アオラー令嬢誘拐事件
拝啓、母上。
五年ほど前、そう、13歳の時のことです。
うざい、ババアだなんて言ってしまい、ごめんなさい。
あの時は本気でご逝去を願っておりましたが。いや、今も正直〇ねクソババアくらいは思っていますが。母上のお言葉が多分忠言であったこと、今更ながら思い知りました。
———勉強しなさい、鍛錬に励みなさい……。
そう、全て大事なことだったのです。
「動くな!この女がどうなってもいいのか!」
この誘拐犯の尊厳を守るためには!……必要かどうかは置いといて。
私はその辺の近衛騎士です。名門伯爵家の生まれで、それなりに見目は整っている方だと自負しております。ちょっと自慢に思っているくらいですが、とりあえずその辺の近衛騎士でございます。
目の前で首元に剣を突き付けられながらもぼんやりとした様子の少女はわたくしめの婚約者殿。彼女の瞳が映すのは犯人逮捕に向かう我々近衛騎士でも、犯人の突きつける剣先でもありません。
同僚たちも人質が取られている以上迂闊には動けませんし、彼女が私の婚約者であることは周知の事実ですので、気遣わし気な視線が私を突き刺しますが、私はそれどころではございません。決して尿意ではなく。尿意なんてものはちょっとしか感じておりませんが、そういうわけではなく。
「すみません、お兄さん。」
突然誘拐犯に声をかけた我が婚約者殿に誘拐犯も同僚も仲良く目をぱちぱちと開閉します。
「私五歳くらいの時から三年くらい、二十年くらい前の若い貴族さんたちの姿絵を見て、今の姿と見比べるっていう遊びにはまってた時期があるんですよ。」
突然昔話をされて、その場にいるほとんどが理解できない様子で首を傾げます。仲がよろしいですね。
「そのときに、この人はハゲる、ハゲないって選別してたんですねえ。」
先が理解できたであろう同僚たちが「ン"ッ……」と奇声を上げてむせてしまいました。
「お兄さんは、あと20年くらいしたらぜったい、ぜーーーったいに、ハゲます。」
百発百中なんで任せてください!と続けた婚約者殿の姿に誘拐犯の頬がひきつります。
ちなみに、当時から婚約者であった私は彼女がその遊びをしていたところを見ていました。この人はハゲる、ハゲないと選別された人たちは、現在彼女の推測通りの髪型になっています。
当時、それを見てゲラゲラ笑っていた私が言えることではありませんが、正直毛根が気になってくるお年頃には厳しい話題ではありますよね。同情します。
あ、ちなみに私は将来ハゲなさそうとお墨付きをいただいております。
「いやホント。髪の毛めちゃめちゃ弱そうじゃないですか。髪の毛って言うか頭皮。毛根。ここまで来たら潔く剃りましょ。いいものありますよー。」
そう言った婚約者殿は袖から小さいナイフを取り出して首元に剣が突きつけられているにもかかわらず、器用なことに犯人の髪の毛を前髪からスッと流れに逆らうような感じで切り落とします。
はらはらと短い髪の毛が空を舞う姿を見た同僚たちは次々と撃沈していきます。
対して上司や先輩騎士たちは恐ろしいものを見たような様子で目を逸らしています。特に上司……私が所属する隊の隊長様は頭頂部を少し抑えて、顔色は真っ青です。
というか、そのナイフは犯人の剃髪に使うんじゃなくて、脱出に使ってほしいところではあったんですけどね。
何はともあれ、犯人が婚約者殿からナイフをはたき落として、再び婚約者殿に剣を向けます。既に髪の毛がまだらになっている姿では何か……。大したことないように見えますね。
「この女がどうなってもいいのか!?」
誘拐犯は我が婚約者殿の頬に顔を近づけて舌なめずりします。さすがの私も声を荒げようとしますが、
「うわっ、クッサ。」
という婚約者殿の言葉にさえぎられます。
「歯磨きは最低限のエチケットですよ?うがい薬も最近はいいブランドありますけど……。」
ほぼいじめです。かわいそ。本人が気遣わし気なのも腹立つでしょうねぇ。
「にしても形容しがたい……。なんか、どんな食生活なの?って疑いたくなるレベル。
どんだけ不摂生してたらその臭さは再現でき……うわ臭。」
シンプルに心をえぐっていくぅ。いや、それで傷ついてるから息が臭い自覚はあったんでしょうね。美麗な貴族令嬢が……というか妙齢の女性が歯に衣着せぬ物言いで自分の気にしていることをずばずば突っ込んでくるから傷ついてると。
「ま、まあそういうのも個性ですから。そういうのが大丈夫な方も……全人類を探せば一人くらいはい
るかもしれませんわ……。その方の性別はさておいて。草。」
まあこういう時代ですし。それと単芝はなぜ?
「う、うるせえ!首を掻っ捌くぞ!」
「え、喉元を掻っ捌いたところで多分死にませんよ。ちゃんと頸動脈切らなきゃ。
頸動脈がどこかは教えませーん。」
ぐう畜。教えないというのは正しい選択ですけど、性格が普通に悪い。
「いや、マジでおつむが弱い……おつむってどう書くか知ってます?」
「ちょっとさすがに生命の危機を感じるので黙ってくださいません?」
さすがに制止します。今のは故意的な煽りじゃないですか。わざわざこのタイミングでそんな世間話を始めるとは思えません。
「ッ、舐めやがって……!」
苛立った様子の犯人を尻目に、婚約者殿が興味を失ったのか大きなあくびをします。
「そろそろ飽きません?帰ってよろしいですか?」
婚約者殿はそう言うや否や犯人をいともたやすく投げ飛ばして、ドレスの裾をはたく。
「両親の説明に少しばかり付き合っていただけませんこと?」
私にそう声をかけた婚約者殿は、のぼせ上ってしまいそうなくらい美しい微笑みを浮かべる。
「侯爵家までお送りいたします。」
私は後の始末を同僚たちに任せることにして、婚約者殿に手を差し出す。婚約者殿は躊躇することなく私の手を取る。
「満足ですか?」
「ええ、未来の旦那様がわたくしのために頑張って下さるのは素敵ですこと。
誘拐された甲斐がありましたわね。」
「ですが、今後は気をつけてください。
未来の奥さんが知らない男に誘拐されただなんて気が気じゃありません。」
「ふふ、善処しますわ。」
形容しがたい違和感を感じて首を傾げます。……あ。
……めっちゃトイレ行きたい。