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7 月のかけらは

 その晩の就寝の頃。いつものようにアルヴィンの部屋へ行こうと廊下に出ると、ちょうど執事のトマスがこちらに向かってくるところだった。


「クレイグ様、よいところに」

「どうした、トマス」

「アルヴィン様とサラ様は、庭にいらっしゃいます」


 トマスはクレイグが思ってもみなかったことを告げた。普段なら寝台に入り、そろそろ明かりも消そうかという時間のことである。

 しかし執事の表情はあくまでにこやかだった。


「庭? こんな時間にか」

「はい。サラ様が本を読み聞かせていらしたのですが、その途中でアルヴィン様ご本人が、どうしても池に行きたいと」


 ちょうど池、というか湖が舞台の話だったそうだ。

 サラの袖を引き、窓の外と童話の本の挿絵を指して行きたいと伝えたのだそうです、と執事は嬉しそうに説明する。

 アルヴィンからの意思表示を歓迎しているのがよく分かる。サラもそれは同様で、だからこそ、この時間の外出にも頷いたのだろう。


 ――それにしても、池か。

 気がかりか、こだわりがあるのは確かだと、クレイグは見えない甥の心を推し量る。

 庭の池にはここ数日でもうすっかり厚い氷が張っている。落ちる心配はなくなったが、長い時間いられるような気温でもない。


「キッチンに温かい飲み物を用意しておくように伝えてあります。しっかりと外套もお召しになって先ほど向かわれました。それをご報告しようとこちらに」

「分かった。二人には誰かついていったのだろうな」


 頷く執事に背を向けて一度部屋へ戻り、自分も厚い上着を羽織って外に出る。

 墨を流したような夜空には星が瞬き、新月へと向かう細い月が南西の空低くに見えていた。

 田舎領地とはいえ、それなりに警備も配しているし使用人も一緒だとトマスからも聞いている。心配することはないはずなのだが、クレイグの歩みは焦ったように速まり、吐き出す白い息は消える前に足されていく。

 冷えた夜の空気に霜が降り始めた土が、サクサクと足下で音を立てた。


 夜間にアルヴィンが外に出るようになって庭の照明は増やされたが、歩くのに差し支えないと言える程度で煌々と明るいものではない。

 やがて凍った池の近くまで来る頃には暗がりにも目が慣れ、クレイグの息も少し上がっていた。

 池の周りでは凍って萎れた草が、多めに配したランタンに照らされている。

 そのオレンジ色の光は探した二人も浮き上がらせており、その後姿にクレイグは息を呑んだ。


 自分を見上げるアルヴィンの隣で、サラは両方の腕を空へと伸ばしていた。下がった袖からは、裸の肘から指先までが見える。

 星空を背景にして闇に浮かび上がる白く細い腕は、ちょうど低く浮かぶ月を掴もうとしているようで――きらりと光ったなにかが、指の先に見える。

 それを掴んで、サラは腕を下げた。


「どうした、二人とも?」

「クレイグ様」


 掴んだなにかを包み隠し、重ねた両の手をアルヴィンの前に出したまま、サラはクレイグのほうに顔だけ向けて微笑んだ。


「ええ、今、月のかけらを捕まえたのです」

「月のかけら?」

「はい。アルヴィン様、さっきの本のとおりでしょう? 月のかけらは空から落ちてくるときに氷になって、ほら」


 サラはすぐにアルヴィンに向き直ると本を読むように語りつつ、組んだ手をゆっくりと開いていく。

 さっきから目を丸くしているアルヴィンの口から、思わずといったように声がこぼれた。


「……あ、」


 言葉を発したアルヴィンにクレイグは衝撃を受けたが、サラは驚き一つ顔に出さずにその「月のかけら」をつまみ上げた。

 親指と人差し指に挟まれた二センチほどの細く薄い石英のようなそれが、空に翳される。透き通る結晶は星の光を通し、本当に月から零れたかのようにきらりと反射した。


「綺麗でしょう。はい、お口を開けてくださいませ」


 あーん、と言われるがままアルヴィンは口を開くと、サラは舌の上に「かけら」をそっと乗せた。驚いた表情のアルヴィンが、ゆっくりと口を閉じる。

 そして、ころりと「月のかけら」を口の中で転がした。


「……!」

「甘いでしょう?」


 だから一つだけですよ、と人差し指を立てて見せるサラに、アルヴィンは口を押さえながらこくこくと何度も頷いた。


「……飴?」


 小さくぼそりと呟いたクレイグに、サラはウインクをしてみせる。

 アルヴィンには聞こえなかったようで、子どもらしい表情で口の中の甘い「月のかけら」を楽しんでいた。


『さっきの本のとおり』と言うからには、そういった内容のおとぎ話でも読み聞かせていたのだろう。

 童話よりも冒険ものや英雄譚を好んだクレイグには覚えのない物語だが、書庫にある幼児向けの本の中にあったのかもしれない。

 そう思っていると、隣にいたサラが飴を舐め終わったらしいアルヴィンの正面に、す、と屈んだ。


「アルヴィン様。悲しくていいのですよ」


 膝を折り、背の高さを合わせたサラの柔らかい声に、甘さに緩んだ頬がぴくりと強張る。


「誰だって家族や好きな人が亡くなったら悲しいし、寂しいのです。お父様やお母様に会いたいって泣いていいのです」

「……」

「私もそうですし、クレイグ叔父様だって同じですよ」


 サラの言葉を確かめるように、アルヴィンの眼差しがクレイグに刺さる。

 ランタンの光を反射するその瞳を、クレイグはまっすぐに受け止めた。


「……おじさま、も、かなしい?」


 躊躇うように開いた口から少し掠れた言葉が落ちる。

 アルヴィンの、声だ。

 少し掠れて弱々しいが、確かにアルヴィンの声だ。

 立ち上がったサラに代わって、クレイグが甥の前にしゃがんで視線を合わせる。


「ああ。悲しいな」

「つよい、ぐんじんさん、なのに?」

「軍人だって王様だって、悲しい時は悲しいんだ。おかしいことじゃない」

「でも、ぼ……ぼくのせいで、死んじゃったんだ、よ」


 辿々しく絞り出された言葉に、クレイグの胸が抉られる。

 事故に遭った馬車が発見された時、義姉はアルヴィンをしっかりと抱きしめた状態で亡くなっていた。

 意識不明から目覚めた後も動揺が残る幼な子からは警察も深く事情を聞くことはせず、また事故の詳細を説明することもしなかった。

 事故のことを覚えているとも限らなかったし――自分のせいで亡くなった、と考えているとは思わなかった。


「それは違う、アルヴィン」

「で、でも」

「誰かのせいじゃない、事故のせいだ」

「だって、ジェフだって……!」

「ジェフの怪我はもう大分よくなった。馬の世話だって元通りしている」


 まだ疑念の残る声に、クレイグは何度でも繰り返す。

 不幸の全てが誰かのせいで起こるわけではない。ぶつける相手のいない憤りは戦地でも何度も味わった虚しさであり、そして現実だった。


「……おこって……ないの?」

「怒るとしたら、あの見えない轍を崖の近くに作った地面にだな。それと、ちょうど真下にあった岩にも、か」

「……みんなは?」

「当然だ。誰にだって何にだって誓って言える。アルヴィン、お前は悪くない。絶対にだ」


 両親が突然亡くなったショックは大きかった。しかしそれだけではなく、当主を死なせ、同僚に大怪我を負わせた自分のことを、使用人は皆怒って恨んでいるとアルヴィンは思い込んでいた。

 事故は自分のせいで起きたとまで考え、全てから距離を取らざるを得ないほどに己を追い詰めていた。

 ――クレイグも含め、アルヴィンは周囲の全てが怖かった。自分の犯した罪は償えるようなものではないから。


 サラは、外から来た人だった。

 それまで交流がなく初対面のサラだけは、近くにいても怖くなかった。

 サラがクレイグに普通に話すから、叔父との距離も徐々に詰めることができた。


 それに、初めて会った時に掛けられた言葉はアルヴィンの心をなぞるもので、サラになら分かってもらえるような気がしたのだ。


 そのサラが、「叔父様も悲しい」のだと言う。怒ってなどいないと。

 悲しいだけなのだと言う――アルヴィンと同じに。


「アルヴィン……気付いてやれなくて、悪かった」


 自分のせいではないと再度強く断言されて、アルヴィンの瞳から涙が次々とあふれる。

 体の横で固く握りしめられていた小さな両手ごと、クレイグはその細い体をしっかりと抱きしめた。

 アルヴィンは今まで溜め込んでいたものを全部出すように、両親を呼びながら泣き声を上げる。

 凍った池の上を走る冷たい風からも夜の闇からも守るように、クレイグはアルヴィンが泣き止むまでずっと腕の中に抱えていた。




「――っくしゅっ!」


 穏やかな表情でクレイグ達を見守っていたサラがくしゃみを一つした。

 よく見ればアルヴィンはしっかりと着こんでいるが、サラは薄い部屋着の上に外套を羽織っただけのようだ。


「し、失礼を」

「風邪を引く前に戻るぞ」


 無作法を詫びるサラの言葉を遮る勢いで返すと、クレイグはアルヴィンをそのまま片腕で抱き上げる。


「わぁっ?」

「このほうが早い」


 一刻も早く、暖かい室内へ戻る必要があると判断したのだ。

 涙の残る目をぱちくりとさせたアルヴィンだが、高くなった目線でさらに上を見渡し、細い月に視線を止めた。

 サラがやったように自分も両方の腕を伸ばし、何かを捕まえた手をクレイグの口元へと持ってくる。


「んん? あ、ああ」


 ぐいぐいと唇に握りこぶしを当てられて促されるまま口を開けると、ぽい、と入れる真似をする。

 当然、なにも入ってはいないのだが、斜め下からのサラの目が強く訴えていることは、クレイグにも理解できた。


「……甘いな」


 飴を舐めるふりをしてそう言えば、水滴の残る眦を細めたアルヴィンがクレイグの首元にぎゅっと腕を回す。

 その体温と腕にかかる重さを噛みしめながら、屋敷へと戻ったのだった。

 


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