32 瘴気の正体
山脈の上から見下ろす北の大地。そこは瘴気だという黒い霧に覆われ、草木も枯れた死の領域だ。
……だけど俺の鼻が、瘴気の正体かも知れないものに気付かせてくれる。
「ねぇシーラ、多分あの辺が瘴気の発生源だと思うんだけど、根元になにか見えたりする?」
瘴気の発生源まではかなりの距離がある上、うっすら黒い霧がかかっていて見えにくい。
俺の視力では無理だったので、抜群の視力に定評があるシーラにお願いしてみる。
シーラは青い顔をして呆然と瘴気を見ていたが、俺の言葉で我に返ったような反応をすると、視線を鋭くしてじっと瘴気の発生源を見つめる……。
「……なにか、赤いものが動いているように見えます」
シーラの言葉が、俺の仮説の正しさを証明してくれる。
「よし、もうちょっと近付いてみようか」
その言葉に、メーアがギョッとした表情をして俺を見、シーラも眉根を寄せる。
明らかに正気を疑われている感じだが、瘴気の正体が俺の想像通りの物。
すなわち、プラスチックの原料である石油が燃えて発生している煙なら、有害には違いないけど、吸い込んだら即死するような劇物ではないはずだ。
……だけど、シーラ達に納得してもらうのは難しいだろうか?
二人は瘴気というのは恐ろしいもので、吸い込んだらたちどころに死んでしまうくらいに思っていそうだ。
俺の中では、エルフの青年が言っていた『草木が枯れる』というのは煙に含まれる有害物質や、それを溶かし込んだ酸性雨のせい。『黒い雨や雪が降る』というのは、煙に含まれている煤のせいだろうと納得がいっている。
空を飛ぶ鳥が落ちるかどうかは知らないけど、エルフの青年が言っていた瘴気の毒性は説明がつく。
元の世界とこの世界で同じである保証はないけど、かなりの確率でこの瘴気の正体は石油が燃えた煙。その毒性は、激的に強いものではないはずなのだ。
「……わかりました、参りましょう」
どうやって説得しようかなと悩んでいると、俺が言葉を発する前にシーラが口を開き、メーアが驚愕の表情を浮かべてシーラを見る。
「いいの?」
「はい。お供をして後宮を脱出した時から、この命はアルサル様に……皇帝陛下にお預けすると決めております。
そして宰相を倒すためであれば、どんな危険や困難であろうと臆する事なく立ち向かう覚悟もです。
無駄死にをするつもりはありませんから、本当に危ないと判断したらお止めしますが、今はまだその時ではありません。まさか勝算もなく瘴気に突入するとおっしゃっている訳ではないのでしょう?」
おおう……シーラの俺に対する信頼が篤い。
「うん、もちろん勝算はあるよ。……本当に危ないと思った時はよろしくね」
「はい」
「メーアはどうする? 無理にとは言わないから、ここでシルハ君と待っててもいいよ」
「…………一緒に行きます」
「ホントに大丈夫? 無理してない?」
「正直無理はしていますが、私だけ残った所でお二人になにかあったら一人では帰れません。
上級魔獣が出る山を一人で下りられるとは思えませんし、仮にできたとしても、大恩あるお二人を見捨てて自分だけ逃げてきたのでは、メルツに合わせる顔がありませんから」
「そっか……メーアもホントに危ないと思ったら止めてね。
とりあえず、目・鼻・喉への刺激と痛み、涙、咳、多少の息苦しさ、顔や手が黒く汚れるとかは想定の範囲内だから、それ以外で」
「……それは本当に大丈夫なのですか?」
「安全ではないけど、二人が想像しているよりはずっと毒性低いはずだよ。布で口と鼻を覆うとちょっとマシだと思うから、用意しておいて」
「…………」
思いっきり不安そうなメーアを連れて、俺達は山を下る。
シルハ君も嫌がったり脅える様子を見せる事なく、シーラについていく。
……山は一日で下れる高さではないので、風上方向を選んで斜めに下り。草が生えている所でシルハ君のエサを確保しつつ、一夜を過ごす。
風向きの関係か、煙は東から南にかけて濃いようなので、西から接近すればわりとなんとかなりそうだ。
そんなこんなで翌日の昼過ぎ。かなり急いだ俺達は、瘴気の発生源まで数百メートルの距離まで来ていた。
俺達がいるのは風上なので煙の直撃はないが、それでもかなりキツイ臭いが漂っているし、目が痛くて涙が出てくる。
だけどこの距離まで近付くとよく様子が見え、濃いオレンジ色の炎が燃え盛り、大量の黒煙を噴き出している様子が観察できる。
喉や鼻も痛くなるので布で覆い、俺はせっかくなので犬のぬいぐるみに顔を埋めている。
ちょっと間抜けな光景かもしれないけど、厚みがあるおかげか、意外と呼吸がしやすい。
……そんな中、シーラが驚きを含んだ声で言葉を発した。
「これは……地面が燃えているのですか?」
「正確には、地面から湧き出してきた油が燃えてるんだよ。雷かなにかで火がついたんだと思う」
「地面から油が? そんな事があるのですか?」
「うん。とはいえシーラが想像しているだろう木の実や動物の脂肪から採る油とは違って、食べられない油だけどね」
「……つまり、この黒い霧は油が燃えた煙であって、瘴気ではないという事ですか?」
「うん。刺激の強い煙だから無害って事はないけど、吸ったらすぐ死んじゃうほど危ないものじゃない。
火さえ消す事ができればこの辺に住めるようになるはずだし、油も利用価値があるんだけど……」
とは言ったものの、たしか石油って精製しないと使いにくいんだよね。
そのままでも燃料にはなるだろうけど、大量の黒煙を噴くので実用的ではない。
「近くに川が流れていましたから、水を汲んできてかけてみますか?」
シーラが提案してくるが、バケツサイズの水をかけて消せるとは思えない。
そもそも、数百メートル離れているここでも顔にほんのり熱を感じるのだ。水を掛けられる距離まではとても近付けないだろう。
だけどマトモな道具もないし、地属性魔法とかあれば別だけど、今の所この世界で魔法は見かけていない。
となると、消すとしたら川の水に頼るしかなさそうだよね……。
俺は周りの状況を見ながら、あれこれ考えを巡らせるのだった……。
現時点での帝国に対する影響度……0.0%
資産
・1049万8680ダルナ
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
配下
シーラ(部下・C級冒険者)
メルツ(パーティーメンバー・E級冒険者 アルパの街に残留)
メーア(パーティーメンバー・E級冒険者)




