１７８ 訓練場の病
志願兵訓練所で病気が発生しているという情報に、俺は急いで現場へと向かう。
訓練所に着いてみると、医務室は満員で外まで患者が溢れていて。かなりの惨状だった。
患者を見ると、なるほど皮膚に痣のような青紫色の斑点が出ているし、血が滲んでいる人もいる。
元の世界の『なんとか出血熱』という怖い病気が頭をよぎるが、幸い発熱はしていないらしい。
……ひとしきり様子を観察して訓練所の本部へ向かうと、メルツ達が慌しく対応に当たってくれていた。
中州の拠点からクレアさんも来ていて、話を訊いてみるとこの病気が発生しているのは訓練所だけで、他では一例も確認されていないらしい。
――訓練所は隔離空間ではなく、休みの日には街に出かける人もいるし、家族や友人が面会に来る事もある。
物資を運ぶ人も大勢出入りしているので、伝染病だとしたら妙な話だ。
だけど現状をまとめてくれている報告書を見ると、訓練所の人員２万7634人に対して、重症者3817人。軽症者１万1267人。無症状１万2550人で、ちょっと体がだるい程度の軽症者を含めたら半数以上が罹患者という、かなり深刻な状況である。
俺が偽勅令状作戦に出発する前から体調不良を訴える人がいるという報告は受けていたけど、体がだるい程度だったので、風邪でも流行っているのかなと軽く受け止めていた。
それから20日ほどでこの惨状だ。
唯一の救いなのは、これだけ患者がいて死者は０人という事。ただし回復者も０人で、ゆっくり病状が進行していくという、なんだか不気味な雰囲気らしい。
そしてもう一つ不自然な点は、エリスが几帳面にまとめてくれたデータによると、各隊満遍なく。同じくらいの割合で発症者がいる所だ。
伝染病だとしたら接触が多い範囲である程度発症者が固まりそうなものだけど、満遍なくなのである。伝染病ではない……という事なのだろうか？
訳がわからず困惑し、なにかしなければと気は急くが、どうすればいいのかさっぱり分からない。
得体の知れない恐怖に指が震え、報告書をめくる手が安定しないくらいである……。
ちょっと泣きそうになっていると、シーラが不意に優しく背中をさすってくれ。『落ち着いてください。冷静さを欠いたら視野が狭くなり、正しい判断ができなくなるのは戦場と同じでしょう』と、穏やかな声で言葉をかけてくれる。
――その言葉は緊張して固くなっていた俺の体にスッと水のように沁み渡り、心を温めて緊張を解きほぐしてくれる……好きな人が優しい言葉をかけて体に触れてくれるのって、こんなにも劇的な効果があるんだね。
まるで魔法みたいだと、ちょっとロマンチックな事を考えてしまうが。とにかくおかげで冷静さを取り戻す事ができた。
「シーラ、ありがとう」
そうお礼を言い、改めてエリスが作ってくれた報告書に目を通す。
几帳面なエリスらしく、相当細かく情報が記録されているので、なにか手がかりがあるかも知れない。
……端から端まで丹念に読み込んでいくが、男女でも年齢でも発症率に大きな差はなく、出身地や兵種でも違いはない。
やはり手がかりはないのか…………いや待てよ？
この場合、あまりにも偏りがないのが逆に怪しいのではないだろうか？
伝染病だったら特定の範囲で集中的に感染者が発生するはずで、それがないから伝染病ではないのではないかという疑いを抱いた。
――という事は、この病気の原因は菌やウイルスではないという事だろうか？ でも菌やウイルス以外で集団感染する病気なんて……。
元の世界知識からこっちの世界で読んだ本まで、情報を総動員して検討するが、該当する事例は…………あ！
そうだ、一つ思い当たるのがあった。
それは昔、日本で毎年何万人もが死んでいた病気。
病原菌説もあったけど結局否定された病気で、その名を『脚気』と言う。原因は、ビタミンB１の不足だった。
今回は脚気じゃないだろうけど、もう一つ、ビタミン不足で起こる病気に心当たりがある。
それはビタミンCの不足で発症して、大航海時代に多くの船乗りの命を奪った病気。その名は『壊血病』だ。
俺は壊血病について詳しくないけど、今回の病気は血にまつわる症状が多いので、これな気がする。
考えてみれば、訓練所の開設以来供給されていた食べ物は麦と肉がほとんどで、野菜や果物が絶望的に不足していた。
この世界に栄養学の概念はほとんどないみたいだから、俺が気を使わないといけなかったのにね……。
反省しきりだが、今はとにかく対応が最優先だ。
幸い可能性が高い原因が判明したので、後はその対策。そしてその方法も分かっている。
疫病対応のためにティアナさんがここにいるらしいので、俺はそこに走り、勢いよく扉を開ける。
「――ティアナさん、いま森で収穫できる果物ってありますか！？ 酸っぱいやつだとありがたいです！」
「わ、びっくりした……酸っぱい果物？ それならセロラの実がいっぱい生ってるけど？」
いきなり部屋に入ったので驚かせてしまったらしい。
「すみません、慌てていたもので……それで、そのセロラの実を採って来てもらう事はできますか？」
「それはいいけど、そのままだとすっごく酸っぱくてあまり美味しくないよ？ 同量のハチミツと一緒に煮詰めると甘酸っぱくて美味しくなるけど、ハチミツ手に入る？」
「手に入りませんけど、今はその酸っぱさが欲しいんです。病気に効くかも知れません」
「――わかった。でも小さい粒だから運びにくいな……そうだ、片っ端から川に流すから、この辺で網を張って回収してくれる？ あの実はすごく酸っぱいから、魚も食べないだろうし」
「了解しました、すぐに手配します」
「うん、じゃあ行ってくるね」
病気に効くと聞いてティアナさんも色めき立ち。もう午後遅い時間なのに、急いで出発してくれる。
エリスの役に立てなかった事を気にしていたのだろうか？
ともあれ俺の方は大急ぎで網を用意し、訓練所の隣を流れる川いっぱいに広げて待ち受ける。
……果たせるかな。翌日の夕方には早速大量の赤い実が流れてきて、網にたくさん引っ掛かりはじめた。
訓練所の人達に頼んで回収してもらい。俺も一つ拾い上げてみると、サクランボくらいの大きさの、ちょっと固い実である。
試しに齧ってみたら、思わず『おぶっふ！』と変な声が出るくらいに酸っぱくて、涙が出るくらいだった。元の世界の梅干しよりも断然酸っぱい。
この酸味がビタミンCかは不明だけど、とりあえず物は試しと、壊血病の患者達に与えてみる。
ビタミンCはたしか熱に弱かった気がするので、生のまま。細かく刻んで一人スプーン半分くらいを飲んでもらう。
――あまりの酸っぱさに病室には悲鳴が充満し、聞く人達を脅えさせたが。果たしてその効果は絶大で、三日後には早くも顕著な回復を見せ始めた。
効果があると分かれば広まるのは早く、ティアナさんのおかげでセロラの実が大量に供給されたおかげもあって、10日もするとほとんどの人が回復していた。
皮膚の痣とかはすぐには消えないけど、それも時間の問題だろうし、健康を回復できたのが何より大きい。最悪死にいたる病気だからね。
活気を取り戻した訓練所の光景に安堵しつつ。
解決の糸口になる細かなデータを収集整理してくれていたエリス。俺の混乱を静め、冷静に事に当たらせてくれたシーラ。薬となる果物を手配してくれたティアナさん。
他にも手を貸して助けてくれたみんなに改めて感謝とお礼を言って回り、問題が解決した事に安心して、その晩は久しぶりにゆっくりと眠ったのだった……。
帝国暦168年 7月9日
現時点での帝国に対する影響度……1.0822％（±0）
資産
・550１万ダルナ（－2035万）
・エリスに預けた反乱軍運営資金 4729万ダルナ（+2000万）
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ（今はおでこに一つだけ）
・エルフの傷薬×1637
配下
シーラ（部下・反乱軍影の部隊長・C級冒険者 月給50万）
メルツ（部下・反乱軍名目上部隊長・E級冒険者 月給35万・内15万を上級傷薬代として返済中）
メーア（部下・反乱軍副部隊長・E級冒険者 月給35万・内15万を上級傷薬代として返済中）
エリス（協力者・反乱軍後方参謀 月給10万と月30万を宿借り上げ代として支払い）
ティアナ（エリスの協力者 月給なし）
クレア（部下・反乱軍支配地内政担当 月給29万 内24万は帝国暦169年5月分まで前借り中）
オークとゴブリンの巣穴から救出された女の人達24人（雇用中・北の拠点生産担当と中州の拠点運営担当 月給12万）
元孤児の兵士達103人（部下・月給3万 兵士97人 北の拠点の船舶担当5人 医療班1人）
セファル（部下・拠点間輸送担当・C級冒険者 月給30万）（弟も冒険者養成所会計補佐として雇用 月給10万）
ガラス職人（協力者 月給15万・衣食住保証）
船大工二人（協力者 月給15万・衣食住保証）
怪我を負った孤児の子達43人（北の拠点で雇用 月給7.2万）
キサ（部下・専属護衛・遊牧民 月給48万）
