偽りの楽園
ムゥハ族は、もともと不毛の地であるンラ砂漠で、砂馬を駆り魔物を狩る遊牧民だった。
ノルティの祖父だったムゥハ族の前酋長ヤマ・ヤマドが、魔法使いと契約して砂漠から地下水脈を汲み上げて水源を得ることに成功、豊富な水が湧き出た現在地に定住地する。
ムゥハの集落が、今でもンラ砂漠を管理するカルディラの行政区にあるのは、定住地を持たない蛮族だった頃の名残りであり、観光業で栄えた集落は現在、自治権を求めてエクスフィア中央政府に働きかけていた。
しかし王都エクスフィアにある中央政府は、観光業で得る税収を目当てにムゥハを属領に留めて置きたいカルディラの意向を支持して、ムゥハ族の独立を認めていない。
「執政官の死は、魔王軍がタマーノ商会の隊商を襲撃したことが、原因ではありませんか?」
ノルティは、冒険者ギルドの管理する掩体壕で、水晶球に手を翳す少女に問い掛ける。
青白い肌の少女は、ノルティに手を差し出すと、向かい合った椅子に座らせた。
畏まるノルティに向かい合った少女の態度は、まるで主従関係を表しているようだった。
「ラファトの獣人族は、ムゥハ族の古い友人です。タマーノ商会が野良のドラゴンに襲われたのならともかく、その場に執政官がいたのなら、資源補給の見返りに結んだ不可侵条約に違反しています」
浅く腰掛けたノルティは、水晶球に逆さまに映る少女の顔色を窺っている。
ローブマントを目深に被り、人相を隠している少女の名前はソーシャ・ミルトン。
ソーシャは『ノルティは誤解しています』と、口元に笑みを浮かべて答える。
「誤解とは何でしょうか?」
「魔族が契約したのは、ムゥハ族と集落の安全のみです。サンドキングが襲った獣人族と魔族は、何の契約もしておりません。悪魔バラクバラーダ様が、混ざり者の獣人族を襲撃したところで、ノルティに咎められる筋合いがないのです」
ローブを後ろに脱いだソーシャの瞳は赤く、混血種の魔族なのが明らかだ。
魔族のソーシャは、酋長の娘ノルティを訪ねて、バラクバラーダを狙撃した容疑者の引渡しを求めている。
ソーシャが不遜な態度なのは、ムゥハ族が魔族や領有権を主張する砂漠に定住を決めたとき、砂漠に駐屯する魔王軍に、労働力や資源を提供する見返りに集落を襲わないとの密約を交わしているからだ。
「今までの執政官は、ムゥハに訪れる者を攻撃していなかったではありませんか?」
砂馬を駆り魔物を狩っていた砂漠の民ムゥハ族は、安住の地を求めた結果、魔族の軍門に下っていた。
「そうでしょうか? バラクバラーダ様と私は、ンラ砂漠に着任したばかりなのですが、前任者からの申し送りは、融和的なムゥハ族の保護だけでした。ムゥハ族以外の人間が戦時下、戦場に踏み込んで無事なはずがありません」
「もしかして今までも、事故に見せ掛けて、砂漠を渡る隊商や冒険者を攻撃していたのですか?」
「ヤマド家は悪魔と契約を交わしたくせに、何を今さら、白々しいことを言うのでしょう」
ノルティたちムゥハ族は、魔族と友好関係にあり、これまで魔族が砂漠の魔物を操り、ラファトの隊商や冒険者を襲っているとは考えなかった。
「ムゥハ族と魔族は、友好関係にあると思っていたのに−−」
「もちろん。ノルティが、バラクバラーダ様を殺した冒険者を素直に引き渡してくれるなら、魔族とムゥハ族は、これからも共存共栄するでしょう」
ノルティは『共存共栄』と、ソーシャの言葉を反芻する。
「ノルティは、なぜムゥハの集落が、たった数十年で観光業で賑わうことができたのか? 魔族の魔法使いが、なぜ先代の酋長ヤマに水源を提供してムゥハの集落を作らせたのか? ムゥハが急速に発展したのは、私たち魔族が水源を与えて、人々の砂漠の往来を見逃してきたからです」
「ムゥハの発展に、魔族との友好関係があったことは否定しません」
「いいえ。集落の発展は友好ではなく、魔族とムゥハ族の共存共栄のためです。なぜならムゥハ族は、私たち魔王軍の同盟だからです」
「私たちが魔王軍と同盟関係?」
「はい。ご存知のとおり魔族は出生率が低く、カラド地方の攻略拠点をンラ砂漠に作ろうにも、多産の人族のように短期間で労働力を確保できません。そして先代の酋長ヤマは、一族を率いた狩猟生活に限界を感じて、ンラ砂漠に安住の地を求めていた。魔族とムゥハ族は、お互いの利害が一致したわけです。
魔族は、ムゥハ族が安心して過ごせる楽園を与えて、ムゥハ族は、魔族のために労働力と資源を提供する。ムゥハの集落が安定すれば多産の人族は人口が増え、集落が栄えるほどに資源調達も楽になる」
湖水浴客で観光地となったムゥハは、魔族の思惑で作られた偽りの楽園だった。
「ノルティ、ンラ砂漠の各所には、ムゥハ族の支援により、カラド地方攻略の拠点となる魔王軍の地下要塞が完成しつつあります」
「ンラ砂漠に魔王軍の地下要塞が?」
「魔王ギラマノイズ様がカラド地方で挙兵するとき、ノルティもムゥハ族を率いて魔王軍として参戦しなさい」
下唇を噛んだノルティは、椅子から立ち上がると、ソーシャに背を向けて掩体壕を出ようとした。
「ノルティ、ムゥハに足留めしたバラクバラーダ様を殺した冒険者を、私の屋敷に連れてきなさい」
「ソーシャの言うとおりンラ砂漠が戦場なら、戦場において敵を殺した彼の罪を問うのは難しいです」
「理由は、いくらでもあるでしょう? 冒険者をムゥハに足留めしたのは、私たちに引渡すためではなかったの?」
ノルティが東堂進をムゥハに引き留めた真意は、彼が魔王軍カラド地方の執政官バラクバラーダを殺したからだ。
冒険者ギルドを追放されたことを足留めの理由としたのは、東堂進の処遇を決めるまでの時間稼ぎに過ぎなかったのである。
「冒険者の引渡し要求に応じないのであれば、私たちの同盟関係を人々に暴露しますよ」
「そんなことされたら、ムゥハ族は四面楚歌になる」
「はい。だからノルティには、冒険者の速やかな引渡しをお願いします」
ノルティは『わかりました』と、軽く頷いて掩体壕を出ていった。
残されたソーシャは、椅子に深く座り直すと、水晶球を通して盗み聞きしていた、何者かに話しかける。
「執政官であるバラクバラーダ様が殺された今、カラド地方攻略の時計の針が進んでいます。ムゥハ族の忠誠を試すなら、同族の冒険者を引渡すかが、今後の試金石になるでしょう……ええ、冒険者の引渡しを拒んだとろこで、ムゥハ族は人々から裏切り者の誹りを免れない。ふふふ、既に魔王軍の地下要塞が完成しているのだから、卑しいムゥハ族との関係を切る潮時なのですよ」
東堂進がアラビアン・ナイトの世界と称したオアシスの集落ムゥハは、魔王軍の作り上げた偽りの楽園だった。
◇◆◇
俺はレベルアップについて、判定魔法を使うノルティに相談するために、ムゥハ外縁部の湖畔にある冒険者ギルドの派出所になっている掩体壕に向かっている。
ドーム型の掩体壕は、どれも似たような造りなので、どこが冒険者ギルドなのか、見つけあぐねていた。
「そろそろ日が暮れるし、ノルティの家を訪ねた方が良さそうだ」
ノルティはムゥハ族の酋長の娘なのだから、彼女の自宅を探す方が、冒険者ギルドの掩体壕を見つけるより早そうだ。
そう思った矢先、集落の中心部に向かうノルティの後ろ姿を発見した。
「ススムさん、こんなところでどうかしたのですか?」
俺が呼び止めると、ノルティは思い詰めた表情で振り返る。
ノルティからムゥハに足留めしておいて、こんなところでどうしたとは、ずいぶんな言い草だと思った。
「レベルアップのことで、少し相談に乗ってほしい」
「レベルアップ?」
「サンドキングから吸収した魔力で能力限界を超えているのだが、どれくらいの項目がレベルアップできるのか解らない。ノルティの判定魔法で魔力吸収量を把握しながら、効率良くレベルアップしたい」
「私もススムさんに……。今は判定魔法を投影する水晶がないので、我が家にご招待します」
ノルティは一瞬、言葉を詰まらせてから自宅に誘ってきた。
彼女にも、俺に要件があるらしい。
東堂進は、ムゥハでもトラブルに巻き込まれそう……
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