裁判官と書記官より(おまけのパラリーガル)
梓の知らない所での会話。
【裁判官より】
(【2】における東京家裁の廊下での内緒話)
東京家庭裁判所、法廷141から廊下に出る。
今日の裁判は後味が悪かった。
遺産分割調停で兄弟が対立。結局、そもそも遺言書が有効かどうかの訴訟となった案件だった。泥沼化した相続争いで兄も弟も家庭が崩壊している。金は簡単に人間関係を変えてしまう。たとえ少額であっても。
合同庁舎十四階の廊下の窓から霞ヶ関の高層ビル群をしばらく見て、深呼吸して気持ちを切り換える。切換え大事。これ大事。
判事補から判事になり、仙台地裁から東京家裁へ転勤してきた。地方裁判所と家庭裁判所の違いにはじめは戸惑ったが、ようやく慣れてきた。裁判官室に戻って早くこの黒い法服を脱ごう。そう思いながら廊下を歩いていると、どう見ても「損害賠償請求の相手方ヤクザだな」と思うような男と遭遇した。お前は柱か!と言いたくなる長身。かといってヒョロヒョロじゃないから高そうなスーツも着こなす格好つけ野郎。こんな奴、俺の記憶の中ではあいつしかいない。
俺、森林樹の司法修習同期、弁護士・桐木敬也。
桐木の隣に可愛い女の子を見つけたので声を掛けたら、依頼人だと言う。企業買収や事業承継の法務相談を専門にして、民事・刑事も扱わない桐木が家事事件の代理人?
分野が違いすぎて、どう考えてもこのこと自体が大事件だったので、廊下の隅で直接聞いた。
「お前が家事ってどういうことだよ」
「成行きで」
「案件は?」
「調停離婚。旦那が不倫して子供が出来た。慰謝料請求する」
あの可愛い子、人妻?しかも旦那が不倫?馬鹿じゃねぇのその旦那。
「証拠は?」
「スマホの履歴。カレンダーに書き込んでた出張日程と交通系ICカードのデータとの相違。あと相手方との会話の録音。全部べらべら喋ってくれた」
「なんじゃそりゃ。そんだけありゃ、弁護士出る必要ねーだろ」
調停委員にもわかりやすい証拠があれば、当事者だけで調停に出るのが一般的。何故かと言うと簡単で、弁護士頼むと金がかかるから。よっぽど気弱で思ったことを口に出せないタイプなのか?……そうは見えないが。
「だから成行き」
含むような言い方が気になった。とりあえず、要点を端的に聞く。
「ふーん、好きなの?」
「はあ?!」
はい、動揺した。ビンゴだね。わかりやすいねぇ。
「惚れてんの?あの子に?」
「うっせーな。そうだよ」
外見はアレだが、根が素直な男だから、裁判官・検察官なんかの公務員は向いてない奴だとつくづく思う。
「うん、じゃあ頑張れ。お前が自分から動いてるの初めて見るわ。完勝しろよ」
その「成行き」とやらを詳しく聞く必要がありそうなので、飲みに行く約束をした。楽しくなってきたー!オラワクワクしてきたぞー!!!
【書記官より】
(【3】における東京家裁の調停室での会話)
私は、裁判所書記官、木島彩乃と申します。
裁判所事務官の公務員試験を受け、採用後、規定の研修を受けることで書記官になることができます。私は書記官になりたてで、まだ緊張しておりました。
家庭裁判所で行われる調停には通常、家事調停官、調停委員二名(男女一名ずつ)と書記官がつきます。
今日の案件は調停離婚。申立人は相手方二名に慰謝料請求をしております。申立人は書類には二九歳とありましたが、それより若く見えました。可愛らしい容姿のせいでしょうか。そして、異様に目立つ代理人を一人、連れておりました。
申立人との話が終わり、家事調停官が席を外した後で女性の調停委員・村岡さんが言いました。
「桐木さんのお子さんって、弁護士さんになってたんですね」
最高裁の桐木判事は有名人です。
俳優さんかと思うほど格好良いのです。それでいて仕事には常に実直。事務処理も早く、裁判官からだけでなく、事務官・書記官からも尊敬されています。実は私、桐木判事の大ファンなのです。
そこで、つい口をはさんでしまいました。
「私、息子さんの噂、聞いたことあります。東大在学中に予備試験・司法試験に合格して、税理士と公認会計士の資格も持ってるって」
それを聞いた調停委員・若松さんが足を組み替えながら言いました。ややお太り気味なので、椅子の背もたれがギシギシ鳴っております。
「はぁ、そりゃ優秀だな」
鼻につく、と言いたげな口調でした。
「でも、お父様とは反りが合わないって話ですよ」
私がそう言うと、若松さんが納得したような顔をして「あんなのが自分の息子だったら、確かに一悶着ありそうだ」と呟いておられます。結構失礼です。なので、つい庇うような情報を付け加えました。
「二五歳で事務所持ったそうです」
「へえ、すごいね」
今度は若松さんも素直に感嘆しておられました。法曹界に天才と呼ばれる人はたくさんいますが、その若さで事務所を持ち、かつ維持していくのは並大抵の努力で出来ることではありません。
村岡さんが皆が思っていた疑問を口に出してくれました。
「そんな人がわざわざ調停に来るって不思議ね?」
「……知り合いなんじゃないのかい?」
若松さんがそう答え、私も同意の意味でうなずきました。
申し訳ないのですが、有責配偶者の夫には勝ち目があるとは思えません。提出された書類は、感情は一切交えず、事実のみで構成された非の打ち所の無いものでした。これに、申立人の控えめな人柄を含めても、酌量されるべきは申立人のように思われます。勿論、これから相手方の話も聞かなければならないので、これはあくまでも私見なのですが。
どうも、申立人側は、調停をこの一回で終わらせるつもりのようです。離婚調停は一回で決まらないのがほとんどです。―――ちなみに、調停中に復縁、再構築するご夫婦も珍しくありません。今回のケースは無理でしょうが―――。
「不倫相手の女の人、納得するかしら……妊娠中でしょ?大丈夫かしら」
「それぞれに慰謝料三百万円ってのは、相場から言っても高額だからなあ。簡単に納得はしないだろ」
調停委員さんの予想を上回って、この調停は荒れてしまいますが、勿論この時はまだ誰もわかってはおりませんでした。
【おまけの法律事務職員】
(【3】における調停休憩中の電話)
桐木先生から着信があったので、僕は吉報だと思って元気に電話に出た。でも、桐木先生は小さな声でまず僕に謝ってきた。
『榊、すまん、長引きそうなんだ。俺の予想が甘かった。不倫相手がとんでもない馬鹿女で、自分が慰謝料もらえると思い込んでる』
揉めるのは想定内だけど、金額についてだろうと思ってたので僕もびっくりした。林原さんは「もし相手が誠心誠意謝ってくれたら減額してもいい」とも言ってたのに。これじゃ減額はないな。
「うわ……今回で終わりそうにないですか?」
『面倒だから終わらせたい』
「ですよね。……じゃあ、十七のお約束の件、河村先生と高木先生にお願いしときますね」
『あと、明日朝イチのアポの資料……』
「あ、それ準備できてます。大丈夫です」
こう見えて、僕、優秀なので。
『……ありがとう……榊……』
殊勝にお礼を言う先生に、僕は笑いながら言った。
「仕方ないですよ。男なら、惚れた女はとことん助けないと」
『お、おう』
「今日で終わらせてあげてくださいね。僕も応援してるんで。不倫野郎死すべし」
こう見えて、僕、愛妻家なので!!
【おまけの法律事務職員2】
(【3】における森林判事への電話)
―――榊さんも行きますよね?―――
それを聞いた僕はあわてて先輩に電話をかけた。
「森林先輩、お疲れ様です!」
『おう、お疲れー。どした?』
電話の向こうの先輩は、かなりゆるーい調子だったので、多分仕事終わりで気を抜いた状態だろうと予測した。
「あの、桐木先生の例の……」
『どうなった?どうなった?』
センパイ、身を乗り出してるんだろうな……という食い付きで例の件の結果を聞いてくる。
「何故か打ち上げと称して僕も参加することになっちゃって」
『えええええ、二人で行かせるはずだろー!』
そう。なんとか二人きりになってくれないかと、画策していたのだ。昨日の晩、僕と先輩と先生の三人で飲んで、あれだけヨイショヨイショと煽りたてたのに。
『桐木、ほんとヘタレだな』
「ぜんっぜん、これっぽっちも、一ミリも進展しないんですよ、あの二人」
すると森林先輩が急に常識的な事を言い出した。
『あーうん、まあ、離婚云々の時、当事者はいっぱいいっぱいだからなぁ』
ここで言う?いま言う?おま言う?
「ちょっと家裁の判事の力、見せてくださいよ!」
『それ関係ねーだろ』
「森林先輩、お願いしまっす。店は適当に僕が選ぶことになったんで、今すぐ来てくださいね!」
『俺、殺されない?大丈夫?』
「骨は拾いますのでよろしくお願いします!」
『死ぬ前提かよ。んじゃ覚悟して行くわ』
先輩がそう言ったので、僕は嬉々として店の場所を伝えた。
おしまい
お読みくださり、ありがとうございました!
異世界物の息抜きに、と書き始めた短編のはずが、続きも書いてしまいました。ただ、どうしても……なので、いっそMN向きにしてしまえ、と書いちゃったので、18歳以上の方はよろしければMNへレッツゴーしてやってください……。