100 商会に戻らない理由
部屋の扉をノックすると、すぐにクレアさんの声で『どうぞ』と聞こえてくる。
ティーセットが乗ったトレイで手が塞がっているので、シーラに扉を開けてもらい。部屋を覗くと、二人共落ち着いた様子で椅子に座っていた。
意外とあっさり再会終わったのかな? と思ったが、よく見ると仮面を外したクレアさんの目元には涙の痕があるし、弟の商会長の方も目が真っ赤だ。
とりあえず、ガン泣きするほど感動の再会だったらしい。今落ち着いているのは、二人共感情の切り替えとコントロールに長けているからだろう。
ほんのり温かい気持ちになりながら部屋に入ると、いきなり商会長が立ち上がって、テーブルに着くくらい頭を下げる。
「姉さ……姉を助けて頂いてありがとうございました!」
「あ、はい……事情は聞きました?」
結構な勢いに驚いて、危うくお茶を零しそうになった。
「大まかには。魔物に襲われていた所を助けて頂いたそうで」
「もう少し早ければ他の皆さんも助けられたのですが、クレアさんしか助けられなくて申し訳ありませんでした……あ、呼び方クレアさんでいいですかね?」
この辺の設定は丁寧に打ち合わせて何度も確認したので、対応はバッチリだ。
クレアさんの『弟にも話しましたから、呼び慣れた名で大丈夫です』という声を聞きながら、運んできたトレイをテーブルに置いて、みんなにお茶を配る。
……その様子を見ていた商会長が、戸惑いを含んだ声で言葉を発する。
「あの、アルサル様は皇帝陛下であらせられたのですよね?」
お、しまった。皇帝はお茶を運んで来たりしないか。
「はい。――と言っても元ですし、幼い頃に一年ちょっとやっていただけですけどね。お飾りだったので、皇帝としての仕事なんてほとんどした事ありません。
だからそんなに畏まらずに、気楽に話してもらって構いませんよ」
「……わかりました。他の商会員の事はアルサル様のせいではありませんから、気になさらないでください」
「そう言って頂けると助かりますが、帝国の侵攻のせいでお二人のご両親が亡くなり。この街も焼けてしまった事については、申し訳ない限りです」
「……それもアルサル様のせいではないのでしょう。むしろ我々が仇を討とうとしているのに協力してくださると聞きました」
お、クレアさんそこまで話したのか。話が速くて助かる。
「俺達も今の帝国を討ちたいと思っていますから、目的を共有できると思います。……と言ってもまだ大した戦力はなくて、基盤を作っている所ですけどね」
「戦力がないのはこちらも同じです。今のままでは隙を突いての要人暗殺くらいが精々で、その後は追い詰められて滅ぼされるのを待つばかりだったでしょう。
いくら皆の仇討ちだからといって、そんな事をやるべきかどうか迷っていました。別の選択肢を示して頂けたのは正直ありがたいです」
「それなら良かったですが、俺達の計画は長丁場になりますよ。10年以上かかるかもしれません。その間皆さんを抑えておけますか?」
「明確な目標があり、それに向けて定期的な進展があれば可能です」
なるほど……だけどそれは、『進捗が停滞したら抑えが利かなくなる』という事でもある。
理屈は分かるし、ぶっちゃけうちのシーラさんもそうかもしれない。目的に向かって前進しているという手応えがあるからこそ、感情を抑えて冷静でいられるのだろう。
「わかりました、では定期的に進捗を報告しますね。今すぐには予算がつかないですが、将来的に商会員以外の人手も集めて頂けると助かります。
帝国と戦うのに、人数はいくらいても多いという事はありませんから。直接戦う以外にもやる事は沢山あるので、信用がおける人ならどんな人でもかまいません」
「承知しました…………あの、姉はこの先どうなるのでしょうか?」
うん、やっぱりそこ気になるよね。
事前に話し合ってクレアさんの希望も聞いて、検討を重ねた結果を口にする。
「クレアさんは優秀で頼りになるので、このまま俺の下で働いてもらいたいと思っています。
本人がどうしても商会に戻りたいと言うなら意思を尊重しますが、クレアさんどうですか?」
「私はまだアルサル様に命を助けて頂いた恩を返せていませんし、アルサル様をお助けし、今の帝国を討つ事が両親や商会の皆の仇を討つ事になると。そしてひいてはこの国に、帝国さえも含む広範囲に平和をもたらす事になると思っています」
クレアさんはそう口にした後、じっと弟さんを見ながら諭すように。優しい口調で言葉を続ける。
「昨日と今日見て分かりましたが、商会はもう貴方の下で一つになって、立派に運営されているでしょう。
今私が戻った所で、いらない混乱を招くだけです。私は死んだ事にして、生きている事は貴方だけが知っていてくれれば構いません。
……いつの日か大望を果たし、皆の仇を討った暁にはまた貴方の姉に戻るのもやぶさかではありませんが、それまでこの身はアルサル様の配下、クレアとして生きるつもりです。
貴方とはその日まで、場所は違っていも同じ目的に向かう同志として、力を合わせて行ければと思っています」
「姉さん……」
――さすが丹念に練り上げた台詞だけあって、弟さんの心に大いに響いたようだ。
涙を流し、体裁をとって『姉』と呼ぶのも忘れて、『姉さん』と呼んだ。
なんか騙しているようでちょっと心苦しいが、これは『嘘をつくのは弟だけにしたい。弟にだけ自分が生きている事を知ってもらえればそれでいい』というクレアさんの希望によるものだ。
そしていつの日か、クレアさんと弟さんがまた姉弟に戻る事が出来る可能性も秘めた選択肢である。
クレアさんさえ望めば今すぐにも可能なんだけど、まだ自分は人前に出てはいけないという負い目が強くあるようだ。
こればかりは本人次第だから、時間と帝国を打ち倒したという自信が解決してくれるのを待つしかないだろう。
また一つ、帝国を打倒する理由が増えてしまった。
……そんな訳で、俺達は新たな味方を得る事ができ。ごきげんで帰途につく……前にやる事があった。
この街に来た、最初の目的である。
俺はクレアさんの手を握って別れを惜しんでいる商会長に声をかける。
「あの、以前この街にガラス工房があったと思うのですが、生き残った職人さんをご存知ありませんか?」
そう、大きく脱線したけど、元々このためにここへ来たのだ……。
帝国暦165年6月24日
現時点での帝国に対する影響度……0.0%
資産
・194万ダルナ(追加で1600万入る予定) ※800万ダルナは馬4頭を借りた預かり金で、返却時に大半は返還される予定
・エリスに預けた冒険者養成所運営資金 2330万ダルナ@月末清算(現在5月分まで)
・元宝石がいっぱい付いていた犬のぬいぐるみ(今はおでこに一つだけ)
・エルフの傷薬×30
配下
シーラ(部下・C級冒険者)
メルツ(部下・反乱軍拠点訓練担当・E級冒険者)
メーア(部下・反乱軍拠点メンタル担当・E級冒険者)
エリス(協力者・反乱軍拠点運営担当)
ティアナ(エリスの協力者)
クレア(協力者・中州の拠点管理担当 帝国暦169年5月分まで給料前借り中)
オークとゴブリンの巣穴から救出された女の人達24人(雇用中・北の拠点生産担当と中州の運営担当)
元孤児の冒険者21人(部下・F級冒険者だけど実力はE級相当)
セファル(部下・拠点間輸送担当・C級冒険者)