慟哭
俺が通されたのは、二階の角部屋である。
女中が入り用があれば呼んでくれと言ったが、エクスフィアにインターフォンや内線など文明の利器はない。
そもそも彼女が、どこに待機しているのか解らないのに、どうやって呼出せば良いのか。
「ん……」
月明かりに照らされたベッドには、鼻から息漏れする女の気配があった。
この部屋のベッドには、どうやら先客がいたようだ。
ムゥハ族には、賓客に女を宛てがう悪弊がなければ、ベッドで横になっている女の目的は何なのか。
俺を殺す刺客なら、先回りせずに寝込みを襲うはずだ。
まあ状況から考えられることは、ハニートラップしかないのだが、素人丸出しの手口で笑ってしまう。
「付き合わされる、こっちの身にもなってくれよ。まったく、やれやれだぜ」
ベレッタ92をガンホルスターから抜いた俺は、ベッドに近付くと、ゆっくりと寝具を捲くる。
女を包んでいた寝具が、スルスルと衣擦れの音を立ててベッドから床に滑り落ちれば、やけに艶めかしい裸体が露わになった。
俺のベッドには、生まれたままの姿のノルティが、ぎゅっと目を閉じて胸の辺りで指を組み、祈るような仕草で仰向けに寝ている。
「常在戦場のンラ砂漠で暮らすムゥハ族には、裸で寝る風習がないと、カラド地方のマナー本に書いてあったぞ。よもや寝惚けて、部屋を間違えたとは言わんよな?」
ノルティは寝たふりを決め込んでいる様子なので、俺は拳銃を構えたまま後退りすると、壁際に置かれた椅子に座った。
酋長ヌガカが、サンドキングを倒した俺に、娘のノルティを差し出したわけでもあるまい。
「英雄、色を好むと言うが、俺は一介の兵士だし、子供を抱く趣味もない」
俺をムゥハに引き留めたノルティは、出会った当初から何かおかしかった。
俺がカルディラで冒険者ギルドを追放されたとして、追放理由が明らかになるまで、集落に軟禁される筋合いがあると思えない。
だから強引に引き留めた理由が、別にあることは解っていたものの、ムゥハを経由してカラド地方で商いしているヤハエに、迷惑を掛けられないので、黙って従っていただけだ。
隊商の同行を許可してくれたヤハエには、酋長の娘ノルティの意思に背くことを無理強いできなかった。
「俺に話すことはないのか?」
俺がムゥハに留まっているのは、成り行きを身を任せて、ノルティの真意を探るためだった。
「ススムさん−−」
ノルティに銃口を向けたまま、しばらく脚を組んで裸体を鑑賞していると、沈黙に耐えられなかった彼女は、か細い声で俺の名前を呼んだ。
「どうした?」
「私の身体には、興味がありませんか」
ノルティは身を捩り頬杖をつくと、この期に及んでも誘惑しようと、流し目に俺を見つめている。
こんな見え透いたハニートラップに、俺が騙されると考えたのなら、ずいぶんと安く見られたものだ。
「ノルティは、どうあっても俺を陥れたいようだが、魔王軍から、悪魔を狙撃した俺の身柄を要求されているのか?」
先ほどの宴席でも、俺の酒に毒を盛ろうとしていた様子があったので、魔王軍は、悪魔を狙撃した俺の生死を問わず、ムゥハ族に身柄の引渡しを要求しているのだろう。
「えっ、な、なんで?」
ベッドから飛び起きたノルティは、床に落ちていた寝具を拾い上げると、裸体に巻いて隠した。
「俺の目は節穴じゃないぜ。ノルティは、俺の武器が遠距離攻撃用だと知っていたが、ヤハエたちに口止めしていれば、俺の得物は、悪魔を狙撃した現場から、馬車で敗走したオークしか知り得ない事実だ」
ノルティは、俺の得意とする戦法を言い当てたのだから、敗走した魔王軍のオークと内通していることは明らかだ。
となればノルティが、俺をムゥハに引き留めた理由は、魔王軍から身柄の引渡しを要求されたからだろう。
「私は、救援に向かった冒険者から状況を聞いて、勝手に遠距離攻撃が得意だと−−」
「いいや、現場に駆け付けた冒険者には、ドラゴンを倒した武器は突火槍だと伝えていれば、俺の武器は、近接戦闘用の槍だと誤解している。俺の武器を大弓やボウガンだと誤認しているのは、魔王軍のオークしかいない」
サンドキングは突火槍で倒したと、誰に聞かれても答えているし、そもそも駆けつけた冒険者が、成形炸薬弾で破裂したドラゴン顔を見ても、遠距離攻撃を疑うような痕跡ではない。
しかし敗走したオークたちは、指揮官の悪魔が遠距離から狙撃されたことも、仲間が目の前で銃殺されたことも知っていた。
つまりノルティは、俺の武器を大弓やボウガンだと勘違いしたオークから、伝え聞くしかないのである。
「しかも酋長のヌガカや、ムゥハ族の有力者たちまで容認しているのだから、ノルティだけが魔王軍の内通者ではなく、ムゥハ族と魔王軍には、軍事的な密約があるのだろう」
ノルティは、怯えた目で俺を見ている。
どうやら図星だったらしい。
「俺が誘惑に負けて、ノルティを強姦していれば、宴席に参加した集落の有力者たちも、証人として立会ったのかな」
「彼らは、ただススムさんの話を聞きに集まっていただけです」
「そうかな? 俺のために設けられた宴席では、ノルティが席を立つと、あの女中が毒入りの酒を運んできた。ノルティに嫌疑が掛からないように、集落の有力者は、口裏を合わせるために集められたのだろう」
「どうして宴席の酒が毒入りだと、決め付けているのですか?」
「俺は、用心深い男でね。ノルティが魔王軍に内通者だと解ってからは、注がれた酒も、取り分けられた料理も、誰かが飲食するまで口をつけなかった。ノルティが退席したとき、わざわざ差し替えられた酒は、ヌガカのカップにも注いでやったが、酋長は一口も飲まなかった。つまりヌガカは、差し替えられた酒に毒が盛られていると、知っていたことになる」
「父は無関係です!」
俺は人差し指を唇に当てると−−
「俺は、人殺しを躊躇しない。大声を出して人を呼べば、部屋に入ってきた連中を皆殺しにする」
「う……」
ノルティは、俺が魔王軍の指揮官を殺した実力を聞かされていれば、ドラゴンキラーの俺が本気を出せば、捕縛することも、殺すことも不可能だと悟っている。
「エクスフィアでは、婚前交渉が重罪だったね。ノルティは、俺を誘惑して抱かれた頃合いで、隣室で待機している家の者を呼ぶ手筈なのだろう?」
部屋に案内してくれた女中は本来、入り用があれば『仰ってください』と言うところ、隣室に控えるので『呼んでください』と言い間違えた。
些細な間違えではあるが、女中は、呼べば駆け付けられる場所に待機するのだから、思わず言い間違えたのだ。
それにノルティから人払いを頼まれた女中が、俺が席を立つタイミングで、応接室に入ってきたのも、室内の様子を盗み聞きしていたからだろう。
「ススムさんは、どこまで解っているのですか?」
エクスフィアの事情に深入りする気はなかったが、俺自身が巻き込まれたとあっては、いよいよもって無視できない状況になった。
それにムゥハは、俺が救えなかったサヘル地域の状況にも重なれば、ノルティの気丈な性格は、俺に近付いた真意を、最後まで口にしなかったアサラと通じるものがある。
「ノルティには、少しだけ昔の話を聞かせよう。俺は以前、ムゥハと似たようなジレンマに陥った集落を知っている」
俺の目的は、ソンゴで装備を整えて迷いの森に戻り、霧の塔と呼ばれる遺跡から、ザダール将軍のように元の世界に生還することだ。
エクスフィアの人々と魔王軍の退魔戦争に参戦する気がなければ、ムゥハの独立運動に肩入れする義理もない。
「俺が水や食料を届けていた集落は、同地域を根城にしているゲリラ組織に、せっかく届いた水や食料を横流ししていた。俺の支援していた集落は、裏でゲリラ組織を支援することで、住民の安全を確保していたのさ」
「ムゥハの現状に似ています。先代の酋長ヤマ・ヤマドは、ンラ砂漠の地下水脈から水源を確保させてもらう見返りに、労力や物資の提供しており、魔王軍と不可侵条約を締結しています。ムゥハ族を守るためには、悪魔との取引もやむを得なかったのです」
前のめりに身を乗り出したノルティは、俺に理解を求めようとしているが、話には、まだ続きがある。
「しかし集落は、ゲリラ組織に襲撃されて壊滅した。俺たちの支援が実を結び、井戸を掘り当てて、農地では収穫も始まった頃だ。ゲリラ組織は、平和に暮らしていた住民を皆殺しにした。大国の支援による集落の発展は、彼らの存在意義とそぐわなかったからだ」
「あ……」
「ゲリラ組織が欲していたのは、俺が届けた水や食料であり、集落の発展ではない。魔王軍が欲しているのも、ムゥハ族の発展ではない」
俺はベレッタ92のセーフティレバーを下げてロックすると、被った寝具が抜襟のようになっているノルティを見据えた。
魔王軍の言いなりになったところで、ムゥハ族に未来がないことは、ノルティだって理解しているのだろう。
偽りの平和は脆く、ムゥハの発展は砂漠の蜃気楼、ただの幻想に過ぎない。
「私は、どうしたら良いのですか!? ススムさんを差し出さなければ、魔王軍は、ムゥハ族との不可侵条約を破棄するのですよ!」
ノルティがはだけるのも構わず、膝に追い縋るので、俺は慟哭の中で、彼女の頭を抱いてやった。
俺は遠くの月を眺めると、アサラの集落を救えなかった無念から銃を手に取り、外国人傭兵部隊に入隊した当時を思い出した。
江戸の敵を長崎で討つ。
筋違いなのは承知の上、魔王軍と一戦交えるのは、あのときの無念を晴らすための好機である。
え、一人で戦うの!?
と思った人は、ブクマして続きを待ちましょう!




