は俺が一人で草原を通って街に向かう事になるが、山や森よりは弱いとはいえ魔獣が出るし、人間の盗賊とかのリスクもある。
俺の戦闘力はその辺の子供と同レベルなので、エンカウントしたら死亡不可避である。
メルツ達に連絡が取れれば迎えに来てもらえるけど、この世界には携帯電話も無線機もないのでそれは無理。……どうしよう?
人の目が少ない中州の拠点までティアナさんに送ってもらって、そこで定期的に来る冒険者の人を待つ手もあるけど、人数が4人に減ったので、補給頻度もかなり下がっているはずだ。
数日か、下手をしたら10日以上。もっと待つ事になるかもしれない。
それならいっそ……。
俺は塩作りの作業現場へ出向いて、クレアさんを探して声をかける。
「クレアさん、山の雪が融けたら一回みんなで中州の拠点へ戻りたいと思うんですけど、体力的に無理な人とかいないか確認してみてくれませんか?」
「はい。…………あの、それは私達の働きが不満でクビになる……という事でしょうか?」
「え? いやいやそんな事ないですよ。クレアさん達の働きには大満足ですし、可能ならこれからも続けて欲しいと思っています。
生産した塩を街に運ぶのに、ここに留守番を置けないから全員で……って話です」
「――ああ、分かりました。それなら荷物を持てる者がいないかも訊いてみます」
「それはありがたいですけど、無理はしないで下さいね」
「はい。では失礼します」
……今の短いやり取りの間でも、クレアさんは喜怒哀楽の内で哀と喜を見せてくれた。
だんだん表情が豊かになって喜ばしい限りだし、この場所を失うのを恐れているようにも見えた。
ここを気に入ってくれて、メンタル回復に役立っているのならいい事だ。
最初は負担がないようにと仕事を少なめにしていたけど、自主的に働こうとするのでオーバーワークにならないよう時間制限をしようとしたら、『何かしていた方が気がまぎれるので……』って言われたからね。
それでも一応制限をしたけど、部屋でじっとしていると嫌な記憶を思い出すのか、みんななにかしらの作業を探してやっていた。
それならと、毛皮を丸めたボールを作ってバレーボールやサッカーを普及してみようとしたが、大きな声を出して元気にスポーツをする所まではメンタルが回復していないようで、不人気につき却下となった。
バランスが難しいね。
――と言うか、世界から拒絶された存在とも言えるクレアさん達にとっては、誰かから必要とされるというのが嬉しかったのかもしれないね。
小走りで駆けていくクレアさんの後ろ姿を見ながら、俺はいつかクレアさん達が笑って過ごせる居場所を作れたらいいなと。心の底から願うのだった……。
そんな訳で、北の大地にも花が咲き始めた四月の初め。クレアさんの『全員山越えに参加できます』という報告を受けて、南に向かって出発する。
クレアさん達21人の内、10人が自分の荷物に加えて3キロの塩を持ってくれた。
体力もメンタルも一冬でかなり改善したようで、それは食事の量にも現れている。
俺がチェックしていた所によると、クレアさん達が食べる食事の量は、来た時から五割増しくらいになっている。
それは心配になるくらい細かった食欲が戻ってきたという事だし、よく食べてよく動くのは健康にもいいと思う。実際、顔色も体つきもかなり良くなってきているからね。
その効果は山越えで遺憾なく発揮され。行きは五日かかったのが、まだ雪が残っている状態なのに四日で踏破できた。
足元がよければ三日でいけたと思う。いつも俺達が山越えをしているペースと同じだ。
なんなら、俺が一番体力なかった可能性さえある。
13歳となると元の世界で言う中学一・二年生。そろそろ子供だからという言い訳ができなくなる歳なのにね……。
もうちょっと運動頑張ろうと反省しつつ。俺達は直接アルパの街へは向かわず、中州の拠点に帰還した。今回はここまでティアナさんと一緒である。
拠点に残っていた四人とクレアさん達は懐かしそうに手を握ったり声を掛け合ったりしていたが、顔色も体つきも、表情もクレアさん達の方が健康的に見える。
やはり北の拠点での生活はメンタル改善に効果があったのだろう。
改めてそれを確認して嬉しくなりつつ、その日はここで一泊する事に決まっての夜。俺は考えていた事を胸にクレアさんの元を訪ねた。
「クレアさん、実は北の拠点から継続的にアルパの街に塩を運ぶのに、ここを中継地として使いたいと考えています。
ティアナさんは山の民ですから、人間達に迫害されたり、掴まって奴隷にされてしまう危険もあります。
だから直接街へ荷物を運び込む事ができないので、一旦ここで荷物を受け取ってもらって保管し、街へは別の人達を雇って運ぶ形にしたいと考えています。
ついては、クレアさんにここの拠点の管理をお願いできたらなと思うんですけど、どうでしょうか?」
俺の申し出にクレアさんは一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐに真顔になると、じっと考え込むのだった……。
帝国暦165年4月8日
現時点での帝国に対する影響度……0.0%
資産
・86万ダルナ
・エリスに預けた冒険者養成所運営資金 2287万ダルナ(昨年秋時点)
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
・エルフの傷薬×9
配下
シーラ(部下・C級冒険者)
メルツ(部下・反乱軍拠点訓練担当・E級冒険者)
メーア(部下・反乱軍拠点メンタル担当・E級冒険者)
エリス(協力者・反乱軍拠点運営担当)
ティアナ(エリスの協力者)
クレア以下21人(協力者・北の拠点生産担当)




