54 怪しい影
北の拠点に戻るべく、重い荷物を背負って山に入る。
一年間部屋に篭って本ばかり読んでいた身にはかなり堪えるが、もう反乱軍を組織する計画が動き出し、孤児達の生活が俺の肩に乗っているのだ。泣き言は言っていられない。
決意を固くして山を登り始めると、少し行った所でシーラが足を止めた。
今までの経験上これは魔獣の気配を察した時の動きなので、言われる前に身を低くし、木の陰に隠れる……が、シーラはじっと一点を見つめたまま、弓を構えるでもなく、身を隠そうともしない。
なんか様子が違うなと思って立ち上がり、シーラの隣に行くと、シーラは木々の奥にある一点を見つめたまま声を発した。
「見られています。恐らくですが、山に入ってからずっと」
「ずっとって、追いかけてきてるって事?」
「はい」
おおう、なんか穏やかじゃないね。
「敵意は感じる?」
「いえ、殺意でも向けられればもっと分かりやすかったのですが、微かな違和感だけでした。今ようやく、つけられていると確信した所です」
「……シーラに気取られずに後をつけるって、かなりの達人だよね?」
「こんな視界の悪い場所での追跡など、容易な事ではありません。基礎能力はもちろん、よほど森の中での行動に熟達していて、この場所に詳しくないと難しいでしょうね」
基礎能力が高くて、森の中での行動が得意で、この場所に詳しい人……もうちょっと行くと毎回出会うエルフさんとかだろうか?
でもあの人なら距離を取って見張るような事はせず、普通に話しかけてくるよね?
「……接触してみていい?」
「判断はお任せします」
シーラの了解をもらい、俺はシーラの視線の先に向けて大きめの声を出す。
「なにか御用ですか?」
「――――」
返事は来ないが、シーラによると逃げてはいないらしい。
見つかっても逃げないとなると、隠れて観察するのが目的ではないという事だ。
塩の出所を探ろうとした商会の手先の可能性も考えたけど、その線は薄そうか。
となると、敵意がなくて、気配を隠すのが上手くて、森の中での行動が得意で、この辺りに詳しく、俺達に見つかって困る訳ではないけど、接触するのも躊躇いがある存在という事になる……正直、一人だけ心当たりがある。
「エリスのお母さんですか?」
そう声を発すると、シーラが『感情の揺れを感知しました』と教えてくれる。当たりかな?
長く離れている娘がいて、その娘がいる街が戦いに巻き込まれたとなったら、そりゃ娘の事が気になるよね。
「エリスなら無事ですよ。知り合いですから近況をお話しする事もできます。姿を見せてくれませんか?」
重ねてそう言ってしばらく、シーラがスッと身構えたかと思うと、前方の茂みがわざとらしくガサガサと動き。背の高い女の人が姿を現した。
特徴的な長い耳と、緑色の長い髪……間違いない。山の民、エルフだ。
両手を上にあげて、ゆっくりとこちらに歩いてくる……敵意がない事を示すのにあのポーズを取るのは、この世界でも共通なんだね。
弓矢をまとめて右手に持っているけど、すぐに撃てる体勢ではない。
こちらはシーラが警戒体勢なので、いざという時はこちらの方が速い……と思う。向こうの身体能力次第だけどね。
そんな事を考えながらさらに観察するが、さすがはエルフなのだろう。エリスの母親という歳には全然見えない。10代としか思えない外見で、皇帝の後宮でも見た事がないほどの美人である。
……エルフの女の人は俺達の近くまで来ると、小鳥のように澄んだ声で言葉を発した。
「エリスの母で、ティアナと申します……あの子の、エリスの知り合いというのは本当ですか?」
表情からは強い警戒が感じ取れるけど、それでも俺がエリスを知っているという言葉の魅力には抗えなかったのだろう。
元々エリスの情報を知りたくて、街に近いこの場所に来ていたのだろうし、街からやってきた俺達を見ていたんだろうからね。
「俺はアルサスで、こっちはシーラです。エリスを知っているのは本当ですよ。元々は宿の客でしたが、今は一緒に仕事をする関係です。あ、お父さんも元気ですよ」
俺の言葉にティアナさんは一瞬安堵の表情を浮かべるが、すぐに表情を厳しくして口を開く。
「仕事とは何をやっているのですか?」
「ええと、孤児院の子供達を引き取って、冒険者見習いとして教育しています」
……一応嘘は言っていないのだが、ティアナさんの表情が険しさを増す。
怪しい気配を気取られてしまっただろうか? まぁ実際、色々隠しているからね。
ここは追及されるとあまり良くないので、迅速に話を変えてしまおう。
「あの、よければエリスに手紙を届けましょうか? 今から北へ向かわないといけないのですぐには無理ですが、返事をもらってくる事もできると思います」
「――代わりに私は何をすればいいのですか?」
「え、別に手紙を届けるくらいならなにも……むしろ、エリスが会いたいと言ったら会ってやってくれませんか?
今は仕事が忙しいでしょうし、俺達も街に戻っている時間はありません。何十日後かに手紙を届けて、その時に希望を訊いてエリスが望むならですが」
「人族は見返りなしに動かないと聞いています、なにが目的ですか?」
「それは……間違いではないかもしれませんが、エリスにはお世話になっていますから。エリスのためになるなら、それが見返りみたいなものという事で」
「…………」
おおう、思いっきり胡散臭そうな表情してるな。
エルフは人間を嫌っているらしいし、人間もエルフを嫌っているから、強い不信感があるのはしょうがないんだろうけどさ……。
「じゃあ、この荷物を運ぶのを手伝ってくれませんか? 俺達二人で運ぶにはちょっと重くて、困っていた所だったんです」
その言葉に、ティアナさんの顔からスッと表情が消えていく……。
信用してくれた……訳ではなさそうだな。
「なるほど、分かりました。でもエリスに手紙を届けて、あの子が望めば会わせてくれるという約束だけは守ってください。それだけ叶えてもらえるなら、この身はどうなっても構いません。どこへなりと連れて行けばよろしいでしょう」
う……ん? これ絶対話通じてないよね? 運ぶのは荷物で、ティアナさんをどこかに連れて行く訳じゃないんだけど……。
「ねぇシーラ、エルフって攫ったらお金になったりするの?」
エルフは身体能力が高いそうだし、特に長い耳は性能が高そうだから、小声で話してもどうせ聞こえてしまうだろう。
それなら無駄に怪しまれないためにも、いっそ堂々と話せばいい。
シーラもその辺を察してくれたようで、普通に答えてくれる。
「はい。特に女のエルフであれば、城が一つ買えるくらいの金額で取引されると聞いた事があります」
マジか、俺が読んだ本には希少な種だとしか書いてなかったけど、この辺は本から得る知識の限界なのだろう。あんまり下世話な事は書き難いよね。
そして、売られる覚悟をしてでも一目エリスに会いたいと望むのは、なんとも情の深い話だ……。
そして、差し当たりこの誤解は解く必要ないと思う。
要はエリスに手紙を書いてもらえて、エリスが望めば会ってもらえればいいのだ。誤解されたままでも別に問題ないし、人手が増えるのはとても助かる。
今は少しでも早く北の拠点に戻って塩作りをしたいので、迅速に行動を再開したい。
誤解は道中でも拠点に着いてからでも、幾らでも解く機会があるだろう。
「分かりました、エリスに関する案件は必ず守ると約束します。貴女を売り飛ばすつもりはありませんが、その話は追々しましょう。
今はなるべく早く北へ向かいたいので、荷物を運ぶのを手伝っていただけますか?」
俺の言葉を、ティアナさんは全く信用していない様子だったが、とりあえず俺達の荷物を半分ずつくらい背負ってくれる。結構な力持ちだ。
そうして、三人になった俺達は山登りを再開する。
シーラとティアナさんはお互い強く警戒し合っている感じがするし、三メートル以内に近寄らないけど、その内仲良くなれるだろう……多分。
わずかな不安を抱きつつ、身軽になった俺は北の拠点に向かって山道を急ぐのだった……。
現時点での帝国に対する影響度……0.0%
資産
・100万ダルナ
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
配下
シーラ(部下・C級冒険者)
メルツ(部下・反乱軍拠点訓練担当・E級冒険者)
メーア(部下・反乱軍拠点メンタル担当・E級冒険者)
エリス(協力者・反乱軍拠点運営担当)




