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1 はじまりは

秋月忍様主催企画「夜語り」に大遅刻。

本日より、短期集中連載させていただきます。


小鳩子鈴 2018.12.27



――――――――




 灰色がかった雲が重そうに浮かぶ初冬。

 冷たい霧が立ち込めるブレントモア領主の館は、新しい主人に似合いの武骨さで客を迎えていた。


「もう一度言う。クレイグ、君には無理だ」


 日暮れ前だというのに明かりの灯された応接室で、ソファーに掛けたとたん投げ出された言葉にクレイグ・ブレントモアはその強面を歪める。


「ルイス。今日の昼に来たばかりで、よくもそんな口をきけるな」

「睨んでも脅しても無駄だよ。アルヴィンが君に懐いていないことは、一目見れば明らかじゃないか」


 ルイスと呼ばれた男は、小さく息を吐きながら洒落たタイを軽く緩めた。

 クレイグの拳が固く握られるのを見て、整った顔に浮かべていた苦笑いをすっと引っ込め、身を乗り出して真剣な表情になる。


「ブレントモア伯爵夫妻が亡くなって三ヶ月。弟の君が軍人を辞めて戦地から戻り後を継いで二ヶ月半。その間、もうずっとアルヴィンは喋りも笑いもせず、改善の兆候も見られない。これ以上は君の幼馴染としても、故人の友人としても看過できないよ」

「……医者が言うには、精神的なものだろうと」

「そりゃあね、突然事故に遭って両親は亡くなって。体こそ軽傷で済んだが心の傷は深いだろう。それなのに君って男は、慰めになるどころか怖がらせるばかりじゃないか」


 呆れたように肩をすくめるルイスに、クレイグはますます怒気を強め眉間には深くシワが刻まれた。


「ほらほら、また。子ども相手に笑顔のひとつも向けられないような奴に、親代わりなんて無理なんだって」

「顔は生まれつきだ」

「そういう問題じゃない。ちゃんとした子守を雇うか、でなければ少し早いが寄宿学校に入れるんだね。同年代の子ども達と一緒に暮らすほうが、あの子だって気が紛れるんじゃないか?」


 沈黙の中深く吐かれた息は、二人の目の前に置かれた学校案内の書類の上を滑っていく。口論になると黙り込むのがクレイグだった。大抵は沈黙による威圧感に押されてしまうのだが、さすがに古い付き合いのルイスは負けずに二人して押し黙ったまま、部屋には重い空気が立ち込める。

 と、しばらくしてルイスの口調と雰囲気が柔らかいものへと変わった。


「……ずっと軍にいた君がその地位を辞して、柄にもない領地経営や社交を引き受けたのは、アルヴィンのためだってことは知っているよ。慣れないのによくやっていると思う。でも、肝心のアルヴィンを置いてけぼりにしている」

「俺には責任がある」

「ああ、そうだな」


 クレイグ兄弟の両親は既になく、血縁の年長者としては唯一父の弟――トビアス卿、がいるのだが、病気がちで老齢の自分では領主の任は果たせないと、クレイグが伯爵家を継ぐように取り計られたのだった。

 既に軍で実績を作り足場を固めていたクレイグには青天の霹靂だったが、拒否することは道義的にも心情的にもできなかった。


「でも、今のあの子に必要なのは保護者の義務ではなくて、泣きたい時に抱きしめてくれる温かい腕だ。夜も眠ったまま歩くほど、心を痛めている幼い子なんだよ」


 若い頃から軍に属したクレイグは屈強な体格で、しかも顔面に目立つ傷跡まである。子どもと接したこともほとんどなく、お世辞にも親しみやすいとは言い難い風貌と性格だ。優しげな面差しの亡兄とは少しも似ていない。

 しかもこの数年は戦地にばかりいて、帰国したのは数えるほど。当然、兄一家と満足に会うこともなかった。

 ごく幼い頃にしか会っていないアルヴィンにとっては、ほぼ初対面である。


「それでも……アルヴィンはこの屋敷から出たくないらしい」


 厳めしい風体の叔父に一瞬怯えた表情を見せたものの、その後は感情らしきものは浮かばない。母親譲りのダークグレーの瞳をずっと曇らせたままの甥に、クレイグは距離を取られ続けている。

 それは叔父だけでなく使用人達にも同様だ。最低限の食事や身の回りの世話はかろうじて受け入れるが、時折庭に出るほかはずっと部屋にこもり、ただ時を過ごしている現状だ。

 気晴らしになればと、屋敷の外に連れ出そうとするたびに癇癪を起こし激しく抵抗する。

 親を亡くした五歳の子どもが唯一表す感情は、それのみだった。


「寄宿学校が無理なら、やっぱり子守を雇うんだね」

「……当てがないって知っているだろうが」


 クレイグだって、ただ傍観をしていたわけではない。甥のために子守を探し実際に何人も試したが、難しい状態の子どもに手を焼いて三日と持たず去るのが常だった。

 ブレントモアの領地は広く穏やかなところだが、辺鄙な田舎にある。早々に近場での手は尽きて王都で人材を探してはいるが、有能な子守でわざわざここまで来る奇特な者がいるとは考えにくい。

 現領主であるクレイグは戦地では名の通った軍人だ。しかし雇い主としては怖がられるほうが多い。女性なら余計にだ。


「そう言うだろうと思ったから、アークライト前男爵未亡人に話をつけてきた。喜べ、来週から来てくださるそうだ」

「なに?」

「ジェフリー・アークライト前男爵が去年、天寿を全うされたのはさすがに知っているな」

「ああ。それを機にスタンリーが除隊して国に戻ったからな」


 スタンリーはアークライト男爵家の三男だ。クレイグは直接の上官ではなかったが、長く軍籍にいるため大体の者を覚えていた。その返事にルイスは満足そうに頷く。


「数年前かな、長男に家督を譲った時に前男爵は後添えを取られていてね。この前、彼女が忌中区切りの儀礼で王都を訪れたのを捕まえて口説いてきた」

「は?」

「我がシャノーワー家とアークライト家の長年の付き合いで無理を通した依頼だ。いいか、失礼のないようにしろよ。少なくともその仏頂面と言葉遣いをどうにかしておけ」


 言うだけ言って立ち上がると、ルイスは扉に向かう。


「礼はいらないよ。新兵時代にさんざん世話になった幼馴染への恩返しでもある。君には危ないところを救ってもらったからね」

「いや、ちょっと待てルイス」

「見送り不要。またな」


 軽く上げられた右手が下がる前に、旧友は来た時と同じくらい唐突に去って行く。

 後に残ったクレイグはあっけにとられたまま、扉が閉まると同時にソファーに沈み込んだ。


 テーブルに残されたのは自分達も学んだ寄宿学校の案内、そして一枚の手書き用紙――クレイグはその紙を手に取った。


 それによると、この邸を訪れる手はずになっているのは、サラ・アークライト前男爵未亡人。長いこと男やもめだった男爵が引退を機に再婚したが、すぐに領地へと隠居し、その後は滅多に表には出ず社交から遠ざかっていたそうだ。


 二人の仲は睦まじく、昨年、夫に先立たれ随分と消沈したらしい。

 自分も修道院に入るというのをスタンリー始め義理の息子たちが引き留め、今後は領地で隠居する運びになっていた。

 そこにルイスが子守りの話を持って行ったのだ。

 当初、義母を子守として働かせることに難色を示した息子達だが、喪の期間があけても気落ちしている姿に少しでも張り合いがでるなら、と渋々許可をくれたらしい。


 ……家同士の付き合いだけではなく、ルイスの内務補佐官としての立場をちらつかせたのではないかと、クレイグは勘ぐってしまう。


 自身に子はなく、子育ての経験のない未亡人に、アルヴィンの面倒が見られるかは分からない。

 それでも、修道院の慰問にも通い、子どもの扱いは慣れていると書かれたルイスの文字に安堵を抱いたことは間違いがなかった。


 人生経験の豊かな女性ならば、アルヴィンの現状を変えることはできなくても、祖母のように見守ってくれるのではないか。

 少なくとも、今までここに来た子守のように、拒絶以外に反応のないアルヴィンを持て余し、叱り飛ばしたりするようなことはないだろうと。

 ついでに、自分のような軍人上がりの粗野な男でも、さして気にしないだろうと。


 そこでも繰り返される「くれぐれも粗相のないように」の注意書きにはご丁寧にアンダーラインまで引いてあって、クレイグは苦笑いを零す。

 随分と信用がないようだが、家格は下でも年長者に礼を失する気持ちは無い。

 隣の隊にいたスタンリーとは直接の面識こそないが、貴族にしては珍しく気取りのない実直な性格で、平民の志願兵からも慕われるような人物だったと聞いている。その彼の義母でもあるのだ。


 ……前男爵未亡人は膝か腰、もしかしたら両方悪いかもしれない。彼女を迎えるにあたって、階段の上り下りをしなくて済むように個室は一階の客間に決めた。

 寒さが厳しいこの地で快適に過ごせるように、暖炉の燃料もたっぷりと用意した。


 そして迎えた当日、馬車を降りた人物にクレイグは自分の目を疑うことになる。


「シャノーワー卿よりご紹介いただきました、サラ・アークライトと申します。初めまして、ブレントモア伯爵」


 前男爵未亡人は、膝が悪く、老眼鏡をかけた白髪の、品の良い女性のはずだった。

 目の前で淑やかな礼を取る女性は、艶やかな黒髪を綺麗に結い上げていた。緑を帯びたライトブラウンの瞳には無粋な丸眼鏡もかかっておらず、白い肌にはシミひとつなく――どう見ても、三十歳の自分よりずっと歳下にしか見えなかった。




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