エピローグ 前編
ハムナ王国軍10万は、旧サザーランド王国内を進軍する。
既に主要な都市は陥落し、スクリット城を残すだけとなっていた。
最後の軍議が終わり、テント内の自室で眠ろうとしたが、昂る気持ちを抑えられず、結局朝を迎えようとしていた。
「やっと...やっとなのね」
一人、外に出る。
朝靄の中、大きく背伸びをすると強張った身体が軋んだ。
「お母様...お父様」
目を瞑ると脳裏に10年前の光景が甦った。
『ユーラシア、起きなさい』
『...お父様は?』
母の声に目覚めると、そこに父の姿は無かった。
『行ったみたい...』
母は静かに呟いた。
『行った?まさか?』
『私達を逃がす為に、全くあの人は...』
『そんな!』
慌てて身体を起こそうとする。
全身を襲う激しい激痛、無様にも私は踞ってしまう。
『ユーラシア...』
不甲斐ない私を見つめる母、申し訳なさに胸が張り裂けそうだった。
『お父様を助けて下さい!』
『もう間に合わない...長く眠り過ぎました...』
力無く項垂れる母、いつも強気な姿と別人、
『馬を、お母様早くお父様の元に!』
『そんな事はしたら貴女はどうなるの!』
私の言葉に母は叫んだ。
『私は戦姫マリアンヌの娘です』
『でも...』
母は呻いた。
馬を使ったら私は一人取り残されてしまう。
敵兵に捕まったら最後、嬲られ殺されてしまうだろう、覚悟はしていた。
傍らに置かれた母の剣が目に入る。
『うっ!』
剣を抜き、私は自分の頬を切り裂いた。
『何を!?』
『襲う価値も無い女に見せるのです、既に乱暴され、打ち捨てられた女に』
『ユーラシア、貴女は...』
私の頬を押さえながら母は呟く。
顔の傷なんかどうでも良い、母を心置き無く父の元に行かせたかった。
『分かりました』
母は私の目を見つめ顔を上げた。
いつもの母の顔、もう迷いは消えている。
『覚悟は良いですね?』
『はい』
母は私の服を切り裂き、頬から流れる血を身体中に塗りたくった。
胸、太もも、至る所に。
『敵に見つかれば発狂した振りをなさい、奴等も狂人を抱こうとは思いますまい』
無言で頷いた。
『もし貴女が姉上と合流出来たら直ぐに軍を引き上げる様に進言を』
『引き上げを?』
『今アヌラと戦っては駄目です、奴等は悪のサザーランド王国を倒す大義を掲げてます。
姉上に汚名を着せてはなりません』
『...そんな』
『奴等も深入りしてまでハムナ王国とやり合うつもりは無いでしょう。
...それと』
母は大きく息を溜めた。
『私とユーリの身体がどんな辱しめを受けたと聞いても決して取り乱してはいけません。
姉上達にもそう伝えて』
『それは?』
一体どんな事を?
しかし母は一切説明をしなかった。
『愛してますユーラシア』
『....お母様』
母は最後に私を抱き締めた。
あの温もりは一生忘れない。
「ユーラシア」
一人の男性が私の隣にやって来た。
彼の名はランドルフ、ハムナ王国の第一王子。
私より2歳年上の27歳。
彼の母は第一王妃、シルビア様は第二王妃。
「懐かしいか?」
そう聞く彼の視線の先にはスクリット城が見えた。
「...懐かしいとは違うわね。
でも悪夢だけじゃない、父上と会えた最初で最後の記憶だから」
「そうか」
言葉少なく彼は頷く。
余り彼は表情豊かな方じゃない。
彼が私を10年前に救出してくれた。
敵兵に追われ、矢の的にされていた私を。
『ユーラシアすまない!俺が遅くなったばかりに』
瞬く間に敵兵を斬り捨てた彼は馬から飛び降り私を抱き締めた。
『何故私がユーラシアと?』
どうして私がユーラシアと分かったのか不思議だった。
『義母上に似ているからだ、もう喋るな!』
泣きそうな彼を見ながら私は意識を失った。
再び意識を取り戻した時、私の前に居たのはシルビア様だった。
『ユーラシア...』
ベッドに寝かされていた私にシルビア様は泣き崩れた。
(ああ、お母様に似てる)
シルビア様に母の面影を感じた。
『母からの言伝てを...』
気力を振り絞り、母の言葉をシルビア様に伝えた。
『...そう、あの子らしいわ』
シルビア様は静かに呟く。
『義母上、いけません一刻も早く仇を!』
ランドルフが叫ぶ。
『なりません、マリアンヌの言う通りです。
今は兵を退きましょう』
『しかし!』
2人のやり取りを奥で見ていた壮年の男性が私の方に静かな足取りでやって来た。
『ハムナ王国国王、ラムセルー世だ。
マリアンヌ殿の言伝て、確かに受け取った』
『父上!!』
尚もランドルフが叫んだ。
『お前は分からんのか!
本当に行きたいのはシルビアとユーラシアなのだぞ!!』
『...すみません』
国王陛下の言葉にランドルフは項垂れる。
『シルビア、ユーラシア、今は耐えよ。
必ずこの仇は討たせよう』
『『はい』』
国王の言葉に私とシルビア様は頷いた。
ハムナ王国に着いた私はシルビア様に養女として引き取られ(素性は隠した)10年が過ぎた。
その間、沢山の事があった。
サザーランド王国は滅び、生き残ったサザーランド貴族はアヌラ王国の助けで新しく神聖サザーランド王国を立ち上げた。
中身はアヌラ王国の傀儡、実権は全て握られ結局内乱を煽動した旧貴族や国民は以前と変わらぬ、いや以前より酷い重税を課せられただけだった。
そしてハムナ王国はアヌラ王国に対し賠償とシルビア様の身柄を引き渡せと要求された。
一体何を賠償するのだ?
ハムナ王国はアヌラ王国に対して一度も矛を交えなかったのに。
もちろん国王は拒否した。
シルビア様に対しても身柄を引き渡す事は無かった。
その後、何度も同様の要求をしてきたが、その内アヌラ王国は何も言って来なくなった。
新しく立ち上げた神聖サザーランド王国内で内乱が相次いだのが原因だった。
母と父に対して行った辱しめも聞いた。
それを聞いた時、怒りと悲しみに自殺を考えた。
もしランドルフが居なかったら私は死んでいただろう。
彼は私から一時も目を離さず見張ってくれた。
「そろそろ戻るか」
「ええ」
私達はテントに向かい歩き始めた、