233 帝国軍より怖い存在
「アルサル君、そこ座って……」
聞き覚えのある声に、考えるより先に俺は膝を折って地面に正座していた。
考えてみれば、シーラにさえ気付かれない隠密能力。アルパの街の近郊という場所。そして俺の事を『アルサル君』と呼ぶ人……。
出てくる答えは一つしかないよね。
「あの、ティアナさん……ですよね?」
恐る恐る声を発すると、人影は無言で、深く被っていたフードを脱ぐ――。
すると布の下から、ピョコンと笹の葉のように長い耳が姿を現した。
やはりこの人はエリスの母親であり、シーラとキサの弓の先生でもある、エルフのティアナさんだ。
……そしてなにやら、スペシャルブチギレモードである。心当たりは……なくもない。
「えっと……もしかしてエリスの事で怒っていたりします?」
俺の言葉に、ティアナさんは氷のような微笑を浮かべ、右手に持った棒切れを肩まで持ち上げる。
いつもは弓を持っているのに、今日は木の棒だ。
森の中にいくらでも落ちていそうなちょっと太めの枝だけど、今はオークが持つこん棒のように恐ろしい。
オーク見た事ないけどさ。
「ねぇアルサル君、エリスが国王やってる国が攻められたんだってね」
うん、やっぱりその案件だよね。
「そう……ですね。でも攻めてきた敵は撃退しましたよ」
「それは結果論でしょ。もし救援が間に合わなくて、王都が攻め落とされてたらどうなってたの?」
……どうなってただろうね?
王都を捨てて脱出……して欲しい所だけど、エリス責任感強いからなぁ。
ちょっと想像したくない事になっていた気がする。
即答できずに逡巡していると、横からシーラが言葉を発する。
「お待ちくださいティアナ殿。アルサル様は帝国軍の動きを知って全速力で救援に向かい、敵を撃退したのです」
「シーラちゃんは黙ってて、私はアルサル君に訊いてるの」
「――――っ」
ティアナさんに一睨みされて、シーラは言葉を飲み込むように黙ってしまう。
帝国の大軍を相手に、先頭に立って突撃をかけたシーラが。
敵将相手の一騎打ちでも、万を越える敵が相手でも決して怯んだりしなかったシーラが、脅えたように見えた。
……正直、気持ちは分かる。
シーラにとってティアナさんは弓の師匠だし、シーラが最も得意とする気配察知でも上を行く存在だ。
実際今もギリギリまで接近に気付かなかったし。お互い近距離で武器を構え、合図ではじまる試合ならともかく、より実戦的な。姿が見えない状況からのルール無用サバイバル戦では、絶対に勝てないという自覚があるのだろう。
ティアナさんはシーラにとって数少ない。むしろ俺が知る限りほぼ唯一の、『本気で戦ったら負ける相手』なのだ。
そりゃビビるよね……。
――と、のんきにそんな事を考えている場合ではない。
シーラが恐れるその相手に、今殺気を向けられているのは俺なのだ。
王都が攻め落とされた時のエリスか……。
「ええと……エリスは責任感が強い子だから、多分王都に残って最後まで抵抗した……かな」
俺の言葉に、ティアナさんが纏う殺気が一層強くなる。
「――ねえアルサル君。それってつまり、エリスが死ぬかもしれなかったって事だよね?」
「……一応降伏っていう選択肢はありますけど、エリスの性格と責任感の強さを考えると、篭城戦の最後に『降伏するので、私の命と引き換えに兵士と住民の命を助けてください』って言ったでしょうね」
この言葉はティアナさんをさらに殺気立たせるだろうと分かっていたが、もしここで下手な誤魔化しをしたら一生ティアナさんからの信用を失ってしまう気がしたので、あえて正直に答える。
――が、予想に反してティアナさんの殺気は強さを増す事なく、現状維持だった。
すでに意識を飛ばされそうなくらいだけど、これが上限……って事もなさそうだよね。少なくともまだ表情は微笑を浮かべている。
これはこれで怖いけど、本当にガチでキレたら無表情になるタイプだと思う。
「……アルサル君。私ね、この世で大切なものが2つあるの。なにか分かる?」
「エリスと……旦那さんですかね?」
「正解。私は2人さえいてくれたら他になにもいらないし、2人がいなくなったらもう生きていけない。
だからね、そんな大切なエリスに命の危機をもたらした事に、私はすごく怒ってる」
手にした棒切れを持つ手に、グッと力が入るのが分かる。
ティアナさんの本職は弓だけど、塩運びの実績を見るに力もかなり強いはずだ。
あれで殴られたら、俺の頭なんて一撃で粉々だと思う。
正直恐ろしいが、ティアナさんにここまで心配をかけてしまった事を申し訳なくも思う。
「……ティアナさん、もしかしてその格好はエリスを助けに行こうとしてました?」
全身を覆う厚手のマントに、顔をすっぽり隠せる大きなフード。
これは、エルフである事を隠して王都まで行こうとしていた装備に見える。
「そうだよ。あの子は逃げるのは絶対嫌だって言うだろうから、攫ってでも連れ帰るつもりだった。
たとえそれで一生恨まれる事になっても、エリスには生きていて欲しかったからね」
おおう……あんなに娘大好きなテイアナさんが、エリスに一生恨まれる覚悟を決めてまで……か。
言葉の重さに眩暈がしそうだ。
もし本当にそんな事になっていたら。こんな風に問い詰められる間もなく、俺の頭はこん棒の餌食だったんだろうね……。
「そうならなくて本当に良かったですね」
俺の命的にも、エリスとティアナさんの親子関係的にも。万感の思いをこめて言葉を発する。
「……そうだね。もしそうなっていたらと思うと、考えるだけで頭がおかしくなりそうだよ」
「エリスを危険に晒したのは本当に申し訳ない限りですが、これからの戦いは帝国領内が主戦場になるはずなので、もうエリスに危険が及ぶ事はないと思います……多分」
「多分?」
「俺達が負けて、帝国が改めて西進を開始しない限りは」
「なるほど……つまりここでアルサル君の頭を熟れて木から落ちた果物が動物に踏み潰されたみたいにしちゃうと、結果的にエリスが苦労するって訳だ」
「……そういう事になりますね」
殺意高いなぁ……。これ木から落ちてグシャってなった所に、さらにもう一撃入れるって意味だよね。
――だけど、現状俺とエリスの運命が一蓮托生だと改めて理解して頂いた事で、ティアナさんの殺意は急速に小さくなっていく。
……と言うか本気で俺を殺す気なら、遠くから弓で一撃決めてしまえばそれでよかったのだ。
ティアナさんにはそれができるだけの能力があるし、犯人も不明になるだろう。
それなのにわざわざ棒切れを持って姿を現したのは、殺したいほど腹立たしいけど、最初から俺を殺すつもりはなかったのだろう。
エリスを危険に晒した件について、俺に一言文句を言いたくて。ついでに『今度また同じような事があったら、その時は分かっているな?』と釘を刺しに来たのだと思う。
特大の釘を……。
――釘が思いっきり深くガッチリ刺さった事を確認したらしく。ティアナさんは殺気を完全に引っ込めると、『これからもエリスの事を、くれぐれもよろしく頼むからね』と、『くれぐれも』の部分を思いっきり強調して言い残し。またフードを目深に被ると、姿を現した時と同様、音もなく茂みの中に消えていった……。
――思わぬ所でこの世界に来てから最大級の恐怖を感じ。
シーラもキサも一歩も動けないという、貴重な光景を目の当たりにした。
ティアナさんが去ってようやく息をつき。『私などまだまだ未熟の極みですね……』と落ち込んだ様子のシーラに、『あの人は特別だから。何百年も生きているから、経験値が違うんだよ』と慰めの言葉をかけながら。
俺はティアナさんだけは絶対に敵に回さないようにしようと、固く心に誓うのだった……。
帝国暦169年 3月20日
現時点での帝国に対する影響度……8.279%(±0)
資産
・1億3989万ダルナ
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
・エルフの傷薬×35
配下
シーラ(部下・帝国復興軍精鋭部隊長・C級冒険者 月給50万)
メルツ(部下・ジェルファ王国軍務大臣・E級冒険者 月15万を上級傷薬代として返済中)
メーア(部下・ジェルファ王国軍務副大臣・E級冒険者 月15万を上級傷薬代として返済中)
エリス(協力者・ジェルファ王国国王・将来の息子の嫁候補 月30万を宿借り上げ代として支払い)
ティアナ(エリスの協力者 月給なし)
クレア(部下・ジェルファ王国宰相)
オークとゴブリンの巣穴から救出された女の人達24人(雇用中・北の拠点生産担当と中州の拠点運営担当 月給12万)
元孤児の兵士達103人(部下・ジェルファ王国軍部隊長 兵士97人 北の拠点の船舶担当5人 医療班1人)
セファル(部下・アルパの街の物資管理担当・C級冒険者 月給30万)(弟も同職 月給10万)
ガラス職人(協力者 月給15万・衣食住保証)
船大工二人(協力者 月給15万・衣食住保証)
怪我を負った孤児の子達43人(北の拠点で雇用 月給7.2万)
キサ(部下・専属護衛・遊牧民 月給48万)
セラードとその妹リーズ(部下・元帝国西方新領州都防衛隊長 元子爵家子息 帝国復興軍後方部隊長と前線部隊長)
ミリザ(協力者・ジェルファ王国内務大臣・王都を仕切る裏稼業三代目)




