長編小説「昭和」番外編「ゆかの初恋」
長編小説「昭和」の番外編です。
ブロクに掲載したもので
小話の集まりです。
ゆかが生まれたのは、
江戸時代も終わり頃でした。
京都では
勤王派と佐幕派に別れて
争ってた頃ですが
今津の村では
「十年一日が如く」
変わらぬ日々が続いていました。
貧しい水飲み百姓の三女として生まれてきました。
江戸時代は不動の時代です。
変わらないのが一番良い時代なんです。
だから
水飲み百姓の子供は
一生水飲み百姓です。
それどころか
三女となれば
一生結婚できないことも多かった時代です。
もの心がついた
数えで6歳(満年齢で5歳)になった春には
ゆかは近所の蔵元の子守を始めました。
世話する近所の人が
仕事を言ってきたのですが
ゆかは何の疑問もなく
勤め始めました。
兄も姉も働いていたからです。
それと同時に
近所の
寺子屋にも
通いました。
皆様もご存知のように
江戸時代の識字率は
世界一で
6割以上に人が
字が読めたのです。
字が読めることは当然で
読めない人は
結婚もできないし
生きていくことも困難な時代です。
ゆかは
利発で
物覚えもよく
その上
仕事の子守も
満足にできました。
ゆかは
几帳面に子守の仕事をしていました。
でも赤ん坊は
徐々に大きくなり
重くなり
6歳の小柄な女の子にとっては
あまりにも重たくなってしまいました。
それを見た
大旦那様は
ちょっと不安になってみていましたが
やめさすのも
けなげに
ゆかが働いているので
躊躇していました。
その頃
大奥様が
今で言う認知症の
ごく初期の段階になってしまって
独りで置いておくには
心配でした。
それで
よく気がつく
ゆかにみさすことにしました。
大旦那様がいない時だけ
大奥様を見ていると約束でした。
ゆかは言われたとおり
大奥様の部屋の片隅で
正座して
見ていました。
最初は
大奥様は
別にゆかを意識すること無しに
庭を見ていましたが、
そのうち ゆかに
いろいろと話しかけてきました。
名前とか住んでいる場所とか
お父さんやお母さんの事とか
仕事とか何やかんやと
何度も聞いてきました。
ゆかは
何度も同じ答えを
丁寧に答えました。
それが仕事だと思っていたのです。
大旦那様が帰ってきたので
帰ろうとすると
大奥様は
「帰らなくても良いのでは」
と言って引き留めました。
それで
ゆかは
暗くなるまで
家にいることになりました。
夜遅くなって
小さい女の子を
独りで村はずれの
家に帰すのは
危険なので
大旦那様は
誰か送っていくようにと
女中頭に言いつけました。
女中頭は一番下の
丁稚に
ゆかを送っていくように
言いつけました。
その丁稚は
公平と言って
丹波篠山から
父親と伴に
杜氏としてやってきていたのです。
公平は
その日は
新月だったので
提灯を貸してもらい
ゆかの家まで
送っていきました。
途中何も話さずに
静かな
夜道を
無口に
ゆかの後をついていきました。
ゆかは
最初は何も分かりませんでした。
家の前まで着くと
ゆかは
公平に
「ありがとう」と言いました。
提灯の明かりで
公平の顔が
赤く見えていました。
公平も
ゆかの顔を
薄明かりで見ていたのです。
公平は
ちらっと
ゆかを見て
軽く会釈して
帰って行きました。
この日から
春前に
公平が
丹波に帰るまで
同じように遅くなって
公平に送られました。
大奥様や
大旦那様とは
ゆかは
本当に仲良くなって
いろんな事を教えてもらうようになります。
3年目になると
一通り字を覚え
寺子屋も卒業しました。
当時の字は
行書体が主ですの
現代の字とは全く違うもので
そのような字を
少しの間で
会得したゆかは
相当利発だったのです。
そんなゆかに
ふたりは
我が子のように
教えたのです。
読み書きそろばんだけでなく
商売の仕方や
生き方なども教えました。
夏がすき
秋が終わると
また公平が
今津にやってきました。
そして
公平に家まで送ってもらう季節になったのです。
でもふたりで家まで帰る道
何も
話はしませんでした。
寡黙なのが
この時代の
基本です。
しかし
ゆかは
公平を
いつしか意識していました。
きりっとしまったその口元は
いかにも
利発そうで
優秀なように
ゆかには思えたのです。
いつも無口な公平の
一面を見た
ゆかは
少し驚きました。
ゆかの前では流ちょうに
話すからです。
よく話すのは
「ゆかは
自分に気があるのではないか」と
思ったのは当然です。
ゆかは
そう思うと
胸が熱くなってしまいました。
それから
数ヶ月
同じように
送ってもらう
夜道で
話が弾みました。
その日にあったことや
何でもないことなんかを
話しました。
そして
決意したその日に
ゆかは
言ったのです。
今で言う「告白」をしたのです。
その日は新月の夜で
漆黒の暗闇で
耳が鳴るような静けさの中で
提灯の明かりが
ほのかに光る夜でした。
高鳴る胸を
感じながら
ゆかは
「わたし、
あなたが昔から好きだったんです」
と小声で話しました。
それを聞いた
公平は
同じように耳に自分の鼓動が聞こえるほど
高鳴りました。
公平は
しばらく無口になって
歩きました。
そして
「ゆかさん。
私もです。」
と答えました。
それから話も無しに
ゆかの家まで
歩きました。
家に着いた時
ゆかは
「わたしが
二十歳(数えですので満なら18歳です)になったら
結婚してください」と
言って
走って家の中に
走り込みました。
公平はしばらくの間
家の前に立っていました。
ゆかは
親や世間の人に聞いていたのです。
20歳までに結婚させられることを
恐れていたのです。
ゆかはズーと
何年も前から
と言うか
初めて
7歳の時にあった時から
公平に
好意を持っていたのです。
ズーと持っていた
好意を
忘れること無しに
結婚すれば
きっと不幸になると
考えたのです。
ゆかは利発です。
公平とゆか自身の
結婚は、
許されると
推測していたのです。
公平をして
杜氏頭に頼み込み
大旦那様に頼めば
きっと公平と
結婚できると
考えたのです。
当時の結婚は
ふたりの総意より
親や他の人の許しの元にあるからです。
特に親を納得させるには
上の人からの話であることが
必要だと
ゆかは考えたのです。
こう考えると
ゆかは策士のように
思われるかもしれませんが
そうしないと
好きな人と結婚できないのです。
告白した翌日
公平に
そのことを話しました。
それを聞いた公平は
驚くともに
できると確信しました。
公平は
まず自分の親に話をするために
丹波に帰ることにしました。
でも今は清酒造りの最盛期で
抜けられなかったので
春になったら帰るという
予定にしました。
しかしそこまで
ふたりに幸せが
やってくることに
なったのですが
思いも掛けない悲劇が
公平に訪れるのです。
やっと春になったので
公平は
丹波の家に帰ります。
3月末のある日のことです。
その日はもうすぐ春なのに
寒い日でした。
まだ明け切らぬ朝に
出立しました。
宝塚から
有馬道を
行きます。
武田尾の付近は
峠は高く
道は険しくなります。
山の天気は急に変わって
一転にわかに曇って
雨が降っています。
蓑の用意がなかった公平は
ずぶ濡れになってしまいます。
有馬口を超えて
道は武庫川沿いを上ります。
三田を超え
篠山に着いた時には
雨は上がっていましたが
日はもう西に傾いていました。
篠山から道を東にとって
家が見えてきた頃には
日はとっぷり暮れて
真っ暗になっていました。
公平は
家に帰ると
父母に挨拶して
その日食事をすると
寝てしまいました。
翌朝朝目覚めた公平は
熱っぽく感じましたが
のしろ作りで忙しい父母を見ていると
手伝いたくなって
無理をして
田んぼに行きました。
夕方になると
公平は
もう働けないくらい高熱です。
家族のものは
心配して
家連れて帰られ
寝かされました。
それから
7日後
何も言わずに
亡くなってしまいました。
ゆかとの結婚話も
親に話さず
この世を去ったのです。
今なら良い薬があって
助かっていた病気かもしれません。
一方ゆかは
今津で待ちました。
でもいくら待っても
公平は帰ってきません。
聞いても分からないというばかりで
20日目の日になって
ゆかは
行こうとしたのです。
待ちきれなくて
行こうとしたのです。
当時としてはかなり
大胆です。
男の足でも
片道一日も要するこの旅に出かけるためには
仕事を休まなければならないので
そんな休暇がゆかに与えられることはないので
行くと同時に仕事を辞めなければならないのです。
行こうと決めた日の
前日に
知らせが来たのです。
「公平病死」の
知らせは
ゆかを
落胆させると伴に
涙も出ないくらい悲しくなったのです。
こうして
ゆかの初恋は終わってしまいました。
公平とゆかの恋は
ふたりしか知りません。
もちろんゆかと公平です。
ゆかは
初恋のこの話を
誰にも話しはしませんでした。
その1年後
同じ村の
幼なじみの
精兵衛と結婚することになるのです。
でもいつしか
ゆかは
精兵衛に
公平の面影を写すのです。
(この番外編は終わりです。
この話は全くのフィクションです。
正月なのに
公平の死で物語が終わって申し訳ございません。)