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9 宝物は


 翌日、まだ昨晩の動揺が残るサラが寝不足の頭を軽く振ってアルヴィンのもとへ訪れると、部屋の主は既に起きて待っていた。子守を始めてから初めてのことに、サラは少なからず驚く。

 カーテンを開けるサラの姿を認めるなり、寝台から飛び降りて小走りに近寄ってくるのも初めてだ。


「おはようございます、アルヴィン様。昨日はお休みが遅くなりましたから、起きていらっしゃるとは思いませんでした」

「びっくりした?」

「ええ、とっても」


 サラの返事に満足して、はにかんだ笑顔を見せる。はっきりとした声と明るい日の下で見るその表情に、サラの表情も自然とほころんだ。

 と、アルヴィンは急にサラの袖口をぎゅっと掴んで、苦しそうに眉を寄せる。


「アルヴィン様?」

「……おねがいがあるの」


 思いつめた様子の「おねがい」を、サラは一言も聞き漏らすまいと耳を傾けた。





 ――サラとクレイグに、一緒に庭に来て欲しい。

 アルヴィンの願いは午前中すぐに叶えられた。

 昨夜と同じようにしっかりと外套を着込み、なぜかアルヴィンは、球根を植える時に使うような小さいシャベルも持って三人で池へと向かって歩く。


 昨夜のこともあって、サラはクレイグの顔をまともに見られなかったが、二人の間には常にアルヴィンがおり、昨夜の返事を聞かれはしなかった……とはいえ、クレイグからの視線は常に感じたが。


「さあ着いたぞ。アルヴィン……?」


 二人を池の端に置いて、アルヴィンは凍った水面にためらいもせず足を乗せる。そしてそのまま、池の中心にある中島のほうへと靴を滑らせながら進み始めた。


「ちょっと待て、アルヴィン。俺も行く」

「あ、あの、私も……きゃっ」


 既に氷は厚く張り、割れる心配はない。夏に泳ぐこの池では、冬になると滑って遊ぶのが子どもの頃の恒例だった。

 それは去年までのアルヴィンも同じで、慣れた様子ですいすいと先に進んでいく。

 一方、馬には乗れても氷遊びの経験はないサラは、数歩踏み出したはいいが早速転びそうになってクレイグに受け止められた。


「掴まれ」

「で、ですが」

「いいから」


 借りる腕を辞退したところで進めない。行くにしろ戻るにしろ、一人では無理なのはどうみても明らかだ。

 気まずい思いを今だけはないことにして、サラは礼を言うとクレイグのがっしりとした腕にしがみつく。そうすると、氷の上だと言うのに危なげのない安定感で驚くほど楽に進むことができた。

 二人が遅れて中島に到着したとき、アルヴィンは一本の柳の下を、薄く積もった雪を除けて小さなシャベルで掘っているところだった。


「アルヴィン、代わるか?」

「だい、じょうぶっ、ぼくがするの」


 クレイグが掘れば一瞬だったかもしれない。

 だが、真剣な表情で一心に凍った地面にシャベルを突き立てる甥を、クレイグは黙って見守ることにした。

 やがて、カツリと硬質な音がして、アルヴィンの動きが止まる。


「……あった……」


 信じられないような、見つけてほっとしているような。息を弾ませながら、そんな複雑な表情でアルヴィンはシャベルを置いた。

 地面に膝をつき、泣きそうに潤む瞳で両手を穴の中へと入れる。

 二人の前に慎重な手つきで取り出したのは、宝箱を模した小さな箱だった。


「それは?」

「お父さまが、言ったんだ。たからものが埋まっているから、氷がはったら、いっしょにさがしにこようって」


 そう言って、膝の上に置いた箱を開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。手袋を脱ぎ捨てたアルヴィンが必死に開けようとするのを見て、クレイグは思い出した。


 ――兄が使っていた執務机。その引き出しにしまわれていた、屋敷のどこの扉にも合わない細い鍵。


「アルヴィン。もしかしたら――」


 涙の目を擦って土が付いた頬を赤くしたアルヴィンと、慣れない氷に足を取られるサラを両腕に支えて、大急ぎで池を渡り屋敷へと戻ったのだった。


 外套を脱ぐ時間も惜しんで鍵を合わせてみると、それはまさしくぴたりと嵌った。

 震える手で回すとカチリと音を立て、アルヴィンは息を止めて蓋を持ち上げる。


 綿と薄紙に包まれて入っていたのは――生まれたばかりの赤子が着ける小さいミトン、手編みの靴下。それと、折り畳んだ数枚の紙。守り袋。


「手紙……違うな、似顔絵か」

 

 そっと開いた紙を後ろから覗き込むと、数本の毛が生えたジャガイモのようなものに、目鼻とおぼしき点がついている。ほかの紙も似たようなものだった。

 紙の裏側には几帳面な文字で日付などが記されていた。


「兄さんの字だ。『【父の顔】我が息子、アルヴィンは素晴らしい画家にさえなれるだろう』……じゃあ、こっちの顔は義姉さんか」

「ぼくの、絵?」

「アルヴィン様が初めて描いた、お父様やお母様のお顔ですね」


 守り袋には柔らかな子どもの髪の毛が一房、入れられていた。

「宝物」が何なのか、誰がどう聞かせるよりも、間違いなく伝わっただろう。


 執務室の床に座り込んだまま、アルヴィンは飽きることなくそれらを見続けていた。





 年が明け、新しい一年が始まった。

 新年の祝賀の宴に参加するために王都へと上ったクレイグは、自邸でルイスの訪問を受けていた。


「せっかくの正装なのに、不機嫌そうな顔してるな」

「知るか」


 洒落者で名の通ったルイスも正装で、ブレントモア伯爵家のタウンハウスは久し振りに華やかな雰囲気に包まれている。

 軍服ではない貴族服での登城は、爵位の相続承認以来。いそいそと支度を揃えたトマスや侍従には悪いが、正直着慣れずに落ち着かない気分だ。

 上機嫌と言えない理由はもう一つある。


「そんなに二人のいない毎日はつまらなかったか?」

「……連れていった本人がそれを言うか」

「やあ、怖いねえ」


 揶揄うように尋ねるルイスを一睨みするが、大げさに怯えてみせる旧友にため息しか出ない。


 あの日以来、アルヴィンは目に見えて元気を取り戻していった。

 ジェフとも改めて話をし、轍に気付けなかった彼もまた苦しんでいたのだと知ってから、ほかの使用人達との関係もほぼ元通りとなった。

 クレイグにもかなり親しんだが、一番懐いているのはサラで変わらない。今も時折、悪い夢を見るのか夜中に起きることもあるが、以前のように歩き回ることはほぼなくなった。

 この分なら、新年の祝賀会に三人で王都へ行けそうだとクレイグは胸をなでおろしていたのだが。


「仕方ないじゃないか。アークライト男爵家からぜひに、と言われれば」


 紹介者のルイスを通して、一度サラに戻るようにと連絡があった。ブレントモアのほうが家格は上とはいえ、サラからプロポーズの返事を得ていないクレイグは単なる雇用主でしかない。

 しかもアルヴィンはかなり落ち着いて、子守りが常時必要な状態ではないとなれば、断ることはできなかった。


 予想外だったのは、一緒に、と誘われてアルヴィンも喜んでついて行ったことだ。

 二人のいなくなった屋敷は火が消えたように静かで寒々しく、使用人達でさえその違和感に戸惑うほどだった。


「まあ、ほら。それでも久しぶりに会えるんだし、機嫌直せって」

「別に怒っていないだろうが」

「その顔と声でか」

「生まれつきだ」


 馬車の中でも軽口をぶつけ合う。不機嫌そうにしながらも以前みたいに黙り込まないのは、ルイスを拒否していない証拠であり、以前とは変わった点でもある。

 これもサラ・アークライトという人物による影響の一つなのだろう。


「予想以上だよなあ……」

「何がだ?」

「あ、着いたな」


 わざとらしく話題を逸らされたが、構うのも面倒になったクレイグは黙って馬車を降りる。


「そういえば、ドレスは贈ったんだよな」

「ああ」


 手広く商売をしているルイスの叔母を通して注文したドレスが仕立て上がったのは、サラ達が男爵家に行ってからだった。

 サイズなどの細かい調整は、アークライト家の奥方達が上手く取り計ってくれたようだ。サラからの礼状も届いたが、クレイグはまだ着たところを見ていない。

 果たして今日、贈ったドレスを身につけているだろうか。柄にもなく緊張している自分に気付いてクレイグは息を吐く。


「……まいったな」

「なに?」

「いや。行くぞ、ほら」


 拝謁より、初めて伯爵家当主として登城することよりも、気がかりは別のこと。

 以前は社交の全てにおいてどうでもいいと思っていたのだから比べるものでもないが――変わりように我ながら驚き、そんな自分も悪くないと思っていることにまた、何とも言えないむず痒さを感じたのだった。





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