1 転生したら皇帝でした
……前の世界の最後がどうだったかは、よく覚えていない。
アラフォーサラリーマンだった俺は、ある日目覚めると知らない場所にいた。
見覚えのない石造りの天井に、心配そうに俺を覗き込む綺麗なお姉さん。
どちらも日本の俺の部屋にはなかったものだ。
そしてすぐに、自分の中にもう一つの記憶がある事に気付く。それは大国、アムルサール帝国の26代皇帝、アムルサール26世。今年11歳というもの。
彼は熱病に罹り、若くして死んでしまったらしい。
そして俺の魂がその体に入り込む形になったらしく、体は11歳の少年のものだが、意識は俺がメインで。思い出そうとすると皇帝の記憶も出てくる感じだ。
熱病自体は治っているっぽいが、体力が落ちているのか体は重く、腕を上げる事すらままならない。
反面意識ははっきりしているので、にわかには信じられないこの現状把握を試みる。
11歳というと元の世界では、小学校五年生か六年生くらい。まだまだ子供だ。
皇帝の記憶を辿ってみるが、特に政務などはやっておらず、難しい事はよくわかっていないようだ。
11歳なのにお酒を出され、毎日美味しい料理を食べて後宮の美女達と楽しく遊んでいたようで、羨ましい……と言うか、甘やかしすぎじゃないだろうか?
ちなみに11歳で精通がまだなので、そっち方面の事は致していないようだ。
――そういえば後宮といえば、ずっと俺の事を覗き込んでいるお姉さん……皇帝の記憶があったのでお姉さんに見えたけど、多分10代半ばくらいの少女がいるが、もしかして後宮の一員だったりするのだろうか?
健康的な褐色肌に青い瞳。中東とかインド辺りにいそうな感じの、目が覚めるような美少女だ。この国もその辺りにあるのだろうか? アムルサール帝国なんて聞いた事ないけど……。
話しかけてみようとするが、喉が貼りついたようになっていて声が出せない。
「み……ず…………」
なんとかそれだけ声を搾り出すと、言葉は通じたようでお姉さん改め褐色美少女は弾かれたように立ち上がり。部屋の隅に駆けていくと、水差しからコップに水を注いで持ってきてくれる。
受け取って飲もうとするが、熱病による消耗で体を起こすのはおろか、手も上げられない。
少女もすぐに気付いたのだろう。ためらう事なくコップを口にもって行って水を含むと、俺を少し抱き起こして顔を寄せてくる……って、ちょ!!
……美少女との突然のキスに危うくもう一度心臓が止まりかけたが、このためらいのなさを見ると、やはり後宮の一員なのだろうか?
それとも、弱り切った少年を放置しておけなかったのか。だったらすごいぞショタパワー。
そんな事を考えている間に、重なった唇からほんのり温かい水が流れ込んできて、喉から体中へと染み渡っていく……。
それはまさに甘露と言うのだろう。乾ききった体にはなんとも美味しく、本当に神の水のように感じられた。
……二口、三口と飲ませてもらい。コップ一杯飲み切る頃には少し体力が回復し、声が出せるようになった。
「ありがとうございます……」
とっさにそう言葉を発すると、少女は驚いたように目を見開き。『そんな、とんでもございません。私ごときにそのようなお言葉は無用でございます』と頭を下げる。
……なるほど、昔の感覚でお礼を言ってしまったけど、皇帝というのは敬語でお礼を言ったりしないのだろう。そりゃそうだよね、この先皇帝としてやっていくなら、この辺の感覚を覚えないといけない気がする。
とりあえず頭の中の皇帝知識を探ってみると、基本偉そうに喋って、一人称は『余』であるらしい。
よし、練習と情報収集を兼ねて、もう少しこの子と話をしてみよう。
「……おまえ、名は?」
「はい、『シーラ』と申します皇帝陛下」
お、やっぱり本当に皇帝陛下だったようだ。
ワンチャン子供の妄想の可能性もあったが、確証が得られた事で俺のテンションは一気に跳ね上がる。
大国の皇帝で、シーラのような美少女が傍仕えをしてくれる。しかも後宮があって、そこには美女がいっぱいだ。
皇帝の記憶にシーラの存在はないようだが、後宮には何百人もいるみたいなのでしょうがないのだろう。
元の世界では触れる事さえできなかったようなとびっきりの美少女が、記憶に残らないほど大勢の中の一人。
しかもその全員が、皇帝の妃として俺のために存在しているのだ。
これはもう、人生勝ち確大勝利だろ。
体が動くならガッツポーズでも決めたい所だが、まだ腕に力が入らない。
…………と、ちょっと冷静になった所でおかしな事に気付く。
仮にも皇帝が死に瀕していたというのに、周りに人がいなさすぎるのだ。
医者も大臣もいないし、世話をする人もシーラたった一人がいるだけである。
ようやく少し動くようになった体で首を動かして部屋を見回してみるが、殺風景で飾り気のない石造りの部屋。ベッドも貧相でこそないが、地味で皇帝が使う物っぽくはない。
これは……もしかしてアカン奴なのだろうか?
さっきまでのテンションと一転、急にゾクリと寒気が走って、恐る恐る言葉を発する。
「シーラ、他の者はおらんのか?」
「……今は私一人でございます」
なんかものすごく言いにくそうだ。ますます嫌な予感がする。
皇帝がひっそりと死を迎えるなんて、暗殺とか幽閉とかその辺の想像しかできない。脳内の記憶的に幽閉の線はなさそうだから、暗殺だろうか?
だとしたら、生き返ったのってまずくない? もう一回殺される流れだよね?
ビクビクしながらシーラの表情を窺ってみるが、かわいい顔に満面の笑みを湛えて、本当に嬉しそうだ。
俺の回復を心の底から喜んでくれている感じがする。
……もしこの表情が演技だとしても、この子に殺されるならアリかも知れないと思えてしまうくらいだ。
真相を確かめたいが、まさかストレートに『暗殺しようとしたのか?』とは訊けないよね……。
「何か事情があるのか?」
そう問いを発した俺の言葉に、シーラは答えにくそうに視線を泳がせたが、俺がじっと見つめ続けた事で観念したのだろう。ゆっくりと口を開く。
「その……皇帝陛下の病は医者も匙を投げるほどのもので、しかも伝染病でしたから、みな恐れて……」
――お、ちょっと予想外の答えが返ってきた。
なるほどそれなら医者も大臣もおらず、世話係一人で皇帝が寂しく死を迎えていたのも納得がいく…………か?
いやいかないよね。大臣はともかく、医者と世話係くらいはいそうなものだ。言い方悪いけど、替えが効く存在だからね……。
とそこまで考えて、また寒気が走る。
……もしかしてこの国、皇帝が気軽に替えが効く存在だったりするのだろうか?
考えてみれば、11歳と若すぎる皇帝。しかも後宮で遊んで暮らしていて、まともな教育を受けている感じはしない。
……これってなんか、悪い大臣とかがいて皇帝を操り人形にし、自分が国を牛耳っているような。そんなパターンじゃないだろうか?
皇帝の記憶を辿ってみたら、父親もその兄弟も、兄達も大勢いたがみんな死んでしまって、自分が即位する事になったのだそうだ。
幼い皇帝は『一族にかけられた呪い』と説明されて納得していたようだが、どうなのだろう?
本人が熱病で死んでしまう所だった辺り、本当に呪いとか存在する世界なのかもしれないけど、シーラは伝染病だって言ってたよな。
――ん、伝染病?
「……シーラ、先ほど口移しで水を飲ませてくれたが、余は伝染病だったのではないか?」
「それは……そうですが、奇跡的に目を覚まされたのに、そのまま見捨てる事はできません。コップから水を飲めないのであれば、ああするしかありませんでしたから……」
おお、それはつまり。命の危険を冒して水を飲ませてくれたという事だ。
俺は多分、死んでも幾らでも代わりがいるお飾り皇帝。それも重病に罹って見捨てられた存在だった。
離れて見ていて、死んだらそう報告するだけで良かったはずなのだ。
そんな俺をじっと見守ってくれ、俺のために自分も死病に侵されるリスクを負ってくれたのだとしたら、この子はすごくいい子だし、命の恩人と言っても過言ではない。
俺は改めて、まだ心配そうにこちらを覗き込んでいるシーラのかわいい顔を、じっと見るのだった……。
現時点での帝国に対する影響度……1.2%
資産
・特になし
配下
・特になし
新連載はじめました。
初めましての方も過去作を読んで下さった方も、よろしくお願いします。
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